第5柱 シリアス担当タケミカヅチさん

5-1 神在月の出雲

 暦は十一月を迎えていた。


 徳斗が大学とアルバイトの日々をこなす間も、時間は着実に流れる。

 こうしているうちに出雲では稚姫の処遇について、どのような話し合いが行われているのか。

 ツキヨミやミズハら彼女に近しい神々が擁護してくれているのか。

 彼も気が気ではなく、アパートの掃除をしていても時折、手を止めては薄雲の下に差す陽光をぼんやりと眺める――。


 八田もそんな彼の様子を目に留めて、肩を叩いた。

「あ、ごめん。だいじょうぶだよ、八田さん」

 徳斗が庭の隅を見ると、低血圧のくせに珍しく早起きをして、サツマイモの温室に向かい一心に祈る稚姫の姿があった。

 最近は神らしい心構えが出来たのか、なにやら熱心に祈っている。

 太陽の活動もまだ上々とは言い難いが、天候は以前より安定して雨や曇りの日数も減り、徳斗には彼女が太陽神としての一定の務めは果たしているように見えていた。

 しかし、その最終的な判断は天上界の神々による合議の結果しだいだ。

 一介の下界の民である徳斗には、どうにも出来ないもどかしさがあった。

 そんな毎朝が旧暦の十月を迎えた彼のアパートでの日常だった。


 徳斗は庭を掃くのをやめて、竹ぼうきを持ったまま歩き出した。

「おっ。ワカ、イモもだいぶ育ってきたんじゃないか?」

 彼は祈りを終えてサツマイモ畑を見る稚姫の背中越しに声を掛けた。

「でも、おイモっぽいところは全然まだないよ。ホントに育ってるの?」

「そのままイモになるんじゃないんだよ。蔓と茎が伸びてきたら、それをまた地面に植えていくんだってさ。そこからイモが出来るらしいんだ」

「そうなんだ! 根っこからたくさんおイモができるのかと思った。あとどれくらいでできるの?」

「だいたい二、三か月くらいしたら、まずは植え替えだな」

「おイモってけっこう、時間がかかるんだね」

「何を言ってるんだよ。神様のワカなら、ふた月なんてあっという間だろ」

 それを聞いた稚姫はわずかに顔を曇らせる。

 彼女の反応を見た徳斗は、先日のツキヨミとの会話を思い返し、迂闊な発言をしてしまった自身を攻めた。

「……そうだよね、きっとすぐおイモも育つよね!」

 だが、彼女はすぐになんでもない素振りで会話を続けた。



 今こうしている間も天上界の神々は皆、出雲に参集している。

 いつもは稚姫用の食材を持って顔を出してくれるトヨウケすらも不在だが、下界で活動する神々も全て出雲に居るので、彼女の農場からの物流サービスも臨時休業をしている。そのため八田がわざわざ車を走らせて彼女の農場まで向かい、食料を分けて貰っていた。

 出雲以外の地域は、まさに旧暦の神無月。

 稚姫がここにやってきてから、ひっきりなしに訪問してきた神々は誰も来ず、徳斗にも体感として神の姿が無い月だと非常に良くわかる日々だった。

「今まで誰かしら来てたのに、こうも急に静かになると退屈だな。俺は学校とバイトがあるからいいけど、八田さんと留守番してるワカは特に退屈だよな」

「みんな出雲に行ってて、天上界も下界も誰も居ないからね……つまんない」

 急に肩を落とす稚姫を見ると、徳斗は頭を掻きながら妙案がないか考えた。


 このまま、ただ出雲で話し合われている彼女の沙汰という合議の結果を待つだけの生活は、彼自身も精神衛生上よろしくない。

 稚姫には誰も遊びにこないのに、ここで過ごすだけというのも気の毒だった。

「ワカ、どっか行くか? 俺らも旅行にでもいくか」

 それを聞いた稚姫も元気を取り戻して、徳斗の袖を引っ張る。

「行きたい、徳斗とおでかけしたい!」

「じゃあ、せっかくだから出掛けようぜ」

 稚姫は待ちきれない様子で自分の部屋へと駆けていくと、支度を始める。

「おーい、ワカ。まだすぐには出掛けらんないよ。バイト先にも休み希望を伝えないといけないし、だいいちどこに行くかも決めてないだろ?」

「えー、そうなの? いつ行くの?」

「そうだな……俺も学校もあるから、土日の一泊あれば充分だろ。それでもどっかで週末のバイト休まなきゃいけないから、許可を貰ってからな」

「わかった。じゃあ八田! すぐに、おでかけ用のお洋服を買いにいくよ!」

 稚姫は喜び勇んで、八田に下知をする。

 まだデパートも服飾店も空いていない時間だろうに、二人は大きなトランクケースと共に外出していった。

「さて、俺もそろそろ大学に向かうか」

 徳斗はスマートフォンのカレンダーを見つめた。

 この週末には、月の上旬は終わる。

 それまでに合議の審判があれば、下手をすると稚姫とお別れになるかもしれない。

「……この旅行はどっちかって言うと俺の、この変ちくりんで不思議な時間の最後の思い出づくりってことか」



 大学の講義を終えた後の、アルバイト先のゲームカフェ。

 徳斗はオモイカネが消えてから店長として接している氷川に休み希望を伝えた。

「えー、シフト入ってるのにお休みなの? しかも妹さんがお兄ちゃんと一緒に旅行したいって? ちょっと原井君、妹さんが甘えん坊なのもわかるけど、可愛がり過ぎなのもアブないんじゃないの?」

 氷川から肘で小突かれて冷やかしを受けると、苦笑まじりに頭を掻いた。

「ホント急で申し訳ないっす。でも八田さん……いかつい親戚のおじさんがついてきてくれるんで、そんな二人っきりとか、やましい事じゃないっすよ」

「じゃあ、帰って来たあとのお土産と、妹さんの可愛い写真を見せてくれたら希望休を認めましょう。期待してるわよ」

「すみません。ありがとうございます」

 徳斗は氷川に深々と頭を下げる。


 アルバイトも終業時刻になり、彼が遅くに帰宅するとまだ稚姫の部屋の電気が点いていた。

 太陽神の彼女が夜更かしとは珍しい、と扉をノックする。

「あ、徳斗? ちょうどよかった。入って来ていいよ!」

 いったい何事かと扉を開けると、部屋の至る所に大量の百貨店の手提げ袋が散乱していた。夜目も利かず、かつ眠そうな八田から代わるがわる洋服を受け取ると、稚姫は姿見の鏡の前で自分の身に重ねる。

「徳斗とおでかけで、オシャレしたいから八田とたくさん買ったの。似合う?」

「うわ、なんだこの量は。だって一泊だろ? どうすんだよ、こんなに買ってさ」

「せっかくだから、可愛い服を着たところを徳斗に見てほしかったのに!」

 稚姫は頬を膨らませて、手元の洋服を何枚も彼の眼前で見せびらかせる。

「それで、ワカはどこに行きたいとか希望はあるか?」

「べつになんにも……徳斗が行きたいところでいいんだけど?」

「俺はいま気になるとしたら、出雲……」

 思わず口を滑らせてしまい、はっと言葉をつぐむ徳斗だったが、意外にもその提案には稚姫も表情を崩すどころか前向きであった。

「出雲かぁ。あたし行ったことないから行ってみたい!」

 しかし、神々の合議がされている神在月に、まさにその現地に向かうというのは、危険ではないかと徳斗も逡巡する。万が一、稚姫が他の神々に見つかった場合、合議の結果を知りたくて来たようにも見えるし、自分は呼ばれていないからプライベートで出雲に遊びに来たという彼女の当て擦りにも見える。

 当の稚姫がさして気にもせず本人が行きたいというのならば、徳斗も彼女の希望を叶えてやるのがよかろうと、徳斗も覚悟を決めた。

「それにしても、東京から出雲だと往復も時間かかるよな。二日しかないのに、どうしようっか……」

 先程までの眠気を堪えた様子から一変した八田が、指をぱちんと鳴らしてから親指を立てる。

 すると胸元から、和歌サン・プリンセス社のブラックカードを取り出した。

「八田さん、どういうことだよ?」

 わずかに口角を上げた八田はノートパソコンを開くと、旅の出発の直近だと言うのに、あれよという間もなく飛行機も宿も全て確保した。

 神の力では無いにしても、まるでそれは神威による加護の奇跡のようであった。

 ブラックカード恐るべし――徳斗もただ言葉なく舌を巻いて立ち尽くす。



 数日を経た、その週末。

 ブラックカード所有の徳斗たちは、VIP専用の空港ラウンジで出雲行きの便を待っている。

 稚姫は熱心に選んだオシャレ可愛い下界の女子コーデだが、それだけでなくわずか一泊に、スーツケース一杯の替えの衣装を詰めていた。

 一方の八田はサングラスはいつも通りだったが、珍しくネクタイをせずに襟元を開いたラフなストライプのシャツと、ベージュのズボンだった。

「なんかすげぇな。八田さんがそのカッコでラウンジに居ると、上流階級のオフの日みたいじゃん」

「黒ずくめだと、すぐ八田ってバレちゃうでしょ?」

 むしろ徳斗から見たら、全身真っ黒というコーディネートは人間の中でも目立っていたので、この判断は良いし、彼も普段からこうすれば良いのに、とも思えた。

「さて、出雲に着いたらどうする? 温泉か観光かグルメか」

 フライト時間を待つ間、手元の旅行雑誌を開きながら徳斗が提案をする。

「あたしはやっぱり、合議してるとこを見に行きたいな」

「だってワカは呼ばれてな……行かないんだろ?」

「それにしたってトヨウケやその辺の神より、あたしの方がエライんだよ! みんなしてズルいよね!」

 なにせ稚姫は四貴神の一柱。

 そこいらの並の神様なら黙らせるくらいに、格が違うはずだ。

 でも、議題の対象が姿を現したらパニックになるのを徳斗も懸念していた。

 やがて搭乗時間となり、機内に入って予約した席に座った。

「ところで、ワカは飛行機に乗ったことあるのか?」

「あたしも下界の視察であちこち行ってたもん。飛行機くらい乗ったことあるよ」

「へぇ、神様らしいこともしてたんだな」

「あたしだって神なんだから」

 ぷぅと頬を膨らませた稚姫は、慣れた様子で座席に用意されていたイヤホンを着けると、アニメチャンネルを観はじめる。


 ひとときの空路はあっという間に終わった。

 耳にイヤホンをつけて何かしらの機内放送を楽しんでいたはずの徳斗は、いつの間にか眠りに落ち、頬杖をついた頭をゆらゆらと漕いでいた。

「徳斗、もうじき着くよ」

 稚姫に肩を叩かれて、瞼を開けた徳斗はぼんやりと周囲を見渡す。

「なんだよ。飛行機ってアニメでも映画でも落語でも、いつも寝ちゃって盛り上がるとこがわかんないんだよな」

 出雲の空港からタクシーを捕まえると、出雲大社までやってきた。

 長く続く参道には砂利が敷き詰められ、両側には大きな松の木が並ぶ。

 玉砂利を踏みしめながら、徳斗たちは拝殿へと向かう。

「合議って、なんか近くの山の中でやってるんじゃなかったっけ?」

「違うよ。レンタルスペースをしてるお屋敷を借りてるはずだよ」

「ふーん。八百万も集まったら、ぎゅうぎゅう詰めになりそうだな」

 拝殿の賽銭箱の前で、徳斗は財布から小銭を取り出す。

 だが稚姫は、お構いなしに建物沿いにきょろきょろと境内を観察しだした。

「おい、ワカ。まずはお参りだろ」

「だからあたしも神だよ? 仲間みたいなもんだよ」

「そうだけどさ。ここに来ましたって挨拶しないでいいのかよ」

 とりあえず徳斗は一礼だけして、稚姫の後を追った。

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