考えてみればおかしい話だった
貴族、というか領主の一族というのは国との関わりもあれば領地の運営も考えなければならないけれどそれはあくまで男性の話。女性は一族そのものを守り、はてには一族を大きくする役割。
よくある物語ではそのようなジェンダー像が描かれていることも多い。もっとも、将斗が読んできた物語の中にはそういった固定概念を払拭するような趣向のものも多かった。むしろそういった傾向を良しとしている雰囲気があった。
だからかもしれない、システム屋の一員として領主の娘が仕事をしている点に違和感を持たなかったのは。
だからかもしれない。一切の護衛をつけず仕事をしている点に違和感を持たなかったのは。
だからである。『家』を出たトリアンナの振る舞いに将斗は手中の道具を落としそうになったのは。
「はぁ、将斗さん、この後付き合ってもらってよろしくて? もちろん構いませんわねたとえ何かあったとしてもあの野郎に埋め合わせさせますから。とっととそのサーバーを職場に置いてしまいましょう」
職場ではドラゴンに頭を下げて、どう考えてみきれいな言葉遣いしか知らないような令嬢が口にするものなのか。
あの野郎。
あの野郎とは誰のことだ? ついさっきまで穏やかに会話をしていたデンベルのことを言っているのか? 将斗に思い当たるところは彼以外にいないが、確かめるのも逆鱗に触れてしまいそうだった。
頭の中がはてなで一杯になる中、トリアンナを追っていればいつしか職場に黒い箱――サーバーらしいそれを置いて、今度はトリアンナに手首を掴まれて引っ張られた先は見るからに将斗には不釣り合いな立て付けの建物だった。
「いつもの個室へ案内してちょうだい。人払いと、他言無用で」
トリアンナは短い言葉を店員に添えるなり、店員を待たずに店内を闊歩する。将斗はただついて行くことしかできない。親の後をついて行く子供か、あるいは妻の買い物にただただ付き従う夫か。
どこなのか分からずあたりに視線を泳がせれば、どうもレストランだった。天井にいくつもぶら下がっている照明がフロアを照らし、その下にいくつものテーブルが並べられていた。そのほとんどには着飾った人々が食事を楽しんでいるではないか。将斗の歓迎会会場だった酒場とはてんで雰囲気が違う。
格が違う。
将斗は絨毯をぴっちり這わせた階段にビクビクしながら上る。上がった先の廊下にも絨毯が境なく敷き詰められていて、絨毯から壁がせり出してきているようだった。壁がピカピカに輝いている。『見ただけでわかる』というものを体験したのはお客さんの創立記念パーティに招待された時の会場ぐらいだったか。
その場に立っているだけでも萎縮してしまう。
一方でトリアンナは当然のように廊下を進んで、ある部屋に入ってゆく。将斗も後を追えば部屋の隅に給仕と思われる女性が軽く頭を下げていて、部屋の中央には四人がけのテーブル。
もう一人の給仕と思われる女性がイスを引いていて、トリアンナが腰を下ろしているところだった。
将斗も同様、壁際に立っていた給仕が将斗をイスに座らせられる。すると待ち構えていたように現れるのは入り口で応対した男性だった。トリアンナぐらいの階級だと、注文をしなくても料理を出してくれるらしい。
両手で持つことができるぐらいの樽で。手慣れた手付きで樽に蛇口を取り付けて、それから専用と思われる台に乗せて。
二人の前に空のグラスが供されて。
給仕が下ってしまった。将斗の見立てでは樽の中は飲み物だろう。しかしグラスに飲み物をつぐのも給仕の役目ではなかろうか。そう考えている横でトリアンナがおもむろに立ち上がると。
自らグラスに飲み物を注いだ。深い赤色の液体を、グラスの限界までなみなみと。
それで、腰を下ろすこともせずに飲み干した。将斗に自身の飲み物をつがせる余裕すら与えなかった。
目の前の光景は何なのだろうか。将斗は目の前の光景が理解できなかった。この個室にいる正面の女性は誰だ? 数ある荒くれ者を腕っぷし一つで束ねる女海賊か? 魔物を単身で屠る女傑か?
「あらごめんなさい、どうしても最初の一杯は譲れませんでして。ささ、将斗さんも飲んでください。私の農園で作ったお酒ですの」
貴族で。領主のお嬢さんで。システム屋の一員で。新しい情報では農園も手がけている。
「あの……」
将斗はショート寸前だった。理解が追いつかないというよりも、どこから理解すればよいのか分からない有様である。言葉遣いからにじみ出る高貴さと相対するような飲み物の飲みっぷり。
発するべき言葉が浮かばない内に、トリアンナは水滴一つついていないグラスを酒でいっぱいにしていた。なみなみ、とまではいかないものの八割ぐらいは埋まっていた。
将斗の正面にグラスを置いたところでようやく席に戻る。
「まったくあの男は何を考えているのでしょうね。てっきり商会の仕事に差し障るほどの問題かと思って駆けつけたら検証で起きた問題ですって。そんなの明日に連絡をよこせばよい話ではなくって?」
「まあ、本番障害でなければいいんじゃないですか」
「仕事を終わりにして帰ろうと思っていたところに使いの者までよこして! しかもいつの間にか使いはいないし、いたと思えばのこのこお茶の用意をしているだなんて。わたくしがお父様の娘だからって調子に乗っているのよ」
「あの、話が見えないのですが。それにその口調は一体」
「こっちのほうがわたくしの姿ですのよ。お父様に言われていなければ普段からこの調子でいられるのですが。わたくしのわがままで領の評判を落としてしまうのもはばかられるのでしょうがなく猫をかぶっているのです」
「猫をかぶっているって、どうして俺には」
「だってあなたは異世界人ですから。この国の人であればよっぽど常識のない人でなければデーバリー領を知らないわけがありません。ですから、こちら側の人と接する場合は気が抜けませんの」
「俺は日本人だから、そのルールには当てはまらないと」
「その通りです。だってこんな姿を見られてしまったら怒られてしまいますもの」
トリアンナは話しながらもめいいっぱいについだ一杯を一気に飲み干してしまう。
「次期領主はお兄様ですし、姉も妹も良縁に恵まれていますから。わたくしはもっと自由にしていてよいと思いません? なのにお父様ときたら、あとお母様もですが、ことある度に婚約のお話だとかお茶会のお話とかをするのです。それ以外に話題はないのかしら?」
「そればっかりは俺には分からないです。そんな習慣あまりないですし」
ようやく将斗がグラスに口をつければ、穏やかなアルコールの香りの後にしびれるような渋みと共に花の香がいっぱいに広がってゆく。渋みの層の上にほのかな甘みが重なっているようだった。
何と言うか、とても肉食的なワインである。
「ですからわたくし、この会社に入りましたの。魔法の心得ならそれなりにありましたし、忙しくしていれば無理やり話を進められることもないでしょうに」
「領主の一族の一員が会社勤めというのも変な気がしますが」
「ねらっていましてよ。無知な方々には変なやつと思われているでしょうね。でもこの程度であれば領の評判を悪くする程度ではないでしょう。社会勉強のために仕事の下働きに出たらことのほかのめり込んでしまった、程度」
トリアンナは空のグラスに自ら酒を流し込んだ。
「なのにあの野郎ときたら! トーバー商会はうちの領に本店を構える商会なのですが、どうもわたくしのことを都合のよい女と捉えている様子なのです。だから変な要求をしてきたり、今回みたいに急ぎでもないことを急ぎであるかのように扱いやがって。将斗さんがいなかったら今頃あのハコで野郎をぶん殴っていました」
「トリアンナさん、口調が」
「あら、あの野郎のことを思い出してしまうとつい感情的になってしまいます」
グラスを満たした途端に消えてゆく。
「ですが、あの商会のおかげでうちの領の収支はまずまず、機嫌を悪くされても困ってしまうのでできるだけ我慢しようとしているのです」
「その結果がこの暴飲ですか」
「もとからお酒は好きでしてよ? 何なら幼い頃から飲み漁っていますし。たくさん飲めるように酒精もきつくならないよう調整していますの」
「それならシステム屋ではなくてワイン農家をやればよかったのでは」
「それも考えた時期がありました」
「ではどうして」
「だってこの会社に入れば異世界に行くことも可能です。そんなおもしろい機会、中々ありません」
ちょうどトリアンナがグラスを開けたところで扉をノックする音があった。一テンポ遅れて開かれた扉の先にはカートを押す女性給仕の姿。カートの上にはいくつかの料理が並んでいた。野菜、肉、肉、肉――
貴族令嬢は皿の上に目を輝かせているが、家格の高い女性が注文するような料理には見えなかった。
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