第2話 せんせー


きっかけは至って単純だった。

去年、たまたま近くの席に座っていた忍が真央の机を覗き込んだのがすべての始まりだった。


ブックカバーとは、オタクと呼ばれる人種が教室で人に見られたくないものを読むときに使う常套手段である。

しかし、中身を読まれてしまえば全く意味のないことなのだ。


「あ、これ可愛い」


「え……あっ! これはっ!」


突然声をかけられ、思わず手に持っていた『文学少女と月花を孕く水妖』をカバンの中にぶち込んだ。その拍子にフックから外れたカバンから、数冊のライトノベルが床に散らばってしまった。

しかも、それらにはブックカバーがされておらず、表紙がむき出しの状態になっていた。真央は周りから見られないように、体で本を覆い隠す。


いわゆるインキャやオタクと呼ばれる人種は、自身の趣味や収集に対して骨を折る割には、それらに対して自信が持てない人種でもある。

クラスメイトが互いの腹を探り合っている中、オタクと知られたらどうなることか。これからの高校生活三年間を暗く過ごすことになるかもしれない。


そんな一抹の不安が真央にあった。

だが、彼女に声をかけたクラスメイトはこぼれ出たラノベの表紙をじっと見つめた。


「ねぇ、これって有名なやつでしょ? 

私、名前だけ知ってるんだけど内容よく知らないんだよねぇ〜」


「……SAO?」


「え? エス? エー?」


「ソードアートオンライン、です」


「そうそれ。もしかして、全巻持ってたりするの?」


「最新刊までなら、全部持ってる」


「ねぇ、今度貸してよっ!」


これが葉山忍との出会いだった。

後日、真央が持ってきた全27巻もある小説を一晩で読破してしまった。


その勢いには舌を巻いたし、テンションがハイになっている忍を見てドン引きした。

たった1日で共通の話題で理解を深め、物語の考察や推しについて話をする程に仲が深まった。


「えーっと、化物語だっけ? あれ読んでみたいんだけど、持ってる?」


「持ってるけど、アレも結構長いよ。

小説に出てくる吸血鬼の女の子が忍っていうんだ。

ちょっと待ってて……」


学校の教室の端で二人で話し合う。

昼食の時間は二人の意見交換の時間であり、本の貸し出しの時間でもあった。

一年生も終わるとき、真央は一つの決意を胸にした。


それは、忍が次に読む作品を探している時だった。

いつもの本の貸し出しタイムに、彼女は一冊の本を手渡した。


「次、これとかどうかな」


「お、これは見たことないかも。

作者は……魔王? すっごい名前だね」


本を受け取りつつ、表紙を不思議そうに見つめている。

裏表紙のあらすじを眺めていた。


「これ、誰が書いたと思う?」


「え、本物の魔王がこの世にいるの? 

実はラノベじゃなくて、伝記だったりするの?」


ボケなのか本気なのか、よく分からないコメントだ。

音を立てて唾を飲み込んだ。心臓がどくどくと早くなる。


「魔王はいないけど、真央はいる」


「はい?」


「……私なんだ、それ書いたの」


忍の視線が小説と真央の顔を往復する。

初対面で自分の趣味を馬鹿にしなかった。

それどころか、一緒になって楽しんでくれている。


彼女になら、自分のことを話してもいいかもしれない。

そう思って、自作の本を勧めてみたのだ。


「えっ、ちょっ……本当に言ってるの?」


立ち上がりかけたのを座り直した。


「本当、です」


顔から火が出そうだ。

昼休憩の時間が刻々と過ぎていく。


「じゃあ、いわゆるせんせーってヤツなの?」


「先生とか言わないで。そんなすごくないんだから」


「でも、小説書いてるんでしょ? なら、せんせーなんじゃないの?」


忍のせんせー呼ばわりもこの時から始まった。

小説を書いている人を先生だと思っている節があるようで、何度拒否しても、真央のことをせんせーと呼ぶ。


「せんせー、授業中は寝ないようにね」


席に着いて、軽く舟をこぎ始めた真央を後ろからつっつく。

この学校で知っているのは忍だけだ。


それと、忍との仲が始まってから気づいたことがある。

彼女は中学からバスケを続けており、その甲斐もあって1年生でレギュラー入りした。先ほど会ったもっちゃんこと河本勇太は彼女と同じ中学で、男子バスケ部に所属している。


最初こそ忍のよそよそしい態度を見て、もっちゃんのことが嫌いなのかと思っていた。確かに彼の明るいキャラはウザいと言えばウザいし、人懐っこい性格は馴れ馴れしいともいえる。


嫌いなものがなさそうだと思っていたから、少し意外に思った。

しかし、どうもそうではないらしいことが分かってきたのだ。


今朝もそうだったが、遠くからでももっちゃんをすぐに見つける。

彼の姿を目で追いかけている。

それも少しだけにやけているのだ。


嫌っていたら目線をそらすはずだし、何より避けるはずだ。

笑顔なんてまず向けないだろう。


忍の奇行を不思議に思った真央は、クラスメイトの志摩さんに声をかけた。

綺麗に焼けた小麦色の肌は実に健康的で、いかにもスポーツ少女という感じだ。

貧相なもやしみたいな見た目をしている自分とは大違いだ。


「ああ、葉山さんって分かりやすいよねー……見ているこっちがイライラしてきちゃうもん。もっと積極的になれればいいんだけどね」


「バスケ部だと、いつもあんな感じなの?」


「バスケ部っていうか、河本君の前だとあんな感じかな。

ていうか、柊さんはとっくに気づいてるかと思った。仲良いみたいだし」


「仲良いって言っても、知り合ったのはつい最近のことだしね。

中学の時のことは知らないんだ」


志摩さんは始終楽しそうに笑っているし、これは本人に聞いたほうが早いかもしれない。特定の異性の前でのみ、奇行が起きる。何やら怪しいニオイがしてきた。


「忍、大丈夫? もっちゃんと何かあった?」


次の日の昼休み、さっそくその話を切り出した。

動揺のあまり、飲んでいたお茶を吹き出してせき込んだ。


「もっちゃんと話すとき、いつも緊張してるみたいだしさ。

何か悩み事でもあるのかなって、思ったんだけど」


顔を真っ赤にしてうつむいた。耳まで赤くなっている。


「……いつもあんな感じじゃない?」


「他の男子と話すときはそんなことなさそうだけど」


「じゃあ、アレだよ。アレ」


「じゃあって何よ。アレってどれよ。

言いづらいなら、別にいいけど」


両手をぶんぶんと振る。

呼吸を整えて、真央の方をじっと見る。


「せんせーこそ、急にどうしたの。

なんか変なこと考えてる?」


「いや、本当に心配してるだけなんだって。

忍ってさ、結構分かりやすいんだよ。

愚痴ぐらいなら聞いてあげられるしさ」


彼女は声にならない声を上げ、机に突っ伏した。


「せんせーには敵わないなあ……この話は誰にも話さないでほしいんだけど」


「分かった。この秘密は守りましょう」


ただし、すでに漏れている場合は対処しないものとする。心の中でそう付け加えた。

他人に興味がない真央ですら気づいたのだ。

勘のいい人はとっくに知っているのだろう。


「河本君のこと、好きなの」


ああ、やっぱりそういうことだったのね。

案外、単純なことだった。忍の行動は惚れた男に向けるそれだった。

どうして、そこまで思考が回らなかったのだろうか。


「かぼちゃとかジャガイモを相手に話してると思えっていうけどさ。

マジで無理だから。人間は人間だから」


「そんな面接が苦手な人みたいなこと言われても」


「中学が同じだったんだけど、一回告白したんだよ。卒業式の時」


「おわぁ……勇気あるねえ」


ここまで話が進んでいるとは思わなかった。


「そうなのか。これからもよろしくなって」


「……それだけ?」


「それだけ」


同じ高校に進む友達からの挨拶か何かだと思ったのだろうか。

答えになっていないというか、もっちゃんが鈍すぎるのだろうか。


「でも、嫌われてるわけじゃないよね。多分」

 

「そうだと思いたいけど、実際どう思ってるんだろ」


聞いてみればいいじゃないかと言ったところで、無理な話だ。

ハードルが高すぎる。


重い沈黙が下りる。

どうしたものか、真央は恋愛に縁がない人生を送ってきた。

異性へのアピール方法など、思いつくはずもない。


しかし、目の前にいる友人は応援したい。

現に真っ赤な顔でお昼ご飯をつついている。


話を聞いている限り、いい加減に決着をつけさせないとかわいそうだ。

もっちゃんも気づいているかどうか、微妙なところだし。

私にできることは何だ。字書きしか能のない私に何ができる。


結局、何も思い浮かばないまま、お昼休みは終わってしまった。

ここで助け舟を出したり、いい提案を出したり、何かできればよかったのだが、人間への興味のなさが裏目に出てしまった。


これが小説だったらと思い始めた途端、真央に電流が走った。


実際の登場人物をモデルにして、小説を書いてみればいいんだ。

これまでさんざんやって来たではないか。


勇者と魔王の戦いは切って落とされたばかりだ。

魔王は勢力拡大のために、クラミジア学園を拠点に人間界を支配する。

勇者は魔王から世界を守るために、立ち上がる。


二人の恋路をモデルにすれば、原稿も進んで一石二鳥だ。

ラブコメ要素は必須だというし、これはいいかもしれない。

とにかく、まずは相手を知ることから始めなければならない。


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