第53話 壊れゆく日常
次の日も、僕は会社に行けなかった。
いつも通りの朝のルーティンをこなし、スーツを身につけてから、鏡の前でネクタイを整えている時に急に動けなくなったのだ。
金縛りのように、指先1つピクリとも動かないまま、僕は何もできずにただジッと姿見を眺めていた。
僕はこんな顔をしていただろうか? 鏡に映る自分は、酷く疲れた顔をしていた。
目の下に浮かぶ黒々とした隈。顔色は悪く、唇は青ざめている。
大丈夫、自分はまだ大丈夫だと言い聞かせながら、ノロノロと手を動かしてネクタイを結ぼうとするが、いまいち上手く結ぶことができなかった。
そうこうしている間に、もう家を出なくてはならない時間になってしまう。
ため息をついてネクタイを乱暴に放り投げ、そのままベッドにダイブする。
ネクタイすらまともに結べなくなっている自分に愕然としながら、スマホで今日も仕事に行けない事を報告し、返事も待たずにスマホの電源を落とした。
枕に顔を押しつけ、そっと目を閉じると自然に涙が流れ出てくる。
認めざるを得ない。
今の自分が普通の状態ではないということを。
そして、それを踏まえた上で、僕はこれからどうしたら良いだろうか?
心療クリニックを受診すべきなのだろうか? 確かにネクタイすらまともに結べなくなっている今の状況ならそれもやむを得ないと思う。
女に振られて心を壊してしまうなんて、自分の軟弱さに少し笑ってしまう。
気合いを入れて立ち上がり、保険証を財布に収めると、僕はスーツ姿のまま家を後にしたのだった。
◇
抑うつ状態。
その診断は、呆気ないほど簡単に下される。
頭の禿げかけた医者の言葉を、僕はどこか他人事のように聞いていた。
いくつか薬を処方するから、しばらく会社は休んだほうが良いと言っていた。
言われなくても、そもそも会社に行けなくて困っているのだが……。
禿げ医者の言葉を聞き流し、薬局で薬を貰った僕は、そのままスマホの電源を入れて会社の上長に連絡をする。
医者が言っていた言葉を機械的に伝え、しばらく会社を休職する事を伝えた。
上長が何か言っていたような気がするが、あまり覚えていない。
とりあえず、こうして僕は抑うつ状態で休職の身となった。
しかし、それらの全てはまるで他人事のように感じられて、どこかリアリティーにかけていた。
何をすれば良いのか検討がつかないまま、僕は目的も無くネクタイ無しのスーツ姿で街を散策する。
食欲も感じず、正面から吹いてくる風が寒いのか、それとも暖かいのかすら分からなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます