4-4 ヤンキー少女カヤノちゃん

「おはよ、ワカちゃん。朝ごはんだって」

 太陽神のくせに低血圧で朝の弱い稚姫を、ミズハが起こす。

 稚姫が、とろんと半開きの目とぼさぼさの髪で上半身を起こすと、既に八田の用意した朝食の香りが部屋いっぱいに広がっていた。


 朝食を摂るうちに稚姫はわずかに視線を落として、口に運ぶ箸の動きを次第に鈍らせていく。

「徳斗ったら、今日も帰ってこないのかな?」

「仕方ないわよ。徳斗様のおじいさまのお身体が優れないんだから。今はご快癒をお祈りするしかないわ」

「あたしもミズハみたいに癒しの力があればいいのに。あとはスクナヒコナみたいな医薬の知識や加護とか」

「そればっかりは神も分業制だから難しいわ。ワカちゃんにはワカちゃんにしかできないお仕事があるんだから。ね?」

 ミズハが旧知の友を慰めていると、玄関の扉が乱暴にノックされる。

「徳斗なのっ?」

 箸を置いた稚姫が立ち上がると、そこに入ってきたのは高校生くらいの少女。

 彼女は、染め上げた鮮やかな長い金髪を両方の側頭部でツインテールにしている。

 丈の短いスカートから細い足を出しているが、上半身は袖に二本の赤い線の刺繡が入り、背中には金色の十六葉の菊紋をあしらった黒のスカジャンを着ており、なんとなしに愛国心を披露する熱心な活動家のような格好だ。

 少し吊り上がった勝気な瞳に、眉を寄せて気怠そうに立っている。

「なんだい、トヨウケのねえさんからここに来いって言われてみたら、姫様にミズハじゃねぇか。それに八田も居るんだね」

「まぁ、カヤノちゃんじゃない。どうしたの?」

「どうしたもこうしたも、姫様の相談に乗れって姐さんの頼みだからだよ」

 カヤノはテーブルに座ると、短いスカートでもお構いなしに片足を組む。

 そしてスカジャンのポケットから煙草とライターを取り出した。

「ちょっと、カヤノ。けむたいからタバコは外で吸って」

「姫様、来て早々にそりゃないでしょう。野菜と漬物とタバコはあたいの加護で成り立ってるんだからさぁ」

「タバコとスカジャンなんか、南蛮渡来のものじゃない。しかも髪までまっ金キンにして西洋かぶれなんだから」

「そうは言っても、姫様はあたいの生き方に憧れてるってわけっしょ? だったら姫様も自由にやればいいじゃないか、タバコでもオトコでも」


 そこで何かを察したミズハが指を鳴らした。

 トヨウケがカヤノをここに呼んだ意味を。

 天上界では年齢もキャリアも性別も異なる神々が活動をしている。

 外見も実年齢もまだ幼い彼女たちは、ツキヨミやトヨウケらベテラン勢とは異なり、寺子屋で神としての心構えを学んだり、一緒に遊ぶことも多かった。

 そんな中でもやや背伸びして斜に構え、擦れた発言ばかりするカヤノはある意味、優等生を地でゆくようなミズハや子供まる出しの稚姫にとっては、厄介な不良の友人のようでもあり、見識だけなら群を抜く雲上の存在だ。

 よく天界の寺子屋の帰りに、カヤノの色恋方面の自慢を聞いては稚姫もミズハも、水蒸気をたぎらせたり、灼熱の高温を発したりしたものだった。

「ちょうどいいわ、ワカちゃん。カヤノちゃんに徳斗様のこと相談しましょ?」

「はっ? あたいに何だって?」

「だから、ワカちゃんは下界で奉職する神職の男性のことが気になるみたいなの。カヤノちゃんは恋愛慣れしてるんだから、アドバイスしてあげて欲しいのよ」

「マジかよ……マジなの、姫様?」

 稚姫は天界の頃にした彼女のオトナな会話を思い出し、瞳を輝かせながら無言で何度もうなずく。

「たとえばね、あたしとミズハはその……男の人にぎゅっと抱きしめて欲しいとか、口吸いをするにはどうしたらいいかなって話してたの」

「そうだな……キスしたり抱いたりする方法かぁ……じゃあアレだ、もっと積極的にアレをソレしてさ……」

 急にしどろもどろになったカヤノは、突然に立ち上がると煙草とライターを持って玄関に向かった。

「出雲の合議も近いし、移動であたいも疲れちゃってさ。まずは庭で一服させて貰うわ。ちょっと待っててな、姫様」


 庭にあるサツマイモ畑と桜の苗木を見ながら、カヤノは紫煙をくゆらせる。

 それは深まる秋に想いを馳せるアンニュイな様子でも、まだまだ幼い友に呆れながらも変わらぬ友情を嚙みしめるメロウな気持ちでもない。

 彼女は単純に焦っていた。

『ふざけんなよ、あたいはあいつらをビビらそうと口からでまかせを言ってただけで……キ、キスはおろか、男と手を繋いだことすらねぇっつーの!』

 知らぬ間に燃え尽きた煙草を見て、すぐに次のものに火を点ける。

『あー、ヤバいヤバい、どうしよ。事前に入念に調べるんならともかく、アドリブじゃバレちまうだろうな……なんて言って切り抜けようかな』

 気づけば煙草の箱が空っぽになってしまい、ぐしゃりと握りつぶしたカヤノは大きな溜息をつきながら室内に戻っていった。


 カヤノが部屋に戻る頃には、稚姫とミズハはすっかり朝食を終え、洗い物を済ませた八田はガールズトークが再開される前に入れ替わりで庭へと出て行った。

 咳ばらいをひとつしたカヤノは、テーブルで待つ二人に向かい合って座った。

「アレだったな、オトコをどうやって陥とすかって話だったな」

 期待に胸を膨らませる二人の視線を居たたまれなくなり、カヤノはこの場から消えたい一心だった。

「ようするにオトコなんかちょろいんだよ。色仕掛けで一発だわな」

「く、口吸いより強引に行くってこと?」

「キスどころじゃねぇよ。押し倒して別のモノだって吸ってやりゃいいんだ」

 途端に顔じゅうを紅潮させて固まる稚姫と、さらに上体をテーブルに前のめりにさせるミズハ。

「オトコなんか無意識でも『おっ勃つ』ケモノみてぇなもんさ。姫様がいつも以上にくっついてやりゃピンピンでこれもんのイチコロよ」

「イザナギ様とイザナミ様もそんなことを……」

「当然、カヤノだって……まぐわいも知ってるんだよね?」

「あ、あ、当たり前だっつーの」

 カヤノは若干震える手で得意げに前髪を払う仕草をした。額には汗が滲んでいる。

「じゃあ、ワカちゃんがその下界の男性とお近づきになるには、どうしたらいい?」

「すっぽんぽんで添い寝でもすりゃいいんじゃね?」

「やめてよ、ミズハもカヤノも! あたしはもっと徳斗と一緒に素直に胸キュンしたいんだってば!」

「そうよねぇ、ワカちゃんは純愛派だからカヤノちゃんのアドバイスは参考にならないかもしれないわね」

 この流れに便乗して早々に立ち去ろうと目論んだカヤノは、好機とばかりに両肩をすくめる。

「そうだな、あたいじゃあんたたちお子ちゃまにはレベル高過ぎかもな」

 そこに玄関の扉をノックして八田が入ってきた。

 主人である稚姫に一礼してからスマートフォンを差し出す。

 それは徳斗からのメッセージだった。

 徳斗と八田は行動を共にする機会も多く、また八田も下界で隠密活動をするにあたってのスマートフォンを所有していたため、互いの連絡先を交換していた。

『とりあえず、じいちゃんの事は緊急じゃなさそうだから大丈夫。今日は戻るから。ワカ達にも伝えといて』

「やった、ミズハ。徳斗が帰ってくるんだ!」

「良かったわね、ワカちゃん。また徳斗様にお会いできるわね」

 よく分からないが、このまま静かに去ろうとしたカヤノの手をミズハが握る。

「せっかくだから、カヤノちゃんもこのまま残って徳斗様にお会いして? どうにも鈍くてらっしゃるのか、ワカちゃんの気持ちが届かないのよ。ああいうタイプの殿方にはどうアプローチしたらいいか、直接見てアドバイスしてあげてよ」

「んえっ? あっ……まぁ、しょうがねぇよな。そのボンクラにも姫様の良さが伝わるように、手伝ってやっか」

「ホント、カヤノ! じゃあ徳斗が来るまでもう少しお話ししよう!」

「その前にタバコ切れたから買って来るわ……」

 カヤノは全てを諦めたように、背を丸めて立ち上がった。



 陽が傾くよりも前の、早めの午後。

 徳斗は東京のアパートに帰宅した。

「ごめんな、ワカ。割とすぐ帰れて良かったよ」

「徳斗っ、おかえり!」

 急ぎ徳斗の元に駆け寄るが、ミズハとカヤノとの会話を思い出し、わずかに躊躇したものの、頬を染めながら思い切って彼の胸に飛び込んでみた。

 震える指先に力を込めると、彼の背中に回した腕ごと、ぎゅっとする。

「なんだよ、そんなに大した時間は空けてないだろ」

「徳斗様。お帰りなさいませ。お留守の間もお邪魔して、申し訳ありませんでした」

 ミズハに頭を軽く下げて、徳斗は自分のリュックサックから、買ってきた土産を手渡そうとしていた。

「あ、いいんすよ。お構いもできなくて、ワカの相手もして貰ってすみません。あのこれ、ワカと一緒に食べてください……ってアレ? お客さんが増えてる?」

 この場に居るのなら神様なのだろうが、見た目がヤンキーで火を点けていない煙草をくわえている強面の少女に、徳斗も表情にわずかな拒否感を浮かべる。

「こちらは私たちの友人のカヤノと申します。私と同じく出雲に発つまでお邪魔しておりますわ」

「えっと、こんなヤンキ……活発そうな子がワカやミズハさんの友達だったんすね。ちょっと意外な交友関係だったな、へぇ……そうなんだ」

「チッ、しょうーもねぇ下界の野郎だ」

 舌打ちをしながら毒づくカヤノだったが、何故か彼とは目を合わせようとしない。

「とはいえ、どうしようか。ワカとミズハさんだけだと思ってたから、土産もふたつしか用意してないし……あの、すいません。これ良かったらどうぞ」

 徳斗はリュックに入れた銘菓をカヤノの前にそっと置く。

 それを見たカヤノは、顔から火が出たかのように紅潮させて徳斗をじっと見る。

 その視線を恐れた彼はわずかに身を引いた。

『やべぇ……お土産がショボかったかな? 顔を真っ赤にしてヤンキーの神様を怒らせたみたいだぞ。だから俺はこういうオラオラ系の奴は嫌いなんだよ』

 鋭く睨むように目を細めていたカヤノだったが、実際は彼の瞳に焦点を合わせるのも恥ずかしいくらいに緊張していた。

『いきなり女子にプレゼントとか、やべぇほど女慣れしてるじゃねぇか……これじゃ姫様へのアドバイスどころか、あたいの方が惚れちまうよ……』


 一方の稚姫は、頬を膨らませて徳斗の肩を揺する。

「徳斗、なんであたしにはおみやげ無いのよ! 二人にばっかりズルい!」

「一応、お客さんなんだし友達だろ? ワカはまた別で焼きイモでもケーキでも買ってやるからガマンしろって」

 年下の少女のワガママをあしらうように、徳斗は稚姫の頭をぽんと叩いた。

 それを見たカヤノは、顔を隠すようにすると頬から耳まで紅潮させる。

『おいおい、姫様に……っていうか、女子に対して平然と頭ポンポンかよ。どんだけヤリ手で遊び慣れてるっつーんだ、あの下界の野郎は……姫様は純愛とか言ってたけど、もうとっくに夜な夜な手籠てごめにされてんじゃねぇの?』

 カヤノも隠れて読んでいた少女マンガの、憧れの展開に全身を悶えさせた。


 この日は徳斗も移動と気苦労で疲れていたのか、早々に三人とは別れて自室で休んだ。そんな彼のことを話題にしたガールズトークはさらに続く。

「どうだった、カヤノちゃん。徳斗様は?」

「えっ、はっ? あぁ、あんなイケメ……いけ好かない野郎は無いな。姫様の気持ちよさそ……姫様の気持ちもよくわからねぇ奴は、あたいが代わりに頭をポン……ボコしてやらねぇと目覚めねぇかもよ?」

「ちょっと、カヤノ! 徳斗には暴力しないでよ!」

 頬に片手を当てて考え込んでいたミズハは、表情を明るくすると手を叩いた。

「じゃあさ、カヤノちゃんにワカちゃんのお手本として、殿方へのフランクな接し方を実践してもらえばいいんじゃない?」

「はあっ? あたいが?」

「徳斗を誘惑したらダメだよ! 徳斗はあたしの大切な神職なんだからねっ!」

「私やカヤノちゃんだってそれくらいはわかってるわよ。カヤノちゃんは徳斗様との自然な会話の中でそれとなくワカちゃんの気持ちも伝えるの。これならどう?」

「お、お……お安い御用だっつーの。あたいがあの下界野郎の気持ちを、姫様に向けさせればいいんだな。もし間違ってあたいとそいつがねんごろになっても、後で文句言うなよ?」

「だから徳斗に手を出さないでってば!」

 やや硬い笑みを浮かべたカヤノは、大きく何度もうなずいた。

「当たり前だっつーの? あたいが姫様のためにガツンと言ってやっからさ……そんかわり、あいつと一緒のとこはゼッタイに見るなよ。あたいがオトコを落とす瞬間は特殊技術の専売特許だからトップシークレットだかんな」

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