魔王が勇者をプロデュースするそうです。

長月瓦礫

第1話 徹夜明け


「よし、今日もノルマ達成」


バツ印をクリックした後、パソコンの電源を落とした。

先ほどまで向かい合っていたデスクトップを見て、柊真央は初めて満足げな表情で頷いた。


「真央っ! 朝ごはんっ!」


下の階から母の声が響く。

彼女はのそりと安物のパジャマを脱ぎ捨た。

床に散らばった制服を一つ一つ拾い集める。

毛布やら服やら様々な物が散乱しているベッドから高校の指定カバンを取り出し、ふらつく足で階段を下りる。リビングには優しい匂いが漂っていた。


「おはよ」


「また徹夜したわね。あんた」


「今日、ご飯いらない……」


「話を逸らさない」


リビングに入るやいなや、母親の鋭い視線が真央に突き刺さった。

それを回避するように、テーブルに並ばれた健康的な食事をぼんやりと眺めながら席に着いた。


「あんた、約束覚えてるよね」


「……いや、マジで勘弁してください」


「次徹夜したら、ネット切るって言ったよね?」


「すみませんでした、本当にすみませんでした。もう徹夜しません」


テーブルに穴が開く勢いで頭を擦り付ける真央の姿をしばらく冷たい目で眺めていた母親の顔が呆れたとも諦めたとも言えるような、何とも複雑な表情へと戻る。


「真央。両立できないなら、今の仕事は考え直しなさい。

あなたの本分はあくまで学生なのよ?」


「はい」


「わかったら、しっかりご飯は食べる。徹夜はしない。いいね?」


「はい、でもご飯は本当にいらない……」


「なら、せめて味噌汁だけでも飲んで行きなさい。

あと、ちゃんと髪の毛直して行くのよ」


黙ったまま頷いた彼女の目の前から、白米と切干大根、卵焼きが消え、ナスの味噌汁だけが残った。


「……いただきます」


しっかりと両手を合わせ、真央は一口すする。

徹夜明けの胃袋に、慣れ親しんだ母親の味噌汁が染み込む。

味噌汁の具も残さず綺麗に食べ終わった。


「ごちそうさま」


洗面台へ向かい、ブラシを片手に自分と向き合う。


「……今度髪切ろ」


伸びたい放題の髪を適当に透かし、人様に見せられる程度にまとめる。

リビングで朝食を食べている母親へあいさつし、玄関の扉を開ける。

もっさりとした重い足取りでバス停へと向かう。


外の世界はアスファルトの焦げ付くような匂いとジメジメとした独特の空気感で満たされていた。

何かいいことでもあったのかと言わんばかりに空は真っ青で雲ひとつなく、真央は疲れ目で太陽をにらみつけながら「くたばれ」と一言吐き捨てる。


その頃には、ワイシャツは汗でべっとりと染み付き、このままUターンして家へと帰ろうと思い始めた時だった。


「せんせーっ! おはようございまーすっ!」


「……ねぇ、その先生っての。やめてってば」


「じゃあ、魔王ちゃん?」


「それもやだ」


ただでさえも暑苦しいのにも関わらず、熱烈なスキンシップを真央に行うポニーテールの少女、葉山忍がいた。太陽さえ消し飛ぶほどのとびっきりの笑顔で、顔を擦り付ける。


「ありゃりゃ? せんせー、また徹夜?」


「……このままだと、原稿落とすから」


「あーん、原稿は落として欲しくないし。

でも、せんせーにはしっかり寝て欲しいしなぁ」


ムムムと忍は悩む。そこから導き出される答えが、いまの真央を取り巻く問題を解決するとは到底思えない。

それに気づいている彼女は忍を見捨て、バスにそそくさと乗り込んだ。


今だに窓の外で悩んでいる忍を真央は呆れた目で見下ろす。

そのままバスは出発した。置いて行かれたことに気づいた忍が絶叫のプロ顔負けの奇声を上げながら、バスを追いかける。上下に揺れる彼女のたわわに実ったそれを眺めながら、「あの体でどうしてあんな早く走れるのだろう」と呑気に考えていた。


ギリギリ飛び込んできた忍が息を荒くさせながら、バスに乗り込んできた。

数百メートルを一気に駆け抜けて、そのまま滑り込む女子もなかなかに珍しい。


「せんせーひどいっ! なんでバス来たって教えてくれなかったのっ!」


「……だって、聞かれなかったし」


「それにしてもひどいっ!」


ただでさえ暑苦しいのにも関わらず、大粒の汗をかいている女性が隣に座っていることもあり、特に運動をしていない真央の額にも汗が浮かび始めた。


「ねぇ、せんせー。続きどうなってるのか教えてよ」


「……だめ、教えない」


「いーじゃん、ケチ! 

新刊をイの一番に買ってあげてる常連さんの特典としてさぁっ!」


「ネタバレ厨死すべし」


「ひどっ!」


バス内で勝手に盛り上がって喋っている忍は、真央の冷たい反応にむくれながら肩に下げたカバンから一冊の本を取り出す。


この世には、人前でブックカバーもつけず広げたまま読むのをためらう読書好きがいるのをご存じだろうか。特に、ライトノベルをはじめとした小説である。

しかし、そんなことを気にもとめず忍は堂々と表紙を広げバスの中で読書を始める。


タイトルは『魔王様が勇者をプロデュースするそうです』とあり、作者名には『魔王』の文字が印刷されていた。


いわゆる学園もので、舞台は特別な力を持った学生が通うロマージカ学園だ。

ある日、学園は魔王軍に占領される。魔王の目的は世界征服だが、手段は虐殺などではない。学園に集う特別な力を持った学生をアイドルとして育成し、人間界を乗っ取るというストーリーだ。


勇者をはじめとする魔王に反抗する学生と、学園長として君臨した魔王との戦いを描いた物語だ。現在彼女が読んでいるのは二巻目であり、新人作家でありながら、ランキングでも上位に食い込んでいる。


「……おもしろい?」


「うんっ! すっごく!」


「そう、よかった」


「だって、先生の書いた本でしょ? おもしろいに決まってるじゃ〜ん」


「本当に勘弁してよ、もう」


満面の笑みで小突く忍に、真央はぎこちない笑みで周りを見渡した。

何を隠そう、忍の読んでいる小説の作者は柊真央その人だからだ。

最初はクラスの人間関係や家族間で起きたできごとをつらつらと書いていた。


今でも信じられないが、なんの気まぐれか出版社が開催するコンテストに投稿した。

作品は大賞こそは取れなかったものの、出版社に目を付けられた。捨てる神あれば拾う神ありとは、まさにこのことだろうか。


何度かの校閲を経て、上下巻にて発売された。 

本になることだけでもすごいというのに、信じられないことにかなり売れたのだ。

これにより、新人作家『魔王』の名前で出版されたのが、『魔王様が勇者をプロデュースするそうです』だったのだ。


「あ、誤字」


「嘘ッ!」


「うっそ〜」


「……嫌い」


「ごめんって! 冗談だからっ!」


そんなやりとりをしながら、バスは学校前へ到着する。

他のバスからも学生がぞろぞろと降り、坂道の上を登ってゆくのが毎朝の光景だ。


「もう嫌だ。おうち帰る」


「運動しないとダメだよ〜? 体動かすと気持ちいいよ?」


「……吸血鬼の癖に、太陽の下で活動してるなんて意味不明」


「私は金髪幼女でも、吸血鬼でもありませーん」


真央の手によってオタク脳にされている忍は発言の由来を理解している。

彼女の背中を押しながら、元気よく坂道を上がってゆく。

たくさんの生徒の視線が集まろうとおかまいなしだ。


注目される。それはすなわちオタクにとっては非常に辛い状況であり、以前の真央ならその場にしゃがみこんで地面とにらめっこをしていたことだろう。

だが、忍との関係が続いた結果、多少気分が悪くなるのみで済んでいる。

これは大きな進歩だ。


「待って、死ぬって……」


「ほら! 三乙するまで頑張って!」


真央が反論しようとしたところで、忍の動きが止まった。

学校までの坂道のちょうど中腹、隊列を作ってジョギングをしている集団だ。

男子バスケ部たちの朝練だ。その中でも、ひときわ身長の高い男が二人に気づいた。


「おはよう! 相変わらず仲良いな、お前ら!」


「おはよ、もっちゃんも相変わらず元気だね」


もっちゃんと呼ばれた男は軽く片手をあげ、二人に挨拶をする。

真央は適当に挨拶を返しているのに対し、忍は俯いたままである。


「……お」


「お? お腹でも痛いのか?」


「そういうことじゃない、ね。せんせー?」


「ちょ……あっ……」


呂律が回らない。その原因が真上の太陽のせいではないことを真央は理解している。

忍は心配そうに覗き込む勇太の顔を直視することができない。


「落ち着いて」


耳元で真央が優しい声でささやく。

それが彼女の口の中で停滞していた言葉をなんとか紡ぎ合わせるきっかけになった。


「お、おはよう……河本くん」


「ん、おはような。それじゃ、教室でなっ!」


たったそれだけの会話、たった十文字だ。

もっちゃんは爽やかに走り去って行った。


「ま、及第点じゃない」


「……ありがとう」


「こっちも助けてもらってるし、お互い様」


にこやかにサムズアップする真央の顔を見て、彼女のようにクールな性格だったらどれほどよかっただろうと忍は心の奥底から思っているに違いない。


「それにしても、勇者様は罪な男ですなぁ。

こんな幼気な吸血鬼ちゃんのハートキャッチしちゃうなんて。

魔王の心眼に狂いはありませんでしたねぇ」


「……死ね」


「急に辛辣!?」


真央を置き去りにして、忍は校舎内に踏み込んでいく。

その姿は、少し臆病者のようで少し勇み足だった。

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