Close the Nuclear Umbrella

Phantom Cat

1

 俺が子供の頃、降ってくる雨には放射能が混じっていた。


 1960年代前半まで、米国、ソ連(当時)、中国、インドなどで核実験が当たり前のように行われていて、莫大な量の放射性物質が大気に放出されていた。それが雨に含まれて落ちていたのだ。


 あの頃は、雨に当たるな、当たるとハゲるぞ、などと親によく言われていた。しかしクソガキだった俺はそんなことを全く気にせず、雨の中傘もささずにずぶ濡れになってよく遊んでいたものだった。


 もうあれから半世紀が過ぎた。そして……親の予言は見事に的中した。三十代になったあたりでやけに額が広くなってきたな、と思っていたら、気が付けばあっという間にツルッパゲになっていた。


 というわけで、俺は俺から全ての毛髪を奪った放射能、そしてその放射能を世界中にバラまいた核爆弾という奴に、大きな恨みを抱いているわけだ。


 まあしかし、実際のところそれが本当に放射能のせいなのかどうかは分からない。遺伝的要因もあるとか言われているし、何と言っても……元の職業が一番の原因だったんじゃないか、とも思う。


 そう。


 戦闘機パイロットなんて、イメージはかっこいいものの、実は意外にハゲでチビな奴が多かったりする。搭乗中は常に通気性の悪いヘルメットをかぶっているわけだから、髪の毛が被るダメージは計り知れない。そして、背の高い奴は脳から心臓までの距離が長く、G(旋回でかかる加速度)がかかるとすぐに血が下がってブラックアウトしてしまう。だからそもそも戦闘機パイロットには向かないのだ。


 俺の身長は一六五センチメートルなので、パイロット時代も特にGが苦になることはなかった。だが、性格的には向いていなかったらしい。戦闘機パイロットとしてはイマイチパッとしなかった俺だが、学生時代の成績は非常に良かった。それで、二十年前に防大時代の指導教官から「研究科に来ないか」と誘われて、パイロットを辞めて母校に戻り、大学院生として物理の研究をすることになった。


 そして修士の学位を取得した後、筑波の高エネルギー加速器研究機構(KEK)の総合研究大学院で博士号を取得し、その後も自衛隊に籍を置きつつしばらくそこで研究員を続け、三年前に母校の教官として採用された。だけど俺は未だにKEKでも研究を続けている。


 その日、俺は市ヶ谷の防衛省本部にやってきた。


「やあ"ジン"、久しぶりだね。早速だが君の研究について、新たな進展があった、という話を聞いてね。ぜひそれを君の口から聞かせてほしいんだが」


 統合幕僚長である笹井空将は、未だに俺を TACタック ネーム(Tactical Name:戦術名)で呼ぶ。俺たちは彼の部屋で応接ソファーに座り、互いに向き合っていた。


 防大の先輩でもあるこの人は、俺が所属していた小松基地第303飛行隊の当時の飛行隊長だった。俺の TAC ネーム「ジン」――俺の苗字「仁科にしな」の最初の一文字を音読みしたもの――を決めたのもこの人だ。切れ者だが面倒見がいい。


「分かりました、"ハル"さん」俺も彼を TAC ネームで呼ぶ。その由来は彼の下の名前「晴彦はるひこ」からだ。「実は加速器を原理的に全く異なるものにリプレイスしたんです。その結果、技術的な問題が一気に解決しましてね……」


 この時の俺は、やがてこの研究が日本を危機から救い、さらに世界を大きく変えることになるとは、全く思いもしていなかった。


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