逆

逆

　いらっしゃいませ。

　どうぞこちらへ。

　何か悩んでいらっしゃる。

　分かりますよ、お顔に出ています。

　少しだけですが、話しましょうか。いいえ、聞きましょうか。よろしかったら、ですが。

　えぇ、黙っていても構わないですよ。話すことは義務ではなく権利なのです。

　あなたの沈黙は、あなたの言葉と同じくらい価値があるのです。どうか、話したい時に話したい分だけお話しください。

　物語のように聞き、そして私も話しましょう。離して欲しいのなら話すついでに言葉で行いましょう。手放しに喜べるくらいに離されることを一面的に評価するのは、話していないことともはや同義ではありますが。

　話せばわかることばかりです。

　よろしかったらぜひ、話すのではなく。

　語っていただければ。

「人を殺したんだ」

　重いよ。

　そういうのは待ってないんだよ。

　なんだよ、それ。

　人を殺したって。

　そういうのは口にするなよ。

　そりゃ、お洒落なバーの雰囲気は出してるけど、だからって何を言ってもいいわけじゃないことくらい分かるだろ。

　お前、お前さ。

　さては馬鹿だな。

　話すとか、離すとか、放すとか。

　色々混ぜ込みながら話して、ちょっと惑わす感じで楽しんでたのに冷や水ぶっかけてくるんじゃないよ。

　警察いけよ。

　ここバーだよ。

　警察じゃないよ、分かってる。

　ていうか、勘違いしてない。

　人を殺したら警察だから。

　バーじゃないから。

　あとねバーの人って、基本的に話は聞くけどあんたの人生に関わろうとか思ってないから。

　おしゃれに話を聞く俺ってかっこいいとか思ったり、おしゃれに話をしてる自分ってかっこいいみたいなやつのたまり場だから。

　あの、大人の社交場とか言ったりするでしょ。

　違うから。

　社交場ってわざわざ用意されるものじゃないから、人生が社交場だから。何かに限定されるものではないから。

　あとさ、他にもお客とかいるわけよ。

　ね。

　引くでしょ。

　みんな、引くでしょ。

　人を殺したなんて言ったら、ここの雰囲気壊れちゃうでしょ。

　冷静に考えてよ。

　営業妨害だよ、そういうの。

　無理無理、帰って。帰ってよ。

「殺してない」

　それなら帰らなくてもいいよ、とかならないから。

　あのね、だとしてもだよ。

　もう無理だって。

　殺してなくても、殺したことがある的なことを言っちゃう、カッコつけてるやつとかうざいでしょ。ねぇ、お前のことだよ。

　ここの雰囲気を維持するためにさ、一応、色々と苦労してるわけよ。分かるでしょ。分からない、あぁ、分からないんだ。そっかあ、でも帰ってね。今すぐ。お願いだから。

　もう、お代はいいから。

　帰って。

「俺じゃないよ」

　は。

「人を殺したんだ」

　うん、そうでしょ。

　さっきそう言ってたじゃん。

「あんたが、俺を殺したんだ」

　何言ってんだお前。

　田中、久部、市村、こっちに来い。この汚い男をつまみだせ。

「無理だ」

　何言ってるんだ。こいつだよ、こいつをつまみ出せって言ってるんだよ。いいからやれよ田中っ、てめぇらも走ってこいっ、久部っ、市村っ。

　はあぁ。

　バカじゃねぇの。

　ここに座ってる男だよ、見えてるだろ。この汚い男だよ、早く出せよっ。

「お前が私を殺したんだ」

　だからっ、ここに座ってる汚い男だよっ。早くしろよっ。

　いないってどういうことだよっ、いるだろうがっ、ここにいるじゃねぇかよっ。

「私がお前を殺すんだ」