殺人連鎖

青水

殺人連鎖

 妻のことが邪魔だった。

 もちろん、昔は愛していて、死ぬまでずっと愛し続けるつもりだったので、結婚した。当時の私は若かったのだ。若いから、結婚の重要性について深く考えなかった。勢いだけで結婚してしまった。当たり前だと思うが、結婚するときには離婚のことなど考えない。もしも、離婚することを考えていたら、そもそも結婚などしていない。


 ある日、私は妻に離婚を切り出した。離婚の理由は妻に対しての愛がなくなったから。私は取引先の会社の子と不倫関係にあり、妻の存在が邪魔だったのだ。不倫のことを妻は気づいていただろうか? おそらく気づいていたのだろう。女の勘は鋭いという。もちろん、世の中の全員の女が鋭い勘を持っているわけではないだろう。しかし、妻は刃物のように鋭利な勘を持っていたと思う。


 妻は私と別れてはくれなかった。どうして別れてくれないのか? 私のことをまだ愛しているから、と言う。愛情というのは、双方が抱かなければ意味がない。どちらか一方の愛なんて、何の意味もないのだ。説得しようとしても、妻は別れてはくれない。


 不倫相手は私と結ばれることを望んでいる。私の子を妊娠してしまったのだ。正直、私は結婚という呪縛から解き放たれたかった。そういう思いが、心のどこかにあった。しかし、結局のところ、妻と離婚しても不倫相手と結婚することになるのだろう。


 不倫相手のことは好きだった。だから、彼女と結婚してもいいと思った。それと同時に、彼女に対して、妻と同じように愛が冷めたら、離婚することになるのだろうか、と考えるようになった。いや、そう簡単にはいかないだろう。なぜなら、子供が生まれるのだから。より離婚に対する難易度が上がる。それに、何度も結婚と離婚を繰り返せば、周囲からよくない目で見られる恐れがある。


 とりあえず、差し当たって、妻が邪魔である。妻と離婚できなければ――そして、不倫相手と再婚できなければ――彼女は私との関係を暴露する、と言う。私は頭を抱えた。不倫相手も邪魔のように思えた。だが、まずは妻だ。妻を、どうにかしなければ。


「殺しちゃおうよ、奥さん」


 不倫相手が私に囁いた。まるで悪魔のようだ。悪魔のささやきに、私は乗せられた。妻を殺すという発想が一度頭に浮かぶと、それはどんどんと膨らんでいく。どうやって殺すか? いつ殺すか? 

 策を講じれば、策に溺れる。シンプルに殺そう。私は包丁を手に取った。普段、料理をするのは妻で、私は包丁を握ることはない。握った包丁を睨みつけると、なんだかひどく恐ろしくなった。はたして、私に妻が殺せるのだろうか?


「怖いの?」

 不倫相手が囁いてきた。

「ああ」


 今はもう、妻に対する愛はない。しかし、かつては愛した女で、結婚までしたのだから、殺すのにためらいを覚えるのは仕方がないだろう。手が震えて、包丁を落としてしまった。私は臆病な人間なのだ。人を殺すのは、勇気が必要だ。


「私が殺してあげる」不倫相手が言った。「あなたは見てて。私が奥さんを殺すところを」


 殺人に全く関与しない、というのはさすがに許されないか。直接殺すのは不倫相手。だが、実質的には私が殺すようなものだ。私は殺人という名の罪の重さに耐えきれるだろうか? わからない。やってみないと、味わってみないとわからない。


「殺そう。さっさと殺して、私と結婚して幸せになろう」


 不倫相手は私に『妻とデートに行くように』と言った。デートの途中で人気のないところへ連れていき、そこで不倫相手が包丁を突き刺して殺す。妻の死体は近くの山に埋める。シンプルな計画だ。うまくいくかはわからない。だが、私に拒否権はないようだ。失敗したら、潔くすべてを失おう。

 休日、私は妻とデートをした。デートなんていつ以来だろうか。妻はとても楽しそうで、そんな妻を間接的にとはいえ、私が殺すことになるのだ。心が痛んだ。私は車に乗ってA山の麓に向かった。夜の山は人気がない。デートスポットでも心霊スポットでもないのだから、当然といえば当然だろう。車から降りる。


「どうしたの? 山登りでもするの?」


 妻はおかしそうにくすくすと笑った。私は引きつった笑みで曖昧に首を傾げた。闇の中に潜んでいた不倫相手が飛び出した。腰だめに包丁を構えて妻に突撃する。包丁が妻の腹を深く抉る。


「あ……え……」

「これで、Yさんは私のもの。じゃあね、奥さん」


 死んだ妻をブルーシートで包み、ガムテープでぐるぐる巻きにした。車の後部座席に乗せると、私たちはA山の中腹辺りまで車を走らせた。車から降りると、大きなスコップで地面を掘った。できるだけ深く掘ろうと、一時間以上格闘した。できた深い穴に妻の死体を投げ込むと、土をかぶせた。その後、二人で踏んで押し固めると、帰宅した。


 妻は行方不明となった。私とデートをしているときに、どこかへ消えてしまった。間抜けな説明だったが、警察は信じてくれた。A山の付近は監視カメラがほとんどなく、私と不倫相手の犯した罪は露呈しなかった。


 私は警察官の前で、子供のようにみっともなく泣いた。どうして、涙が出てくるのか不思議だった。お前と、不倫相手が殺したんだろ? どうして? どうして、お前は泣いているんだ?


 不倫相手は私との結婚をせがんだ。しかし、私は首を振った。そもそも、妻は行方不明扱いで、よって再婚はできない。それに、たとえ結婚できたとしても、早すぎる。こんなタイミングで再婚をすれば、あらゆる人間が私たちを疑う。

 不倫相手が発狂した。妻の死体を掘り起こして、警察に見つかるようにする、などとふざけたことを言う。私は止めた。そんな馬鹿なことをして、私たちの犯行が露呈すれば、すべてが終わる。


「早くしないと、お腹の子が生まれちゃうわ」

「その、お腹の子には申し訳ないが――」

「ふざけないで! 絶対に生むわ!」


 どんどんヒステリックになっていく不倫相手が、邪魔になった。どうして、私はこんな女を好きになって、不倫して、あまつさえ、妻を殺して再婚しようと思ったのだ? どう考えても妻のほうが優しくて良い女性ではないか! 容姿だって妻のほうが優れている。学歴も性格も何もかも妻のほうが上だ。


 私は不倫相手が邪魔になった。いや、憎くなった。すべてはこの女が悪いのだ。私はこの女に騙されたのだ。そもそも、私は再婚に対してさほど積極的ではなかった。この女さえいなければ、妻が死ぬこともなかった。こうして、私が苦しむことなどなかった。

 私はいつしか不倫相手を殺すことを考えるようになった。しかし、実際に殺すことなんてできない。私は臆病で意気地なしだから。私はバーで仲良くなった女と関係を持ち、彼女に秘密を打ち明けた。


「かわいそうに」彼女は言った。「私が殺してあげよっか?」

「頼む」

「その代わり、私と結婚してよ」

「まだ妻が死んでからそれほど経ってない。だから、一年経ったら結婚しよう」

「嬉しい」


 彼女は私の不倫相手を殺してくれた。死体の処理も彼女が行ってくれた。死体がどこへ行ったのかは聞かないことにした。これですべてが終わったと思った。しかし、そんなことはなかった。


 一年が経ち、約束通り結婚しようと、彼女は言いだした。私は結婚したくはなかった。というよりも、彼女に対する愛など、とっくに冷めていた。そもそも、最初から彼女に対して愛情なんてものはなかったように思う。私は不倫相手を殺してもらうために、彼女を利用したのだ。我ながら最低な男だ。


 彼女を殺そう、と思った。しかし、そんな度胸はなかった。私にできるのは、違う女に逃げることのみだ。私は精神的にいささか不安定になり、精神が肉体にも影響を及ぼし、病気を患った。病院に何日か入院した。その間に仲良くなった看護師と関係を持った。彼女に、バーで知り合った女のことを、今までの罪を話した。


「交換殺人って知ってる?」

「わからない」と私は首を振った。しかし、大体の予想はつく。

「私がその女を殺す代わりに、あなたは私の夫を殺す」


 彼女には夫がいた。夫は同じ病院に勤める医者のようだ。顔を見たことがある。彼女より5歳ほど上らしい。どうして、夫を殺してほしいのか、彼女は詳しく説明してくれなかった。重要なのは、殺したいほど憎いということ。


「どう? 私の夫、殺してくれる?」


 私は『いやだ』と言おうとしたが、できなかった。そんなことを言えば、私の今までの罪を警察にばらされる。あるいは、夫に殺意を抱いていることを知っている私が、口封じに殺される。私は不承不承頷いた。

 まず、彼女がバーで知り合った女を殺してくれた。次に私の番なのだが、臆病者の私は彼女の夫を殺すことができなかった。なんとか逃れられないものかと考えていたが、彼女が我が家に催促にやってきた。


「約束を守らないなら殺すぞ」


 彼女はナイフを出し、私を脅してきた。もちろん、それは脅しであって、実際に私を殺すつもりなどなかったのだろう。しかし、気が動転していた私は、ナイフを奪い取ろうと掴みかかった。もみあいになり、倒れた拍子に、ナイフが彼女の胸に突き刺さった。これは殺人ではない。不幸な事故だ。


 私は慌てて彼女の死体を山に埋めに行った。血のついたカーペットは処分し、床を何度も綺麗に拭いた。指紋も頑張って拭き取った。しかし、ある日、警察がやってきて私は逮捕された。私は不幸な事故であることを警察に訴えた。凶器のナイフが彼女の所有物だったこともあり、私の主張は認められた。


 しかし、彼女の家から録音レコーダーが見つかった。このレコーダーには、私の罪の告白がすべて録音されていた。時効までは、まだまだたっぷり時間がある。A山を捜索したところ、妻の死体が発見された。


 私は今、留置場にいる。これから、私は裁かれる。もう、何もかもがどうでもよくなった。すべては私が悪い。不倫などしなければ、最初の罪を犯すことはなかった。失ってから、妻のいた日常のすばらしさを理解した。


 あの世で妻に謝罪しよう。そう思った。

 私は舌をかみ切った。こんな方法で死ねるのか、と疑問を抱いたが、呼吸が苦しくなって、だんだんと意識が遠のいていく。

 私は間違っていた。何もかもが間違いで。そもそも、私という存在が生まれてきたこと、それ自体が間違いだったのだ……。


 消えていく。

 私の意識が。

 消えていく。

 私の魂が。

 消えていく。

 私の存在が。

 そして、私は死んだ。

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殺人連鎖 青水 @Aomizu

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