4-3 神と人間の恋

 都内から電車を何本か乗り継いだ、片田舎の静かな町。

 徳斗はその町で唯一の病院の、病室のひとつに居た。


「なんだよ、じいちゃん。元気そうで良かった。おふくろの電話だと、ちょっと危なそうだって……」

「全然、危なくないわ。少し転んで骨が割れたくらいで大げさに」

 徳斗の母方の祖父は、腰を固定された状態でベッドに臥せっていた。

 聞けば、社の軒先の煤払いをしていた時に、脚立から落下し腰を痛打したらしく、救急搬送されたところ、骨盤にヒビが入ったと診断されたようだった。

「とはいえ、じいちゃんくらいの歳になると骨ももろくなるし、治りも遅いし、リハビリも大変だよ。大事にしてくれよ」

「まったくだ。さて、神社の方はどうするかな。これじゃ管理もできないぞ」

「つってもさ、たいした祭りも祈祷もない寂しい鎮守さまなんだから、無人運営でも充分じゃないの?」

「お祀りしている神様をないがしろにはできないだろう」

 もちろん、この事故を理由に祖父は引退を決意した訳ではない。

 治療に時間はかかるだろうが、まだ自分は神学校の学生の身分。

 祖父の後をすぐに継ぐとは、彼も言い出せない状態だった。

「ところで、徳斗よ。わしの言うことを聞いて神職の道に進んでくれたようだが、本当にお前が跡を取ってくれるのか? 求人を出せば、代わりの神職を探すことも出来るんだぞ?」

「そうだね。俺が資格を取っても、他の社で奉職することも出来るし……でも今は、じいちゃんが入院中の神社のことを考えるべきだと思うけど」

「いずれにしても、早く決めた方がいいと思っておる」

 祖父の言葉に、徳斗も頭を掻いた。

 なにせ、既に気分屋で手のかかるお天気娘の神様を面倒みている、とは言い出しにくい。

「なんつーか、一番気になるのって……さっきも言ったけど、もう、例大祭もないし祈祷もないし、せいぜい夏休みにラジオ体操したり町内会で草刈りするくらいじゃん。ホントに必要とされてるのかな、って考えちゃうんだよね」

「でも、子らの成長を見守り、高齢の住人が手厚く詣でる。鎮守はそういうものだ」

「それが鎮守っていうんなら、神様だって住みたくなくなるような気もするんだよな。ないがしろとまでは言わないけど、お世話されてるなって感じがしなくない?」

 若者が都心に移り人口が減るなかで、集落の人々の信仰も薄くなっているのは、祖父も実感していた。

 祖父も大きな社のように、神職として常駐しているわけではない。

 普段は近くの住居に暮らし、田畑を耕したり、村の子供たちの面倒を見るといった普通の生活の中で、神社の維持管理をしている程度だ。

「ヘンな言い方だけどさ、御霊みたまを返して社をたたむのもアリじゃないかな?」

「だとしたら、それをわしが生きているうちはできないな。神様に失礼になる。それならお前はなぜ神道の大学に進んだというのだ?」

 自分で御霊返しを言い出しておいて、進路についての祖父の問いには明確に答えられない徳斗は苦々しくうつむく。

「そうだよな……俺自身の気持ち……じゃあまだ、すぐにどうこう決めなくていいよね。じいちゃんが治るまで一緒にゆっくり考えようよ」

 それからしばらくして、病室での会話を切り上げた徳斗は病院を出ていく。


 病院前のバス停から乗り合いのコミュニティバスに乗車すると、祖母の待つ母方の実家にやってきた。

「ばあちゃん、来たよ」

「あらあら、いらっしゃい。遠い所からご苦労さんだね、のりちゃん」

「病院に行ったんだけどさ。なんかじいちゃんも元気そうだから俺も安心したわ。そんなに長居しないで帰るからさ」

 客間に荷物を置くとまた玄関で靴を履いて、歩いて程近くの祖父が管理する神社に向かう。


 周囲を覆う樹々も無い開けた小高い丘に続く石の階段の先にある、小さな社。

 日頃は祖父が管理しているのであろうおかげで、清掃は行き届いていたが、寄進も賽銭も無いのか、社のあちこちは綻びが目立った。賽銭箱を覗いてみてもわずかな硬貨が見られるだけだ。

「こんなほったらかしで鎮守様か……じいちゃんも神様も気の毒にね」

 この社を継いで、自分がここの神職に収まったとして、人生に何の彩りがあるだろうか。自分が神職の道を選んだのは、こんな寂れゆく神社をただ守り続けることなのだろうか。

 この神社が朽ち果てるまで、自分の人生はここに縛られてしまうのか。

 でも、いま日本中にこういう社がたくさんあるんだろう。

「改めてここに来たけど、あんまり楽しそうな生活じゃないな」

 そこでふと、出会った直後の稚姫の声が脳裏に浮かぶ。

『ここがこれからは、あたしの社になるから、よろしくね』

「あ、そっか。ここもワカの社か。いずれにせよワカに悪いよな。こんな風になってたら、そりゃ郊外の安アパートでも来たくなるわな」

 いつの日か、彼女が立派な太陽神になってお別れが来た時のために、下界の神職として自分がこの社を盛り立てることもできるだろうが、それが果たして何年後なのか何十年後なのか、自分の生前に叶うのかは今は知れない。

「ワカの性格じゃ、あいつが立派な祭神になる前に、俺が祖霊舎それいしゃの御霊になってそうだわ」

 思わず自分の想像に苦笑すると、人の姿がない静かな境内をぼんやりと考えながら徘徊する徳斗だった。



 一方、その頃。

 都内のアパートにて。

 稚姫とミズハによるイメージトレーニングはまだ続いていた。

「じゃあ、ワカちゃん。もう一度『口吸い』って十回言って」

「えーと……口吸い、口吸い、口吸い、口吸い、口吸い、口吸い、口吸い、口吸い、口吸い、口吸い」

「だいぶ慣れてきたじゃない。じゃあ次は『徳斗、大好き』って十回言って」

 その時、玄関の扉がノックされて八田とトヨウケが入ってくる。

「あら、ミズハちゃんひさしぶりね。どうしたの、口吸いって。男に飢えてるの?」

「トヨウケ様、ご無沙汰しております! 私じゃなくてワカちゃんがどうしても徳斗様と口吸いを……」

「ちょっと、ミズハ! こいつの前で何を言ってるの!」

 本性剥き出しの荒御魂のようなガールズトークに、八田は居心地悪そうにトヨウケの用意した食材をキッチン近くに置いたら、早々に部屋を立ち去った。

 一方の稚姫は大型の肉食獣を懸命に威嚇する小動物の如く、今の話を早々に忘れるようトヨウケを睨みつけるが、そんな彼女をミズハが諫める。

「いいじゃない、ワカちゃん我慢しなよ。やっぱりこういう事こそ、トヨウケ様にご相談しないとダメよ」


 いつものお茶をするためのアンティークテーブルを囲む椅子にトヨウケも座り、女子三人での座談会が始まった。

 ミズハはこれまでの一部始終をトヨウケに伝える。

「ふぅん。つまり、姫様はあの坊やとキスをしたいってことね?」

「そうじゃないよ! 別に徳斗じゃなくて、もし男の人と口吸いをしたらどうなのかなって単純に思っただけだってば!」

 トヨウケは不敵な笑みを浮かべ、唇を舌でぺろりと舐める。

「姫様はホントにキスだけでいいの? 全部を坊やに捧げたりしたくないの?」

「ぜ、ぜんぶって……何よ?」

「わかってて聞いてるんでしょ? 女の子の一番たいせつなものよ」

「ぎゃーーーーっ!」

 途端に耳をふさぎ顔を真っ赤にして卒倒する、水蒸気と烈日の娘たち。

「あら、わたくしだって坊やの唇に奇跡を分けてあげたわよ。そんなのは大したことじゃないわ」

 それを聞いた稚姫は、トヨウケの両肩に掴みかかった。

「ずるい! あたしだって、まだしたことないのに! 何を勝手にしてるの!」

 トヨウケは肩を掴む両手を優しく払いながら稚姫を諭す。

「だから言ったでしょ。奇跡を分けただけだって。ならば姫様もあの坊やとキスするんじゃなくて、神として民に奇跡を分けてあげるって思えばいいじゃない」

「……それで徳斗との口吸いはどうだったの?」

「さぁどうかしら。姫様ご自身で試したらいいんじゃないの?」

 老獪な笑みと共に、立ち上がるトヨウケ。

 すると何かを思いついたのか、彼女は指を鳴らす。

「だったら、あなたたちに丁度いい相手が居るわ。彼女も出雲の合議に出発する前だから、ここに寄るように伝えておくわね」

 ウィンクしたトヨウケが退室した後も、二人は呆然と視線を絡ませていた。

「……ちょっと、一旦落ち着いたほうがいいわね、私たち」

 ミズハの提案で、息抜きのため庭に出た。


 サツマイモ畑は、徳斗と八田が作った家庭菜園用の小さな温室ハウスに守られていた。

 二人とも静かにしゃがみこんだまま、作物を愛でる。

「ねぇ、ワカちゃん」

 落ち着きを取り戻したミズハは、水の神らしく清々とした声で語り掛ける。

「ワカちゃんが太陽を上手く制御できないと、私も下界の水の量に苦慮してるのよ。トヨウケ様のお話はちょっと難易度が高いから、最初の話は無かったことにして、無理に背伸びしてオトナにならなくても、もっと視野を広く太陽神として下界で出来ることを考えましょうよ?」

「うん……でも徳斗も教えてくれたけど、すごく難しいの。太陽が弱すぎても作物が育たない。強すぎても枯れちゃう。ずっと真夏みたいだと冬の野菜が育たないし、夏に元気がないとお米とかが育たないし」

「正解はひとつじゃないわ。そもそも私たちは荒魂あらたま和魂にぎたまの両方があるんだから。この二面とも上手く制御できるようになったら、ワカちゃんは立派な太陽神になれるわよ」

 稚姫は、温室の中にある小さなサツマイモの葉をそっと撫でる。

「あたしは姉上みたいに、下界や作物に優しい太陽にはなれないのかも……」

「自信を失っちゃダメだわ。ワカちゃんが太陽としてずっと下界に優しくある必要は無いのよ。太陽が強く照っても、私が雨を降らせたり地下水を湧かせることも出来るんだから。逆に水が少なくても、ワカちゃんが太陽を抑えてくれることだって出来るんだし、そこはそれぞれの神威のバランスよ」

「……あたしの代わりが出来るんだったら、ミズハがやってよ。どうせ、あたしなんて何にも上手くできないんだから」

 稚姫は徳斗との距離を縮めるのも、太陽神としても、すっかり自信を失くしたようで、まだ見ぬオトナの世界のハードルの高さに困惑していた。

 数々の修行や苦難を越えた先に、神々は精神世界に君臨する崇高な存在となる。

 決して自分もまだまだ立派な神ではないが、それを共に越えようという友人としてのアドバイスも彼女には届かないようで、ミズハは溜息を漏らす。


 太陽神としての修行も大事なことだが、もっと核心を突くべき重要な話題に、先程よりも神妙な面持ちでミズハが続ける。

「あとね、もうひとつワカちゃんに聞きたいのよ」

「なに?」

「その、徳斗様のことなんだけど」

「徳斗がどうしたの?」

「私たち、神族はゆっくりと年齢を重ねるでしょ? ワカちゃんが一緒に居たいって望んでも、たぶん徳斗様は、せいぜいあと八十年くらいしか生きられないのよ。下手したらもっと短いかもしれないわ。それでもいいの?」

 痛い所を言い当てられたのか、稚姫の顔は明らかに悲壮感を湛えた。

 彼と過ごす日常のおかげで忘れていたとも言えるし、敢えて意識しないようにしていたとも言える表情だった。

「だって、徳斗がそばに居ないなんて考えられないんだもん」

「ワカちゃんが修行を終えてアマテラス様のお手伝いに戻っても、けっきょく徳斗様とはお別れすることになるのよ。あれもこれも、というわけにはいかないわ」

「……あたしの社に徳斗も神職で連れていく」

「下界でお勤めするご命令だったらそれでもいいわ。でも天上界だったら、どうするの? まさか徳斗様の御魂を天に上げるわけにはいかないわよ」

「……そうだよね」

 ミズハは落胆する稚姫の背中にそっと手を添える。

「だからこそ、ワカちゃんがキチンと徳斗様にいまの自分の気持ちを伝えないと。あとで後悔しないためにね」

 鼓舞して友の背中を押すつもりだったが、まだ肝心の稚姫は躊躇をしていた。


 日没後。

 夜目の利かない八田と、太陽神である稚姫は就寝が早い。

 同じベッドに並んで横になるミズハは、悶々と考え続ける。

『こんなにワカちゃんが悩んでいるなら、私が頑張らないといけないかしら?』

 では、具体的にどうやって頑張ろうか。

 それを考えるに、やはり友の懸念事項は、あの下界の民の青年であろう。

 彼がどっちつかずの態度で稚姫に接しているのが、問題のようにも思えた。

『これはワカちゃんより徳斗様をなんとかした方がいいような気がするわ。だいたい徳斗様が堅物で鈍感すぎるのよ。もっと恋愛をオーラルに楽しむ感じが欲しいわ。それにはどうしたらいいかしら?』

 ミズハは考えを進めるように、静かに寝返りを打つ。

『ようするに、私が徳斗様を焚きつければ、自然とワカちゃんに目がいくようになるはずよね』


 隣に眠る友のために、少し年長のお姉さんとして出来る事を――。

 ミズハはまだ早い夜の時間を潰すように、あれこれと思案を続けていた。

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