太陽が2個あってもいいじゃない!

邑楽 じゅん

太陽が2個あってもいいじゃない!

第1柱 太陽神の妹ワカヒメさん

1-1 稚姫様、下界降臨

 今年の太陽は、力を失っているようだった。

 暦は晩秋と呼ぶにはまだ早いのに肌寒さすら覚え、朝晩はかなり冷え込む。

 六月は早々に梅雨に入ると、七月まで長雨は続き、八月は冷夏に見舞われ、九月も太陽は陰り、全国的に作物は不良であった。

 東京の都市部からわずかに離れた、とある住宅地も冷たい風が吹き抜けていく。

 その中でもレトロと呼ぶにはやや近代的ではあるが、それでも相応の築年数が経過したとあるアパート。

 ワンルームの扉が横に数室ずつ並び、コンクリートの足場と金属の手すりで造られた外階段はペンキが所々剥げおちている、質素な二階建てのものだ。

 その敷地内にある中庭を一人の青年が掃除をしていた。


 紅葉狩りの季節である行楽シーズンを心待ちにした観光客でもなく、はかない我が身を憂いた病弱な深窓の令嬢の心境でもなく、ただ葉を落とす立木たちぎを前にして、青年はうんざりとつぶやく。

「これじゃ、何度も掃いたところで、すぐまた葉っぱが落ちてくるな」

 彼は、ほうきを片手に頭を掻いていた。

「まぁ、夏の雑草抜きは楽だったからいいか」

 その時、アパートに入居している老婆が青年に声を掛けてきた。

「のりちゃん。おはよう」

「おはようございます。今日も散歩っすか。気をつけていってらっしゃい」

 老婆を見送りながら、またも青年は背を丸める。

「なんだってんだよ……大学が近いからって親父のアパートの管理人もしながら一人暮らしを始めたら、大学で仲良くなった女子を連れ込んだり、入居人の美女のお姉さんたちととっかえひっかえ、ムヒヒでウフフな展開を期待してたのに、実際には年寄りとオッサンばっかり入居してるし、小遣いも少ねぇし、管理の雑用は多いし、全然メリットねぇじゃん」

 これで秋も深まれば色づいた落ち葉を見て、少しはアンニュイな雰囲気も演出できるというのに、まだカレンダーも十月ではそんな気も起きない。


 青年は落ち葉を入れたビニール袋をわいて、近所のゴミ集積所に置いた。

 アパートに戻ろうとしたところ、敷地の入り口付近に大型の車が停まっていた。

 彼も間近で見るのは初めてな、黒塗りの高級車だった。

 すると、運転席からは精悍せいかんな高身長の男性が降りてきた。

 上下とも黒のスーツに身を包み、ジャケットの中には黒のネクタイとベストを合わせており、黒い短髪はワックスでオールバックに撫で付けて口髭を蓄えている。革靴も黒で頭から足先まで黒一色。加えてその両目には濃い黒のサングラスをしていた。

 その男はしばらくアパートとその建物名を記した看板を見比べている。

 この辺の道を尋ねたいのだろうか、と思った青年が近づいていくと、黒服の男はずかずかとアパートの敷地に入っていく。

「なんだ、やっぱウチのお客さんだったか」

 青年が黒服に駆け寄る際に、通り過ぎざまに高級車の中をちらと見る。

 後部座席には、長い黒髪でセーラー服を着た少女が乗っていた。

 歳の頃はまだ中学生といったところだ。

 黙っていれば美少女と呼ばれるに相応しい顔立ちではあるが、なにやら落ち着きなくガラス越しに周囲の景色をきょろきょろと見回しては瞳を輝かせている。


 青年が敷地に戻ると、黒服はある一室の戸を開けようとしていた。

「あっ、ちょっと。何処かの部屋のお客さんすか? そこは空室ですよ?」

 黒服は無言で胸元からメモを取り出す。

 そこに書かれていたのは紛れもなく、このアパートの住所だった。

「引っ越しする人が来るなんて聞いて無かったけどな。えっと、ウチに用ですか?」

 黙ってうなずいた黒服は、次に別のメモを取り出した。

 そこには彼の祖父の名が書かれている。

「あぁ、母方のじいちゃんの知り合いですか? でも、ここにはいないですよ」

 今度は、黒服は青年の顔を指し示す。

「俺ですか? 俺は親父のアパートを間借りしてるだけで、庭や空き部屋の掃除とか電球の交換くらいならちょっとは手伝ってますけど。管理人の真似事をしてるっていうか……」

 黒服は納得したようにうなずきながら、再び高級車に向かって歩いていく。

 何故に彼がほぼ言葉を発さないのか、青年も疑問に思いながら後姿を見守った。


 黒服が車の後部座席のドアを開けて、少女に下車を促した。

 セーラー服の少女は、アパートの敷地に入ってくる。

 青年の前に立ってじっと彼の顔を見続けていたが、やがて握手を求めるように右手を差し出してきた。

「ここがこれからは、あたしのやしろになるから。よろしくね」

「はあっ、社? ここは社でも何でもないって。家を借りるってんなら、親父からも不動産屋からも聞いていないし、契約してないなら貸せないよ」

 少女と黒服は彼が何を言っているのかと互いに顔を見合わせて、瞬きをする。

 すると、颯爽とやってきた引っ越し業者のトラックが、門の前に横付けされた。

 車体にカラスのマスコットが描かれた、あまり街中で見覚えのない業者だ。

「おいおい、ダメだって。何の確認も取れてないのに、勝手に部屋に入られちゃ」

「でも、ここがあたしの社だって、あたしが決めたんだけど」

「いや、決めてもらうのはありがたいけどさ。いずれにしても、ちゃんと不動産屋と契約をしてからでないと、部屋は貸せないから。ぼちぼち俺はもう大学に行く時間だからさ。申し訳ないけど、また午後にでも改めて来てよ。窓口なら紹介するから」

 少女は人差し指を口元にあて、しばらく思案する。

 とても幼い仕草で、大学の同期が狙ってやっていたら腹立たしい限りだが、この美少女にはそう思わせない謎の魅力があった。

「わかった。午後ね。待ってるから」

 彼の言い分に納得したのか、少女は笑顔で手を振る。

「待ってるのは構わないけどさ。ねぇ、黒服さん。この子もセーラー服なのに、どこかの学校に登校する時間じゃないの? これから転校しにいくの?」

 だが、黒服は何も言わず肩をすくめる。

 青年もそれ以上は相手をするのはやめて、自室に大学の荷物を取りに戻った。

「なんだか怪しい二人組だな。でも執事がいてハイヤーに乗れるくらいだから、少なくともお嬢様だっていうのはわかるけど」

 青年は訝しがりつつも、彼女らを置いてアパートを出た。


 やがて大学の講義を終え、自宅に戻ると高級車は無くなっていた。

 気忙きぜわしく引っ越しに来たくせに、こんな普通のアパートに暮らすとは、どういう類のお嬢様だったのか、金持ちの思考は到底理解もできないと、青年も呆れていた。

 それとも車が無いからやっぱり冷やかしで帰ったのか、外観を見てボロいから落胆でもしたのだろう、と思いつつ外階段を昇る。

 二階の共用廊下に着くと、一番端にある自室のドアノブに手を掛けた時だ。

 ふと今朝の様子を思い返し、黒服が勝手に入ろうとしていた階下の空き部屋が気になり、階段を駆け下りていく。

 空き部屋の鍵は間違いなく自分が預かっている。

 入居予定の者が来るなら、不動産屋から連絡も入る。

 念のため、昼休みに父親に連絡をしてみたが、近々で内見や転居希望の情報も無かった。

 だが、彼がそっとドアノブを回すと、鍵が開いている。

 そんな馬鹿なことがあるまい――。

 覚悟を決めると、思い切ってドアを一気に開いた。


「おーっ、待ってたよ。先に休ませて貰ってるから」

 彼の姿を見て、室内から少女が元気よく手を挙げた。

 全面の壁紙はピンク色になり、床中の畳の上には分厚い絨毯が引かれていた。

 天蓋付きのベッドはキングサイズで、ワンルームのリビングは半分近くがベッドと言っても過言ではない。

 さらにアンティーク調の木製テーブルと椅子を用意してあり、その上には高級そうなティーカップを並べて、優雅にお茶をしている。

 青年は思わず玄関先に入り込んで叫んだ。

「おいっ、あんたたち! これどうしたんだよ、勝手に!」

「言われた通り、午後まであなたが来るのを待ってたんだよ?」

「そうじゃなくて、改めて午後に話し合いをしようって意味だったんだけどさ。内装まで変えて勝手に家財も持ち込んで、なにやってるんだよ!」

 すると、黒服が玄関先にいる青年に向かってきた。

 背丈が一九〇センチはある、全身に黒の衣装を纏う男に無言のまま立ち尽くされると、まるでヒットマンに消されるのでは、という威圧感に包まれた。

 思わず青年も背中をのけぞらせて息を呑む。

 男は胸元に手を突っ込んで、ポケットから何かを出そうとした。

 拳銃で脅迫されるのではないかと焦った彼は、咄嗟に両腕で顔を覆い目を瞑った。

 だが、それは彼の名刺入れだった。

「……よしなに」

「おおっと……あんた、喋れるんじゃないか。えっと、どこのどちら様ですか?」

 名刺に書かれている文字を見て、青年は目を丸くする。


『天上界四貴神 稚姫様お目付け役・兼・執事・兼・八咫烏 八田』


「兼務が多いな。それにしてもなんの冗談っすか? 天上界の四貴神よんきしんって……」

 ティーカップを置いた少女は、椅子から立ち上がると青年の元へ近づいてくる。

「あたしは太陽神アマテラス姉上の妹、稚姫わかひめ。こっちはヤタガラスの八田やた。よろしくね」

 目の前にいる女の子は何を言ってるのかと、青年はぽかんと口を開けて固まった。

 これはドッキリテレビか、凸系うんちゃらチューバーか、もしくは本当にアブない人達に絡まれているのではないか――。

 彼は黒服と少女の顔を何度も交互に見返した。

「あなたのお名前はなんて言うの?」

 稚姫と名乗った少女は、無垢な笑顔で青年に質問する。

 午前中は慌ただしくて意識はしなかったが、自分よりもずっと年下の中学生くらいのくせに、その視線を投げられると、否応なく目に入る彼女の美しさに緊張をした。

 仮に悪ふざけだとしても、確かに彼女自身が言う通りにまるで天界の女神のように可愛らしい。

『はっ、やべぇやべぇ。どう見たって相手は中学生だぞ。いくら管理人だからって、いずれにせよ手を出したら犯罪だ』

 にわかに頭を振ると、冷静さを取り戻すよう青年は自分を鼓舞する。

「……俺の苗字はハライだ。原っぱの井戸で、原井だよ」

「下のお名前は?」

「ノリトだよ。『道徳』の徳に『一斗缶いっとかん』の斗で、徳斗だ」

「それじゃ徳斗。さっそくだけどね」

「初対面でいきなり呼び捨てか? そうじゃなくてこの部屋をどうしたんだ、って聞いてんだよ」

 室内のあちこちを指し示しながら、少女を睨みつける。

「あたしの事は、ワカって呼んでいいよ」

「聞いてんの? 俺の話?」

「じゃあ立ち話もなんだから、どうぞ上がって」

「お前んちじゃないっつーの。どうすんだよ、これ。ぜんぶ原状回復してもらうぞ」


 黒服の八田は彼女に対面する椅子を引いて、徳斗に着席を促す。

 渋々、彼は重厚なアンティークチェアに腰掛けた。

 座った途端に、身体が沈みこむ程に生地が柔らかい。

 八田がティーポットを徳斗のカップに傾けると、芳醇な香りの鶯色の飲料が出てきた。それは日本人ならば非常に飲み慣れた緑茶だった。

「普通、こういうカップで飲むのは紅茶じゃないのか?」

「でも玉露だから高価たかいよ」

「値段の話じゃなくて中身の問題だって言ってるんだよ」

 徳斗は八田から受け取った名刺をテーブルの上に置き、向き合う稚姫に質問する。

「それで、天上界から来たお姫様ってのはセーラー服を着てるじゃねぇか? 下界にお勉強のために来たのか? 学校いかなくていいのかよ?」

「これ? 下界で暮らすのに馴染むかなと思って適当に参考にしたの。あたしに似合ってる?」

「あとお前は……ワカだっけか? お前が本物のお姫様だとして、なんでこの部屋に来たんだよ」

「下界の社に来たんだよ、あたし」

「こいつはいつもこんな感じで人の話を聞かないの?」

 呆れ顔で八田に振り返ると、彼は両の掌を徳斗に向けて落ち着くよう促す。

「あたしはね、天上界の高天原たかまがはらってとこで神様をしてたの。それでここに来たの」

「それで納得しろってのもずいぶん無理筋な話だと思うけどね。少なくとも、お前が本物の神様だって言う証拠なり実力なりを見ないと信じられないよ?」

「じゃあ、まずはあたしが高天原から下界に来たところから説明するよ……」


 訝しげに茶の入ったカップを持った徳斗は、稚姫の話を黙って聞いていた。

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