第77話 星が見えなくても
食事を終えた僕は、遠山加奈子と別れ一人帰路につく。
夜の闇はすっぽりと街を覆い、スーツを身に着けた帰宅中のサラリーマンたちが、疲れた顔をして、皆一様に少し俯いてトボトボと歩いている。
しばらく労働と離れていた僕は、彼らの姿を見ると、少し不思議な気持ちがした。
皆一様に早起きをして満員電車に乗り、日中はやりたくもない仕事をして、夜は疲れ切ってうつむきながら帰宅をするのだ。
それが普通なのはわかっている(否、本当はわかっていないのかもしれない)。でも、今の僕には、そんな ”普通” の光景が、どこか歪に歪んで見えた。
空を見上げる。
やはり、星は見えない。
急に、銀河鉄道の夜が読みたくなった。星の無い空を見上げたせいか、それとも疲れ切った顔をしたサラリーマンを見ていたせいかはわからない。
僕は、カナエからもらった銀河鉄道の夜の文庫本が、自分の部屋に置いてあることを思い出す。
花沢の部屋に戻ろうと思っていたが、予定を変更して、文庫本を取りに自宅へ戻ることにした。
電車に乗り、数日ぶりに自宅へと向かう。
帰宅ラッシュのピーク時間は過ぎていたらしく、車両は結構空いていた。
ボーっと窓の外を眺める。見知った景色が、右から左へと無機質に流れていく。
銀河鉄道の夜が読みたいだけなら、花沢の部屋から近い本屋にでも寄って、新しい文庫本を買ってもよかった。
どうせ数百円の出費だ。
電車賃を考えると、そちらの方が出費が少ないだろう。
でも何か違うのだ。
僕が今読みたいのは、カナエからもらった、あのボロボロの文庫本であると、強く感じていた。
電車を降り、少し歩いて自宅にたどり着いた僕は、鍵を開けて、しばらくぶりに自室へと足を踏み入れた。
しばらく換気をしていなかったためか、空気が少し淀んでいるような気がした。
長い時間誰もいなかった空間特有の停滞感とでもいうべきか、自分の部屋であるはずなのに、他人の部屋に勝手に入ったような違和感が僕に付きまとう。
窓を開け、外の新鮮な空気を室内に取り入れる。少しのどの渇きを感じた僕は、冷蔵庫を開け、500ミリのミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、良く冷えたそれを半分ほどのみほす。
本棚からボロボロの文庫本、カナエからもらった銀河鉄道の夜を取り出し、鞄にしまい込んでゴロンとベッドに横たわった。
なんとなく適当にページを開き、目に入った一文を小声で朗読する。
「”月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。”」
ちらりと窓の外を見る。
ここから星が見えなくとも、確かに星は輝いている。
ならば星が見えない都会の空でも、きっと銀河鉄道は走っているのだろう。
◇
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