第30話 柔らかな日差しの下

「ねえアイザワさん、才能って何?」


「難しい事を聞くね……そうだな、小説家における才能の定義は確かに難しい。わかりやすい所でいうと、作品が大勢の人に評価される力……かな」


 そう、他人を引きつける引力のような魅力。


 花沢の作品にはあって、僕の作品には無い明らかな差異。話の構成だとか、語彙の美しさだとか、そんなものは二の次で、暴力的なまでに人を引きつける何か。


「他人に評価される事が才能だというのね?」


「あぁ、きっとそれは重要な事だと思う」


 誰にも評価されない作品なんて、存在していないと同義だ。


 だってきっと、作家という奴は承認欲求の塊みたいな人種なんだから。


「……宮沢賢治は、生きている間、自分の作品が認められる事はなかったわ」


 彼女は自分の持っている本に視線を落とした。


 ボロボロになった『銀河鉄道の夜』。日焼けして黄ばんだ頁が、木の葉の隙間から差し込む柔らかな日差しに照らされている。


「アイザワさんの論理で言うのなら、生前の彼に ”小説家としての才能” は無かった筈……それでも賢治は書き続けた」


 宮沢賢治は不遇の作家である。


 偉大な芸術家たちがかつてそうであったように、彼が一九三三年に三八歳の生涯を閉じるまでに出版された作品は、童話集『注文の多い料理店』と詩集『春と修羅』だけである。


 彼の死後、書き残した多数の童話と詩などが編集され出版されるとともに、作品世界の豊かさと深さが広く認められるようになったのだ。


「自分の書いた作品が評価されない事を理由に、もし宮沢賢治が書くことをやめていたら、きっと私はこの本を持っていない」


 きっと賢治には、評価される事以上に大切な事があったのだろう。


 カナエは視線を上げ、僕の眼を真っ直ぐに見つめた。


 まだあどけない彼女の澄んだ瞳の光に、僕は心の奥底を見透かされているかのような感覚に陥る。


「アイザワさんは、売れっ子の小説家になりたいの?」


 カナエの問いに、僕は首を横に振る。


「売れっ子の小説家になりたい訳じゃない……別に誰にも理解されなくても良いから、自分が納得できる小説が書きたいんだ」


 すんなりと出てきたその言葉は、長い間探し求めていた僕の偽りの無い本心だった。


 誰かに評価されたいという気持は確かにある。


 しかし、自らの胸にぽっかりと空いた穴は、それだけでは説明がつかなかった。


 小説が好きだった。


 幼い頃から、小説を読む事が好きだった。


 大好きな物語に触れながら、自分が作者だったらこういう展開にするのにだとか、こういうキャラクターが出てきたら素敵なのにとか、好き勝手妄想をしていた。


 やがて、僕は自分のための、自分だけの物語を書くようになった。


 誰かに評価されたい訳じゃ無く、ただ自分を楽しませるために……。





 一筋の涙がこぼれ落ちた。


 何故、こんな簡単な事を忘れていたのだろう?


 僕はただ、自分のために小説を書いていた筈だった。


 小学生の頃、新品のノートに向かい合って、胸を踊らせながら鉛筆を走らせた。


 あの頃は、ただ純粋に物語を綴ることを楽しんでいたのだ。


 僕は涙を拭い、カナエに向き直った。


「……君は凄いな。まだ小学生なのに」


「小学生だからこそよ。私はまだ大人になるって事がどういう事なのかわからない。ただ、難しい事を抜きにした、本当に大切な事くらいはわかる」





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