第4柱 水のように清らかなミズハノメさん

4-1 徳斗が好きなの?

 暦はまもなく十一月となる、日曜日。

 仲直りしてからはすっかりと元の様子に戻った稚姫も、決して普段から落ち着きがあるとは言えなかったが、彼女はいつも以上にそわそわとしていた。

 アパートの門の前に立っては周囲を見渡す、という行為を日に何度もする。

 八田とともに共用部の掃除をしていた徳斗も、頻繁に右往左往する稚姫の姿を見ると作業に集中できずにいた。

「なんだよ、ワカ。何か宅配便でも届くのかよ?」

「違うの、あたしのお友達が遊びにくるから、待ってるんだよ」

「ふーん、お友達の神様か……」

 次の変態はどんなジャンルの変態なのか――。

 もはや驚くでもなく、徳斗には特段の感情も無かった。

「それにしてもワカは、下界に居る神様の友達ってけっこう多いんだな」

「違うよ。その子はいつも天上界にいるの。出雲に行く前に、ここに遊びに来る約束をしてるの」

「あぁ、そういえばもうじき旧暦の神在月かみありづきだもんな」


 神在月には出雲に全ての神々が集結し、一大会議が行われるというのは神話に伝わる話だと徳斗も思っていた。

 ところが、実際に行われているというのには彼も素直に関心した。

 本来なら神職を目指す者としては、もっと全身全霊で驚くべき、もしくは礼賛し畏敬の念を覚えるべきなんだろうが、彼の進路や大学での授業にも差し障りがあるほどに、稚姫や他の神々と接することに慣れてしまっていた。

「でも、神様なら道に迷う事も無いだろ。そのうち来るんじゃないか」

「ミズハはちょっと、おっちょこちょいなんだよね。だいじょうぶかな?」

 あの稚姫におっちょこちょい呼ばわりされてしまったその神には、徳斗もわずかに同情の念を寄せる。

「そうだ、徳斗! その前にちょっとこっち来て!」

 今度は彼の右腕に掴まり、ぐいと引っ張る。

「おい、まだ掃除が終わってねぇんだけど」

 先日、仲直りをしてからというものの、何かにつけて稚姫が触れてくる事が多くなったが、以前のスキンシップとは異なり、なんとなく私物化されているような錯覚すら感じる徳斗だった。


 彼女が連れてきたのは、庭の一角。

 トヨウケから分けて貰った種イモを植えたところだった。

「おイモの芽が大きくならないよ。どうしたんだろ?」

「なにか育て方に間違いがあったかな? 調べてみるか」

 さっそく彼はスマートフォンでサツマイモの育成方法を検索していく。

「あらら、そもそも植える時期が悪かったかもな。秋冬に収穫するから、本来は春に植えるらしいんだわ」

「おイモはどうなっちゃうの?」

「育てるにはもう少し気温が高くないとダメだってさ。温室にするしかないかな?」

「じゃあ、頑張ってお祈りするね」

 稚姫は膝を折り、地面にある小さなイモの芽や茎に向けて祈り出す。

「ワカが日課にしてるイモ畑への祈りも、ここ最近は調子よくて、太陽も安定してるから、これ以上は無理に働かせなくてもいいんじゃないか?」

「でも、おイモたくさん採れたら人間も嬉しいでしょ?」

「うーん、そうなんだけどさ。それだけじゃないんだよな。例えば真冬に南半球みたいな真夏になっても困るんだよ。前にトヨウケさんの農場で見たろ? 冬の寒い間によく育つ野菜もあるからな。太陽にはそれ相応の活動に適した季節ってのがあるんだからさ。単純に俺たちが植える時期を間違えたってだけだよ」

「太陽って難しいね」

 稚姫はしょんぼりと肩を落として、足元の小さなイモの葉を眺める。

「太陽が難しいってよりは、それに合わせて作物を育ててる人間の方が大変なんだけどな……まぁ、最近は天気も気温もいい感じだし、雨も前よりは少なくなってきたからさ。ワカが上手くやってくれてる証拠だよ」

 徳斗はしゃがみ込んだ稚姫の肩が低すぎたので、丁度よい高さの頭に手を乗せた。

 それは先日読んだ少女コミックにあった、主人公のヒロインが落ち込んでいる時に男子がしてくれた胸キュン場面、『頭ぽんぽん』を思い出させた。

 途端に彼女は顔を真っ赤に紅潮させる。

「うわ、あっちい! なんだよ、これ!」

 突然、太陽は刺す程に鋭い真夏のような光を放ち、徳斗も皮膚が日焼けしたかのような痛みに似た錯覚を感じた。

「ワカ、落ち着けって! ホントに真夏みたいになっちゃったじゃん!」

 稚姫は興奮して上気した自分の顔をぱんぱんと叩くと、降り注ぐ光線は落ち着き、太陽は薄い雲に隠れていった。

「おい、だいじょうぶか、ワカ。太陽を制御するって言っても、ゆっくりでいいんだからな。あんまり急いで無理はすんなよ」

「……うん」

「とりあえず、八田さん。これイモのあたりだけ温室にしよっか?」

 八田はうなずき返し、さっそく外出の支度をする。

「またホームセンターにお買い物に行くの? あたしもついていく!」

 今度は急にまた元気を取り戻して抱きついてくる稚姫に、徳斗も彼女のお天気ぶりに呆れる。

 やはり自分には年頃の女の子の気持ちはよくわからない――。



「あのぉ、ごめんください……」

 その時、アパートの門から大きなトランクケースを持った一人の女性が声を掛ける。

「あっ、ミズハ! 待ってたよ、ミズハ!」

 稚姫は徳斗の身体から離れて、女性に向かって駆け出していく。

「まぁ、ワカちゃん。お久しぶりね」

 ミズハと呼ばれた女性も、両手を広げて再会を喜ぶ。

「ワカ、もしかして友達のお客さんの神様って、この人……っつうかこの柱? でいいのかな、呼び方は……ともかく、この方がそうなのか?」

「そうだよ! あたしのお友達でミズハって言うんだ」

 徳斗は軽く会釈をし、八田が深々と一礼する。

「ミズハ、この人間が下界であたしと一緒に暮らしてる、徳斗だよ!」

 一応アパートの部屋は別々だし、神様と神職という関係であったはずなのに、まるで、さも同棲をしているような語弊のある言い方に彼も引っかかったが、敢えていま否定するタイミングでもないので黙っていた。

「原井徳斗様ですね、はじめまして。私は高天原の神ミズハノメと申します。しばしの間こちらにお邪魔いたしますが、どうぞよろしくお願いいたします」

 年の頃は稚姫よりも上、徳斗とは同い年くらいに見えた。

 彼女が纏うのは淡い水色のワンピース。

 腰のあたりまである長い黒髪はストレートではなく、まさに水の女神のごとく、清水の湧き出る渓流のように緩やかに波打ち、艶やかに陽光を反射していた。それに相対する透き通った肌は、まるで雪のように白い。

 その声は澄んだ水音のように玲瓏れいろうとしている。

 優雅に礼をする所作は高貴な家系のお嬢様といった風情で、天真爛漫で少しガサツな稚姫や、妙な色香を振り撒くトヨウケに慣れていた徳斗もわずかに緊張して、彼女の容姿を見ていた。

「それで、ミズハさんと一緒にワカも出雲の神在月の会議に……」

「それにしても久しぶりよね。ワカちゃんも元気そうでなによりだわ」

 徳斗の疑問は再開を喜ぶミズハの発言によってかき消えた。

「あたしのこと、ワカって呼んでくれるのはミズハと徳斗だけだもんね」

「まぁ、そうなの? ご立派な神職を見つけたわね」

 相手が四貴神なら、おいそれと呼び捨てなど出来ないだろうし、二人の交友関係を思うに、稚姫とミズハはかなり親しい間柄なんだろうと、納得した徳斗がうなずく。

「あー、じゃあ買い物は俺と八田さんで行ってくるから、ワカはミズハさんと一緒にくつろいでてくれよ」

「そうだ、お買い物いくんだった。ミズハも一緒に来る?」

「いま到着したばっかで疲れてるだろうし、悪いだろ? ワカは留守番な」

 残念そうに頬を膨らませるワカを見て、ミズハもころころと笑う。

「お優しい方ですね、徳斗様は。でも、せっかくだから私もワカちゃんとゆっくりお話したいわ」

「そうだね……じゃあ、あたしはミズハと留守番してるから!」

 唐突にミズハの手を引き、アパートの自分の部屋へ案内する稚姫。

「あっ、待ってワカちゃん。私の荷物が……」

「ミズハさんの荷物は俺が持ってくからだいじょうぶっすよ」

 動き出した稚姫を見て、ミズハのトランクケースは徳斗が既に運んでいた。

「八田さん、ふたりにお茶だけ出してあげてよ。俺はそれまで待ってるから」

 彼の提案にうなずき、主人の部屋に向かう途中、八田は振り返る。

「……お前も気が利くようになったな」

「まぁね。しばらく一緒に居たら、八田さんのこと、わかるようになってきた」

 そこは自分ではなく姫様であろう――彼の発言を否定するように肩をすくめた。



 徳斗と八田はホームセンターへと外出した。

 庭のイモ畑を温室にするため、ハウス栽培キットを買い求めるためだ。

 その間、稚姫の部屋では彼女とミズハが談笑をしている。

「ワカちゃん、太陽神の修行はどうかしら?」

「やっぱり難しくて、うまくいかないの。もっとしっかりしないといけないんだけどさ。徳斗は慌てなくていいよって言ってくれるんだけど……でも徳斗ってすごい物知りでね。真冬に育つ野菜もあるから、下界にも暑さ寒さが必要みたいでいつも元気な太陽じゃいけないみたい。ホント奥が深いんだよね」

 ミズハが室内を見回すと、書棚には相当な冊数の少女コミックが置かれている。

「ワカちゃんは下界に居る時は、こういうの読むの好きよね?」

「読んでると胸キュンってしちゃう、切ないのが好きなんだよね」

「ワカちゃんが立派な太陽神を目指しても、どうしてもアマテラス様を頼っちゃうなら、もっと一人前というかオトナとしての気持ちを知るべきじゃないかしら?」

 ティーカップに淹れられた日本茶を飲みながら、ミズハは笑顔を向ける。

「さしあたって、あの徳斗様とはどうなのよ?」

 突然振られた質問に稚姫はまたも顔を真っ赤にして、震える指でカップを持つ。

「徳斗は、すごい大切な神職だし、そばに居てくれると安心するし、いつもあたしの心配してくれるし……」

 稚姫は視線を落として小声でぶつぶつとつぶやきながら、カップを傾ける。

 緊張のせいか、ごくりと喉を鳴らして日本茶を流し込んだ。

「ワカちゃんの気持ちは伝えたの?」

「でも、あたしの気持ち……よくわかんない。徳斗のこと考えるとドキドキしちゃうんだけどね」

「それは好きってことじゃないの?」

 稚姫は顔じゅうを紅潮させると、ミズハに向かって声にならない声で口をぱくぱくさせる。

「あ……あたし、徳斗のこと好きだったの?」

「知らないわよ。それはワカちゃんの気持ちじゃないの?」

「そっか。あたしって徳斗のこと好きだったんだ……」

「そうじゃなかったら、いくらワカちゃんでも神職の前に堂々と人間の姿で顕現したりしなかったでしょ?」

「最初から人間として下界に降りたけどね。姉上からは『民の暮らし向きを見ろ』なんて言われてたから。でも徳斗に会った時は、嫌な気持ちしなかったけど……」

「お若い神職ですものね。ワカちゃんが羨ましいわ」


 神々のガールズトークはさらに盛り上がっていく。

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