第28話 28、教師の千

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 4月9日、50名の学生が門の中に集まっていた。

敷地内には係員とおぼしき者は誰もいなかった。

千は朝の九時少し前になると大型の馬車で敷地内に乗り入れ、馬車の屋根に立った。

頑丈そうな入口の門はひとりでに閉まった。

「皆の者、その場で聞きなさい。一人の欠席者もなく集まってくれました。今日から1年間、皆さんが教師になれるように教育します。」

千の声は遠くに離れていた者にも等しく明瞭に聞こえた。

「この学校は軍事に関連した学問の教師を養成するために建てられました。教室は5つが用意され、5つの項目について教えます。みなさんはここで教えられた事柄を更に自ら研鑽し、少なくともその分野に関する最初の教師にならなければなりません。皆さんは5つの組に分けられます。第1の組は世界地図の作成を目ざす組です。正確な地図を描くには幾何学と測定具の習得が必要です。第2の組は強力な砲を製作することを目ざす組です。そのためには冶金の知識と力学の習得が必要です。第3の組は強い鎧を作ることを目ざす組です。そのためには化学物質の性質を知って新しい物質を合成しなくてはなりません。そのためには化学の習得が必要です。第4の組は強力な戦車の作製を目ざす組です。馬を使わないで馬より早く走る戦車が必要です。そのためには内燃機関を理解しなければなりません。その過程では燃料に関する知識も学ばなければなりません。第5の組は船あるいは飛行機を作製する組にしようと考えておりますが本体その物は1年では出来ないと思われます。船や飛行機の作製には総合された知識と技術が必要とされるのです。この組には当面、一般知識を教えようと思っております。

 みなさんの教師は私です。すぐに気付くように軍事関連の知識は広い基礎知識に基づいた現在の最高峰の知識です。みなさんはその一端を学ぶことになり、市井の産業の発展におおいに貢献すると思われます。これから皆さんは教室に入って下さい。教室の前には皆さんの名前と座る席が書かれております。机の上には直近に必要な教科書が載っております。筆記具と記録帳も置いておきました。それぞれに名前を書いておいて下さい。私は皆さんに1日1時間だけ教えます。不足分は各自が自学して下さい。ここまでで何か質問がありますか。」

 遠くの方で手が上がった。

「何ですか。質問を許可します。」

学生は何か言ったが千には聞こえなかった。

「私には君の質問が聞こえなかった。私の発声は全軍に伝わるように訓練してあります。近づいて質問を繰り返しなさい。」

学生は近づいて千に言った。

「穂無洲国の一枚と申します。質問したのはまさにそのことです。なぜあんなに遠くにいるのに聞こえるのか分りませんでした。」

「私の声は心に通じるようになっております。その方が大軍を指揮しやすいのです。命令する機会が増えれば自然とそうなります。いいですか。」

「わかりました、先生。」

「他にありますか。無ければ教室に入って席についていて下さい。今日から始めます。9時30分から第1組から始めます。午前中は2組、正午の昼食を挟んで午後1時から3組以後を教えます。昼食は宿舎内の食堂で取って下さい。午後4時には全てが終わります。夕食は午後5時で宿舎内食堂です。明日の朝食は午前7時です。宿舎は狭いですが全て個室です。衣服は用意してあります。その他の細かい指示は食堂に掲げた指示あるいはその場に掲げた指示に従って下さい。それでは解散。」

 最初の講義は第1組の10名であった。

千は黒のスラックスと白のブラウス、エナメルの黒のローヒールの靴、頭にはヘアバンドをして豊かな髪を耳の後ろにまとめていた。

そのような衣服はこの国の女性の衣服とはかけ離れていた。

「起立。礼。着席。1番左側の者、以後は今の号令を私が入って来たらかけなさい。わかりましたか。」

「わかりました、先生。」

「この組の最終目的は世界地図を完成することです。最も生命の危険がある組です。皆さんはまだ見たことも行ったことも無い他国に行って地図を作製します。この世界の多くの人々はこの星がどんな陸地を持っているのかを知りません。皆さんがそれを初めて知る人になるのです。他国への移動には熱気球を使用します。高い山の頂上に降り立って白いポールを立て、別の山の山頂からそのポールの位置を測定して山の位置を決定して行きます。山頂から下の町や村の位置を測定してそれらの位置を決定して行きます。山頂には水が出ませんから人は住んでいないでしょうが危険な野生動物が生息している場合があります。注意して下さい。それでは教科書の最初のページを開いて下さい。三角測量の原理が書いてあります。この学校で使う教科書は全て私が書きました。数分をかけて3ページを読みなさい。」

 「読みましたか。もう一度読みなさい。」

「左から2番目の人はこの教室の100分の1の縮尺の地図を三角測量法で作る方法を説明してみなさい。」

「はい、先生。わからない言葉をそのまま使ってよろしいでしょうか。」

「いいですよ。それが判ると言うことです。」

「教室の後ろの壁の長さを測り、仮に10mとしますと紙に10㎝の線を引きます。後ろの端から教室の前の両端の角度を測り、紙に同じ角度で線を引きます。後ろのもう一つの端から前の両端への角度を測り同じ角度で紙に線を引きます。線の交わった位置が教室の前の隅の位置ですから四隅を線で繋げば教室の百分の一の縮尺の地図になります。」

「正解です。分らなかった言葉は何でしたか。」

「角度です。」

 「そうなるはずです。角度は人がかってに決めたものです。角度は円周を定めた時の円の中心から円周端までの開きです。皆さんは円の周囲の長さは直径の何倍になるか知っておりますか。3番目の方、知っていますか。」

「知りません。考えたこともありませんでした。」

「わかりました。これからはその数字が頻繁に出てきます。答えは3・14159265358979とずっと続く数字です。皆さんが一生かかっても言うことができません。その数字を一つの記号、π(パイ)という記号で表わします。皆さんの教科書に書かれているπという記号がその数字だと思って下さい。角度は人が定めたものですが偉い人が勝手に決めたものではありません。使うのが便利なように角度を定めているのです。皆さんはラジアンという角度の定義を使って下さい。半径の長さの円弧の角度を一ラジアンとします。そうすると直角の角度は半πラジアンであり、直線の角度は1πラジアンであり、1周の角度は2πラジアンとなります。皆さんがこれから測量で使う望遠鏡は角度を刻んだ盤の上に載っております。円盤に刻まれた角度の目盛りは1000分の1ラジアンです。ですから円は3141・6の倍の6283程度に分割されております。今日は短いですがこれで終わります。新しい言葉、新しい概念を理解咀嚼(りかいそしゃく)するのには時間が必要です。理解できなくても教科書を何回も読んで下さい。最初は全く分らなくても何度も読んでいると言葉が自分の物となり理解できるようになります。真っ白な赤ん坊が言葉を憶えることと同じです。」

「一番右端の者は『起立。礼。着席。』の号令を講義の終わりにかけなさい。いいですか。」

「わかりました、先生。起立。礼。着席。」

 正午になる前に学生は宿舎の食堂に集まっていた。

食堂は大型の机が6つ配置され各机には組の数字が書かれた立て板が載っていた。

入口の反対側の壁には金属製の四角い出っ張りがいくつも出ていた。

正午になると千は入口から入って一番奥に立って皆に言った。

「ここが食堂です。献立は日々変りますが全員が同じものを食べることになります。今日は最初の記念ですから夫の好物であるカレーライスにしました。おそらく皆さんはこれまで食べたことがないものです。おいしいですよ。この食堂は全自動になっております。各自はここに来て調理器のボタンを押します。ボタンは1から10までの数字が付いております。大きい数字ほど量が多くなります。見ていて下さい。私は2のボタンを押します。」

 三秒して湯気の立ったカレーライスが装置の下から四角いお盆に載って出て来た。

「2のボタンでこれくらいです。分量はおいおい分ると思います。お盆には必ずコップが二つ載っております。一つには牛乳を、一つには果物ジュースを入れて下さい。皆さんの健康の保持のためです。牛乳は左側の二つの装置から出ます。ボタンが二つあって暖かい牛乳と冷たい牛乳が出ます。私は暖かい牛乳を飲みます。牛乳の隣の装置からは果物ジュースが出ます。とりあえず三台用意しました。絵が書いてありますが左から順にミカンとリンゴとバナナです。私はリンゴが好きです。一番左に置いてある装置はクルコルの装置です。ボタンを押せばこのように容器に入ったクルコルが出てきます。皆さんはまだ飲んだことが無いと思いますが少なくとも穂無洲国と海穂国の領主様はお好みでした。」

「食事を終えたら壁際にゆっくり流れている搬送帯にお盆をぴっちりはめて下さい。自動的に処理洗浄されます。」

「それからこの部屋の清掃は1日1組で順番に行って下さい。用具は横の蹴込みにあります。水は蹴込みの横の流しの水を使って下さい。水は飲めます。それでは初めての昼食を楽しんで下さい。」

千は残っていた6番目の机にお盆を持って行って一人でカレーライスを食べた。

 10日ほど経ってからの昼食時、千の向かいに荒波が来た。

食事は素早く済ませたらしい。

「千様、ここに座って質問してもよろしいでしょうか。」

「どうぞ、荒波様。」

「どう考えても分らないのです。千様は50人の学生に3食を与えております。既に10日間も与えております。食べ盛りの学生一人は一日で3合の米を食べます。50人では1日に15升になります。10日間では15斗でおよそ4俵の米俵が必要です。でも宿舎の周りには米の保管所がありません。主食の米でもそうですから他の食材のためにはもっと多くの保管場所が必要です。でもそれらしい物はありません。なぜこんなことができるのでしょうか。それに調理器の大きさは50人の学生の1回の食事を保存するには小さすぎです。どう考えても理解できません。こんなことが出来るなら戦争における兵站(へいたん)に苦労はしません。」

 「よく気付かれましたね、荒波様。米のご飯が米から作られるだけとは限らないということです。他の食材も同様です。でも出来た物は全く同じものなのです。荒波様がお好きなクルコルもそうです。夫の万が全て作りました。理解するためのヒントを差し上げましょう。後ろにある調理器はそれほど大きい物ではありません。荒波様は力強い方ですからがんばれば持ち上がるかもしれないとお思いでしょう。皆がいなくなってから持ち上げてみてください。おそらく持ち上げることはできません。重いのです。米俵にすればそうですね、400俵の重さ、20tくらいになっているはずです。ですから調理器が乗っている棚も丈夫に出来ております。」

「あんな小さな物が400俵の重さですか。金よりも重いのですね。」

 「荒波様が金の重さを知っていたとは思いませんでした。失礼しました。荒波様は色々なことを知りたい方なのですね。そうです。全体を見れば金の8倍程になりますが実際には金よりもずっと重い物が中に少量だけ入っております。」

「それは何ですか。」

「中性子と申します。荒波様や私や周囲の物の中に半分程入っている物です。荒波様は第5組に属しております。一般教養の課程でその物質のことを学びます。それまでお待ち下さい。」

「分りました。千様。一生懸命勉強します。ありがとうございます。本当に素晴らしい方だ。尊敬致します。」

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