第7話 謎の接触者


 路地は想像以上に狭かった。

 

 エアコンの室外機や段ボール箱などが乱雑に置かれているせいで身体を横にして移動しなければならない程だ。

 奥の方が微かに明るい、あそこまで辿り着ければ少しは広くなるだろうか。

 やっとのことで路地を抜けるとそこは三方をブロック塀に囲まれた空き地になっていた。

 背面も通路以外は壁で、実質四方を囲まれていると言っていい。

 空き地と言っても六坪くらいの広さしかなく天井は無い。


「あれ? あの声の主は……?」


 そこには誰もいなかった。

 しかしあの狭い路地しか通路が無かった以上こちらに来るしか道は無かった筈だ。

 まさかあの男は最初からこちらには来ていないのだろうか?

 空き地を囲っているブロック塀はどう見ても三メートル以上はあり、そう簡単によじ登ったり飛び越えたり出来ない。

 もしそれが簡単にできる人物がいたとしたらそれは相当な身体能力を持った者だろう。


「一体何だったんだ……?」


 狐につままれた気分だ。

 何か見落としがあっても癪なので一通り空き地を探索してみる。

 しかし何も見つからない。


「仕方ない、戻るか……そろそろ美沙も戻ってくる頃だろうし」


 俺が踵を返して再び狭い路地に戻ろうとしたその時だった。

 俺のショルダーバッグの僅かな隙間から赤い光が漏れ辺りを照らした。


「まさかこれって……!!」


 俺は急いでショルダーバッグの蓋を開くとやっぱりだ、あの赤い玉が激しく発光しており目が眩みそうだった。

 でも何故ここで光ったんだ? これまでこの玉が自ら光を発した事なんてなかったのに。

 だが時間が経つにつれその光は徐々に弱まり遂には完全に収まっていった。


「何が起こったんだ……?」


 少しふらつき地面に膝を付く。

 再び辺りを見回すがこれといって何かが変わった様子はない。

 今度こそ俺はこの袋小路を離れることにした。




「ちょっと!! どこへ行っていたの!?」


 元の通りに戻ると美沙が腰に両手を当て仁王立ちしていた、それもかなりのお冠だ。


「実は怪しい男に声を掛けられて……ここの奥の空き地に行くように言われて……」


「何ですって!? 痴漢!? 変質者!?」


 それを聞いた途端、美沙の顔が鬼の形相に変わる。


「それがどこかに消えてしまって……」


「ちょっと!! 案内しなさいよ!! その空き地へ!!」


 美沙の迫力に圧倒されその空き地へ彼女を案内しようと路地に戻った……が、しかし路地は十メートルも進まない内に行き止まりになっていた……当然あの空き地は無い。


「何もないじゃない、本当にここなの!?」


「おっかしいな、つい今しがた行ったばかりなのに……」


 実に不可解だ、急に世界が変わったような不安感に襲われる。

 

「まあそれはそうと有紀を一人にするのはやっぱり危険だわ、これからはなるべく私と一緒に行動する事、いいわね?」


「うん、分かった」


 それから美沙と共に俺の家に戻る。


「はい、これ」


 俺が部屋で一息ついていると美沙がバインダー式のファイルを渡してきた。


「これは?」


「学校のクラスメイトと先生の顔写真付きの名簿を作って来たわ、明日からの学校生活に必要だと思って」


「わぁ、ありがとう!!」


 早速ファイルを開いてみる。

 クラスメイト名簿は50音順に顔写真の横にその人物のフルネーム、性格、ニックネーム、真紀との関係性と親密度が事細かく書き記されていた。

 そして教師の欄は担当科目と性格、授業中に気を付けるべき事が書かれていて、これは余計なトラブルを回避するのにとても役立つ。


「大変かもしれないけど今夜中にクラスメイトの項目は熟知しておいてね、下手に怪しまれたくないでしょう?」


「本当に助かるよ!!」


「水臭いわね、私たちは親友でしょう?」


 薄っすらと頬を薄紅色に染めた美沙が俺の手を取り、そして両手で包み込んできた。

 女の子って同性同士で過度なスキンシップを取る事があるよな……そんな事を思っていると不意に唇に柔らかい感触が押し当てられた。


「んんっ!?」


 これ以上ない程近い位置に瞳を閉じた美沙の顔がある。

 まさか俺、美沙とキ、キ、キ、キスをしている!?


「ゴメン、お化粧をしたあなたがあまりにも可愛かったからつい我慢できなくて……変な男に声を掛けられたっていうし怖かったでしょう? ちょっと慰めてあげようと思って……」


 美沙はもじもじしながら目を逸らし顔を真っ赤にしている。

 

「今日はこれで帰るわ、また明日学校でね」


 恥じらう少女の顔でそそくさと部屋を出て行く美沙。

 えっ? 何でキス? 女の子同士で? 俺は思考が追い付かず頭の中が真っ白になる。

 その上、心臓が爆発しそうに鼓動が高鳴っている……情けない話、俺が女の子とキスをしたのはこれが初めてだった。

 だがこのキスが遊びやいたずらの類ではないのは先ほどの美沙の行動から読み取れる。

 改めて思う、俺が真紀の息子だと美沙に告げた時の彼女の表情を。

 驚きと嫉妬と憎悪が入り混じったような複雑な表情をしていたではないか。

 もしや美沙は真紀の事が好きなのでは? それも本来は異性間で芽生える方の。

 だがこれはこれで非常に厄介な状況になるのではと不安になるのだった。


 夜、風呂に入りパジャマに着替えた。

 念のため足首には湿布を張り包帯でグルグル巻きにしておいた。

 髪はバスタオルで水気を取ったあと、敢えてドライヤーでは乾かさず自然乾燥に任せている。

 何でも美沙が言うにはドライヤーを使うと髪が傷むというのだ。

 乾燥時間の間ベッドに腰掛け、美沙がくれたファイルに目を通す。


「クラスメイトだけで30人もいるのか、これは骨が折れそうだ……」


 幸い真紀は部活には入っていないのでクラス外の人物との交流は殆ど無いのが救いだ。

 二時間ほど名簿とにらめっこし、睡魔が襲って来たので眠りに入る事にする。

 当然ナイトキャップ装備で。

 ベッドに潜り込むと数分と持たずに眠りに入るのだった。


「おい」

 

「う~~~ん、誰?」


 重低音の男の声で意識が覚醒した。

 目を開こうとしたが叶わず、暗黒の空間に浮遊しているような感覚を味わう。

 あれ? 今って夢の中だよね? それにこの声は聞き覚えが有るぞ。


「あっ!! その声は路地裏の……!!」


「覚えていたか、記憶力は悪くない様だな」


「あの空き地は何だったの!? あなたの言う通り奥に進んだけど何もなかったわよ!?」


「フン、女言葉も板についてるじゃないか」


「えっ!? まさかお前は俺が男だって事を知っているのか!?」


「おいおい、感情的になって地が出ているぞ、そんな事でこれからやっていけるのか?」


 ひと言ふた言言葉を交わしただけで分かる、この声の主は意地悪で嫌な奴だってことが。


「余計なお世話だ!! 俺の質問に答えろ!!」


「フゥ、せっかちな奴だな、いいだろう教えてやる、俺がお前をあそこに案内したのはあの場所にお前を行かせたいう事自体に意味があるからだ」


「はぁ!? 何言ってるのか分かんないんですけど!?」


「今は分からなくていい、時が来たら嫌でもわかる事だ」


「どういう事だよ!?」


「言った通りの意味だよ、おっと、もう時間切れの様だ、機会があればまた会おう」


「ちょっと!! どこ行くんだ!! ちょっと!?」


 呼び止めるもその男の声はもう聞こえない。

 俺は何かを追いかけるように右手を突き出した状態で上半身を起こす。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 荒い息で目を覚ます、体中汗でぐしょぐしょだ。

 部屋の中は薄っすらと明るい、枕もとの目覚まし時計を見ると朝の六時を指している。


「もう朝か……」


 俺はベッドから立ち上がった。

 男の時の俺だったら八時ギリギリまで寝て一気に着替えてそのまま学校を目指したものだが今の俺は女の子だ。

 朝の準備に時間が掛かるためこの時間でもしっかり起きる事にした。

 しかも寝覚めが悪かったのか汗で身体がびっしょりなので朝からシャワーも浴びなければいけなくなった。


 シャワーを浴びながら考える、あの謎の男の声は何だったのだろうか?

 夢で済ますにはあまりに鮮明に会話を憶えている。

 しかも会話の中で不可解な事をいった。

 

『俺がお前をあそこに案内したのはあの場所にお前を行かせたいう事自体に意味があるからだ』


 これの意味することは何だ?

 気になる……時が来たら嫌でもわかるとも言っていたな。

 一応心の片隅にでも留めておこう。


 シャワーから上がり部屋に戻りセーラー服を着込む。

 あれから美沙に嫌という程練習させられたから着こなしも完璧だ。


「うん、今日も可愛い……あっ」


 姿見の前でくるりと一回、自分の口から放たれた言葉にドキリとする。

 何を言っているんだ? 恥ずかしい。

 自然とこんなセリフが出て来るなんて自分でも信じられない。

 これと言うのも美沙による女の子レッスンが実を結び始めているのだろう。

 素直に喜んでよいのかどうなのか。


「真紀ーーー!! 迎えに来たわよーーー!!」


 玄関から美沙の声がする。

 今日は俺が真紀になってから初めてまともに登校する日だ。

 気を引き締めなければ。


 「うん!! 今行くーーー!!」


 鞄を持ち部屋を後にする。


 俺は心機一転、新たな一歩を踏み出すのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る