第40話 夜の公園
「アイザワさん、今日はスーツなのね」
その指摘に、僕はスーツ姿でカナエと会うのが初めてである事に気がついた。
「あぁ、そうなんだ。今日からまた出社でね……久しぶりの仕事は、随分とくたびれたよ」
僕の言葉に、カナエは上品にクスリと微笑んだ。
そんなカナエも、今日は珍しくランドセルを背負っている。こんな時間まで授業があるとも思えないし、塾の帰りだろうか?
「隣、いいかしら?」
カナエの問いに、僕は頷いた。
ちょこんと僕の隣に腰掛けると、カナエは小さくため息をついた。
疲れたように見えるその姿は、どこか先程までの自分自身を思わせる。
「随分と疲れているように見えるね」
その言葉に、カナエは首をすくめた。
「アナタもね、アイザワさん」
そして二人は顔を見合わせると互いに疲れた顔をして微笑む。
「塾の帰り?」
「そう、そんなとこ……勉強はそれほど好きじゃ無いのだけれど」
「へえ、なんだか意外だな」
恐らく、好きでは無いだけで成績は悪くないのだろう。
カナエとの会話からでも、彼女の子供らしからぬ知性は感じ取ることができる。そんな彼女が小学校の勉強くらいに手間取る姿が想像できなかった。
「小学校のテストなんて、学校の授業をちゃんと受けていたら問題なく対応できる……それでもお母さんは、私を塾に通わせるの」
憂いを帯びた彼女の瞳が、そっと夜空を見上げる。
つられるように僕も視線を上げる。どんよりと濁った空気に遮られて、星なんて一つも見えない都会の空が広がっていた。
「こんな空じゃ、銀河鉄道も走らないでしょうね」
「そうかな? 銀河鉄道が走るのは空のずっと上だから、都会の空気が悪い事なんて関係が無いと思うけど?」
「ロマンがないのねアイザワさんは」
少し呆れたようなカナエに、僕は肩をすくめて答えた。まさか、小学生の女子にそんなことを言われる事になろうとは、少し前の僕なら予想すらできなかっただろう。
二人はしばらく無言で空を見上げていた。
会話のない無音の空間は、不思議と苦ではなかった。僕はそれほどまでに、隣に座っている、大人びた女子小学生のことが気に入っていたのだろう。
どれだけの時間が流れただろうか、生温い風を感じていると、ぽつりとカナエが小さく呟いた。
「……そろそろ帰らなくちゃ。お母さんに怒られちゃう」
立ち上がったカナエは、疲れた顔をして僕をジッと見つめた。
「ねえ、アイザワさん。また明日も会えるかしら?」
「僕が明日もこの公園に来るかって? 特に予定は無かったけど……君が会いたいというのなら僕はここで待っているよ。せっかくのお誘いだしね」
「…………ありがとう。本当に」
そしてカナエは公園から出て行った。
赤色のランドセルが夜の闇に消えていくのを見送りながら、僕は大人として家まで送っていくべきだっただろうかと自問する。
僕と彼女の関係は非常に曖昧だ。
二人の適度な距離を僕の一存で縮めるべきではないと判断し、僕は考えることをやめる。
そろそろ僕も帰らなくてはならない。僕には帰るのが遅くなったからといって怒られる相手はいないのだが、これ以上長居しては明日の仕事に支障が出てしまうだろう。
やれやれ、
社会人というものは、どうにも仕事に生活を支配されているようだ。
僕はゆっくりと立ち上がり、最後に空を見上げる。
都会の夜空は暗く濁っており、目を凝らしても銀河鉄道なんて走っていないようだった。
◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます