1-3 艶めかしいトヨウケさん現る

 暗然とした室内に設置されたスクリーンに、仰々しい音楽と共に『劇終』の文字が浮かび上がってきた。

 映像が終わり、八田が部屋のカーテンを引くと、窓から差し込む明るさでまた昼間の室内に戻っていった。

「ん? なんで俺は自己紹介ムービーを見せられてんだ?」

 加えて稚姫の回顧だというはずなのに、たまに第三者視点であったり、細かいカメラ割りや豪華なBGMやナレーションがついていたのには、敢えて何も突っ込まない徳斗であった。

 中学生の映画研究会のレベルと呼ぶにはむしろ、技術的にはプロ並みの立派な映像なのだが、この映像を通じて話を信じろというのには、まだ彼も懐疑的であった。


「……ってことで、あたしは立派な太陽神になれるように、下界で頑張るために来たんだよ」

「ふーん……それにしたって太陽ならもう出てるだろ。別にお前が太陽神にならなくても立派にやってるじゃないか」

「それは姉上が頑張ってくれてるからなの」

「じゃあお姉さんが立派な太陽神になってるじゃないか。良かったな」

「姉上に負けないくらいの立派な太陽神にならないといけないの」

「お姉さんと張り合わなくても、別の道を模索するのも手じゃないか? きょうだいのケンカってのは、いつでも年上が有利なもんなんだよ」

 そう言われるなり、稚姫は突然に肩を落として表情を曇らせた。

 神を自称している映画研究会のエキセントリックな娘だと思っていたが、さすがに追い詰めすぎて中学生を泣かせてしまったかと、徳斗も若干動揺する。

「あたしだって、はやく一人前の太陽神として頑張りたいのに……急にこんな下界に放り出されて……」

 急にふさぎこんだ彼女の様子を見て、思わず言葉を失くして互いの顔を見合わせる徳斗と八田。

「放り出されたって、お姉さんからしたら修行なんだろ? そしたら立派に学生として勉強して成績を上げるとか、世間の金銭感覚や常識を学んでいくとかだな……」

 会話の途中で黒服の八田は徳斗の肩に大柄な手を置くと、首を振る。

 彼女の言うことはまだ到底納得できないが、隣にいる謎の執事は特段ふざけている雰囲気ではなく、単にお嬢様が社会勉強をするといった、そういう簡単な話では無さそうだというのは理解できた。

 徳斗は頭を整理するためカップに淹れられた日本茶を飲む。

 確かに中身は上質なものらしく、得も言われぬ香りが鼻腔を抜けていった。


 そこで部屋のインターホンが鳴る。

 空室のはずのここに来客があるとは一体どういうことかと、徳斗は席を立つと玄関に向かった。

 扉を開けると、妖艶な美女が段ボールを抱えて立っていた。

 ストレートではないわずかなうねりを持つ長い黒髪は、その身に纏う洋服の一部のようであり、身体の曲線にぴったりと張り付いているタイトな黒のドレスを着ているが、胸元のあたりだけはメッシュ地のように地肌が透けており、まるで段ボールに乗せていたのかと見間違うような、豊かな胸の谷間が視線に飛び込む。

「あの、ここは空室っすけど……いや、俺がいますけど管理人なんで。ここは間違いなく空室なんですけど」

 美女は手前の徳斗ではなく、部屋の奥にいる稚姫に向けて声を掛けた。

「ごぶさたね、姫様。また下界に戻られたのね?」

「えっと、あの、どちらさま……ですか?」

 徳斗の目線が胸に集中しても気にするでもなく、美女は靴を脱いで上がってきた。

 だが、突然に現れた美女を稚姫は鋭く睨みつけている。

「はい、お待たせ。八田、これ来週分の食材ね。よろしく」

 八田は深々と一礼し、段ボールを受け取った。

「おい、ワカ。こちらの美人さんはどなた?」

 彼女の素性を聞こうとする徳斗に対し、美女は突如として身体を寄せ付けてくる。

 徳斗の耳元を優しく撫でながら、スリットの入ったドレスから白く細い脚を出すと、右の足首を彼の左の下肢に絡ませてきた。

「わたくしはトヨウケ。姫様の召し上がる食材を用意してきたのよ」

「そうっすか。ありがとうございます……なんかいろいろと」

 彼女が喋るたびに耳に吐息が掛かり、柔らかで豊満な胸の感触が押し寄せてくる。

 すぐ間近の美女を見て、徳斗の心拍は乱れ、顔を紅潮させていた。

「もういいよ。八田が受け取ったから、早く帰ってよ」

 稚姫はむすっと眉を寄せると、頬を膨らませて、あらぬ方を向いて言い捨てる。

「あら、姫様。ちゃんと栄養のある食事をされないと、こんな風に胸も育たないわよ?」

「あんたみたいに大きくなるのは、これからだっての。ほら、はやく帰って!」

 小さく肩をすくめて玄関へと向かう美女だったが、すれ違い様に徳斗の頬をそっと撫でて微笑を浮かべ、そのまま退室していった。


「なぁ、あの人はいったい?」

「ご飯を用意してくれるトヨウケだよ」

「ははぁ、太陽神のお姉さんとワカ、トヨウケさん、ヤタガラスの八田さんね……だんだんわかってきたよ、俺は」

「あたしの居場所まで奪ったくせに!」

「あの美人さんに、その天上界とやらを追い出されたのか?」

 それには小さく首を横に振る稚姫だったが、思い出しても腹が立つ、という様子で喚き散らす。

 それはもちろん徳斗ではなく、トヨウケに向けての一方的な怒りであった。

「違うよ! もともと姉上の下界活動用の社のすぐ隣にあたしが住んでた社があったのに、あたしは姉上の命令で追い出されて天上界に帰ってさ。それなのに、あたしの代わりにあいつが、ちゃっかりそこを社にしてるんだもん。理由を聞いたら、あいつが姉上にいつも美味しいものをお供えしてくれるからって」

「あぁ、さては伊勢の外宮の話か」

 徳斗は何の話題かすぐ合点がいったように、手をぽんと叩く。

 稚姫はむくれていた顔をぱっと明るくして徳斗に向き直った。

「へぇ、徳斗は下界の社のこと詳しいんだね」

「母方の実家で管理してる小さな神社の跡を継ぐ予定なんだよ。俺は次男なんで、こっちの跡取りは兄貴に任せて、俺は神道しんとう系の大学に通っているの。日本神話だったらぼちぼちわかるぜ。それにさっきのムービーでもお前が言ってたろ」

「じゃあ、ちょうどいいや。徳斗が神主さんでいいじゃない。それで今日からここがあたしの社ね」

「はあっ? こんなただのアパート、社なら母方のじいちゃんがいる神社に行けばいいだろ。ワカも元々はじいちゃんの客なんだろ?」

「だってちょっとオンボロで汚いんだもん。信仰してくれる人も少ないし。まだ徳斗の居るこっちのアパートの方がきれい」

「しょうがないだろ、じいちゃんは高齢なんだし、町の住人も過疎で減ってるんだから、誰も管理できてないんだよ」

 失礼な物言いだとは徳斗も思ったが、彼女らは確かに祖父の名前を知っていたし、なぜ祖父の神社の現在の様子まで知っているのか、と腑に落ちなかった。


 やはりこの連中が本当の神様なら、とんでもない事態に遭遇しているのかもしれない――と思いつつ、どうにも人間臭い彼女らの様子を見ていると、頭が春めいた連中に絡まれているようにも感じて、まだ状況が整理できずにいた。

「しっかし……それで俺にお前の社の管理ってどうしろってんだよ。まだ学生だから修祓しゅばつも勉強中だし、祭祀さいし装束しょうぞくも持ってないし、かしこみかしこみ申せないぞ」

「今までとおんなじように、あたしが暮らすここの管理をしてくれればいいよ。八田にもお掃除とかゴミ出しを手伝いさせるから、迷惑にはならないよ」

「とはいえ、空き部屋に勝手に住まれても困るから。友達が転がり込んできたってことにしとくから、家賃は払ってくれよな。親父に伝えないと言い訳にもならないし」

「お金?」

 きょとんと瞬きを繰り返す稚姫に、徳斗も苛立ちを隠さなくなった。

「アホか。お前がお金を知らないわけねぇだろ。神様やってたなら賽銭くらい集めてただろ?」

「あたしが下界に居た頃は、まだお供え物はお米とかの物納だった」

「じゃあこの家具や壁紙をどうやって揃えたっていうんだ。空き部屋だから水道も電気もガスも止まってたのに、どうやって通したんだよ」

「手伝ってくれる下々の神はいくらでもいるから、電気もガスも点くの」

 頭を抱えていた徳斗は、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

「ちょっと俺、なんだか頭が混乱して痛くなってきたから、少し昼寝するわ」

「帰っちゃうの?」

「帰るもなにも、このアパートが俺んちだっての。とりあえずどっかに引っ越すまで空き部屋を貸してやるから、他の住人にバレないようにおとなしくしてろよ」

 手を振る稚姫と頭を下げる八田を後目しりめに、階上の自室に戻った。


 だがしばらくして、徳斗は外階段の金属手すりを軋ませながら、せわしない足音とともに駆け降りていく。

 ふたたび彼は稚姫の部屋の扉を開けた。

「そうだ。お前が本当に太陽神だってんなら、ちょっと手伝って欲しいんだよな」

「いいよ。ついにあたしも神として加護を発揮する時がきたね」

「おう。せいぜい俺に神威を見せつけてくれよ」


 徳斗が手招きして呼び寄せたのは、彼が暮らす二階の部屋だった。

「おーっ、ここが徳斗の部屋かぁ。ちょっと男臭いね」

「構わないだろ、それは。いいから、これをなんとかしてくれないか」

 窓の外にある小さなベランダには洗濯物が干してある。

「それこそ、最近は太陽が出る時間が無くてさ。なかなか乾かないんだよ。これじゃ畳んで仕舞えないから、ワカの力で乾かしてくれないか?」

 八田が並んで吊るされた徳斗のシャツやズボンを触る。

 薄手の衣類はおおむね乾いているが、裾や丈の生地が厚いあたりは、まだしっとりしていた。

「やだ、あたしが徳斗のパンツとかも抱いて温めるの?」

「そうじゃねぇよ。太陽神なら雲をどかして太陽を出すなり、少し気温を上げるなりして乾かせるだろ」

「姉上の妹のあたしの力なら、こんなのお安い御用だよ!」

「ワカが嘘ついてないって、ちゃんと太陽神の力を証明してくれよな」


 稚姫は室内からベランダを向くと、目を閉じて両手を組み、祈り出す。

 しばらくすると雲に阻まれ太陽の見えなかった曇天の空には、黒い雲が垂れ込め始める。

 彼女が祈り続ける間も、空はおもむろに薄暗くなっていった。

「おい、なんか逆に雲が増えてきたぞ。だいじょうぶかよ」

「ちょっとお祈りの最中は静かにしてて」

 稚姫はさらに眉間に力を入れて、祈り続ける。

 すると上空では黒雲から雷鳴が唸りだす。

「なぁ、ワカ。雨の加護じゃなくて太陽の方だぞ。太陽をもっと強くしてくれってば」

 やがて、ぽつぽつと雨粒の落ちる音がベランダに伝わると、それは一気に降り出した。まるでゲリラ豪雨のように、雨は見る間に激しくなっていく。

「大変だ! ちょっと八田さんだっけ? あんたも手伝ってよ!」

 男二人は慌てて洗濯物を取り込んでいく。

 わずかに湿っていただけの衣類は、すっかりと洗濯後のように戻ってしまった。


 徳斗も八田も頭から肩までをたっぷり濡らし、乱れた髪を後ろに流す。

「おい! どうなってんだよ、ワカ!」

「上手くいかなかったね、ごめんね徳斗。でも水もしたたるいい男になったよ」

「冗談で済ますのか? これは水に流せないけどな、俺は」

 その間も八田は主人の失敗をフォローするかのように、黙って濡れた衣類をキッチンで絞り、手際よくハンガーで風呂場に吊るしていく。

「お前、ホントに神様なのかよ?」

「そうだってば! ちょっとうまくいかなかったけど、次はうまく出来るし!」

「ホントかよ。全然力も無さそうだし、技も使えないし、俺はやっぱ信じらんないね」

「でも、ホントにあたしには太陽を司る力があるんだから……」

「そう言ってるけど、まだ何も神様らしいこと出来てないだろ? このままじゃ太陽神どころか雨雲の神様だぜ。お姉様に進路相談した方がいいんじゃないのか?」

「……ごめんね。あたし、帰る」

 稚姫は肩を落として、とぼとぼと玄関に歩いていく。

 濡れた洗濯物を風呂場に並べ終えた八田は、一礼して彼女の後を追って出た。

「ちょっと言い過ぎたか?」

 彼女が本物の太陽神かどうかは曖昧なままとなったが、いささか、年端のいかない少女をいじめてしまったみたいで、徳斗は気分を悶々とさせながら万年床の布団にあぐらをかく。

「まぁ、俺には関係ないか。あいつが本物の神様かどうか、なんて」

 しかし、彼女の落胆した様子が頭から離れず、溜息をついて布団に寝転ぶ。

「仮に本当の神様だとしてもおかしすぎるだろ。俺の知ってる神話はどこ行っちゃったんだ。もう疲れたから晩飯よりも先に昼寝するか」

 独り言をいいながら、徳斗は掛け布団に入る。


 やがて眠りに落ちていくなかで、彼は過去の記憶を反芻していた。

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