第38話 あかね

「う……うわ……ううううううう。なんで、なんでなの。こずちゃん、かなたちゃん。なんでなんだよぅ。なんで……いやだよ。いやだよぅ。どこにもいかないで。こずちゃん、かなたちゃん、なんで」


 ありすがその場に崩れ落ちる。


「私は魔女じゃないよ。私は、ただの女の子だよ。なんで、なんで、私が何をしたの。わからない、わからないよぅ」


 泣き続けるありすの前に、いつのまにかあかねが立っていた。


有子ゆうこちゃん、泣かないで。大丈夫。大丈夫だよ。心配しなくてもいいの。大丈夫」

「あかね……ちゃん……あかねちゃん、うわぁぁぁぁぁ」


 ありすはあかねにすがりつくように掴むと、あかねに抱きついて泣き続けていた。


「大丈夫。心配いらないからね。少し、ほんの少しの間だけお別れするだけだから」


 あかねはありすの背をなでながら、優しい声で語りかけていた。

 だけど僕にはもう分かっていた。

 もうすでにあかねも消えていこうとしていることが。


「有子ちゃんの魔法。とてもすごい魔法だったんだよ。私やこずえちゃんやかなたちゃん。それから村のみんなも。こうしてここに戻ってくる事ができたんだから。有子ちゃんの唱えた魔法。それがこの村の救世主になってくれたの」


 かつて僕が言った映画の話。

 不思議の国を救った救世主の話。

 アリスという名前の女の子の話。

 僕と二人で話した魔女のお話。

 神様の前で告げた約束の話。

 ありすの魔法がそれを叶えたというのだろうか。


「でもね。もう時間が切れちゃった。どんなにすごい魔法の力でも、いつまでも奇跡は起こせないから。けどこうして謙人けんとくんが来てくれるまで、力が残せていて良かった。有子ちゃんが幸せになってくれないと嫌だもの」

「もしかして。もしかしてあかねちゃんも……あかねちゃんもなの。いやだよぅ。いやだよ。いかないで、おいていかないで。ひとりぼっちにしないでよ。いやだよぅ」

「大丈夫。有子ちゃんにはもう謙人くんがいるじゃない。有子ちゃんはひとりぼっちなんかじゃないよ」

「違う。違うよ。謙人さんは謙人さん……。あかねちゃんはあかねちゃんだよ。どうして私をおいていっちゃうの。いやだよ。いやだよぅ」

「大丈夫。おいてなんかいかないよ。ちょっとお別れの時間がくるだけ。またいつかどこかであえるから。だからね。大丈夫。それより、いつものように『有子じゃないよ。ありすって呼んでよ』って言わないの? 有子ちゃんがいつもと違うから、ちょっと調子が狂っちゃうな」


 あかねはありすの鼻先に指をあてて、それからにこやかに笑いかける。

 だけどどこか寂しげな微笑みで、まるで遠い場所にいるかのような、そんな気がしていた。


「だって。だって。あかねちゃん……だって」

「あっと。残念だけど、私にもそろそろお迎えがきちゃったみたい。有子ちゃん。大好きだよ。謙人くんと幸せになってね」

「いやだいやだ……いやだよぅ。いかないで……。おいてかないでよぅ。あかねちゃん」

「有子ちゃん。私ね。この最後の夏は楽しかった。謙人くんがきて、有子ちゃんがいて。こずえちゃんやかなたちゃんがいて。少しだけだけど、みんなで過ごせた想い出の夏だもの。だから最後まで楽しく過ごしてお別れしたいの。だから有子ちゃん、泣かないで」

「あかねちゃん……あかねちゃん……うわぁぁぁぁぁぁぁん」


 背中をさすりながら、あかねはありすへと優しく微笑みかける。

 あかねは目には涙は浮かべていなかった。

 ただただ優しくありすを見守り続けていた。

 静かに静かにありすを抱擁し続けていた。


「謙人くん。有子ちゃんをよろしくね」


 最後にそれだけ言い残して、あかねはゆっくりと消えていく。

 あかねは涙をこぼさなかった。

 ただ僕達に微笑みかけていた。消えていく事を完全に受け入れていたかのように。

 祭りの笛太鼓が聞こえてきていた。

 どこから聞こえてくるのかはわからない。

 ただお祭りの空気は、まだ終わっては居なかった。


「おいおい。娘を泣かせるなって、あれほどいったろうが」


 そして神社の入り口の方からけんさんと奈々子ななこさんが姿を現していた。


「健さん、奈々子さん」

「お父さん、お母さん……! かなたちゃんやこずちゃんや、あかねちゃんが……! 消えて、消えてしまったの。本当だよ。嘘じゃないよ……お父さん、お母さん!」


 ありすが両親の元に駆け寄っていた。健さんがありすを包むようにして、その頭をなでていた。


「おう。最愛の娘よ。心配するな。大丈夫だ」


 健さんが娘に励ましの声をかける。

 ただその言葉で理解してしまっていた。健さんと奈々子さんも他の皆と同じだという事が。


「謙人さん、お祭り楽しんでくれていますか。楽しい夏祭りにしてくれていますか」


 奈々子さんはいつもと変わらない。

 にこやかな笑顔で、僕達に笑いかけている。

 変わらずにいようとしているのが痛いほどにわかった。


「ま、仕方ねぇんだよ。最初から決まっていたこったからな」

「お父さん……?」


 突然の台詞にありすは父の名を呼んで、少しその顔を見上げていた。

 健さんは少しだけ息を飲み込むと、ゆっくりと話し始める。


「あん時、俺が祈っちまったからな。お前だけは助けてくれって。それで祠の神様が叶えてくれたんだよ。お前がかつて願った村の救世主になるって願いと一緒にな」


 健さんは自分の鼻をぽりぽりとかいて、それからありすの頭にぽんと手を載せる。


「たちの悪い病気がよ。この村で流行っちまったみたいでな。どっからきたのか、誰がもってきたのかもわからねぇ。けど村の大半の人間がかかっちまったのか、あっという間にみんな死んじまったよ。すぐに死ななかった奴らも病院送りになって、それでも何とか助かった奴もいるみたいだがよ。俺らみたいに間に合わなかった人間も多かったんだよ」


 健さんはまるで人ごとだったかのように話を続けていた。


「何が起きたのかはわからねぇ。病気か。いやそもそももしかしたら毒ガスか何かだったのかもしれねぇが、とにかく急にみんなばたばたと倒れちまってよ。こんな田舎の村だから、救急車を呼んでもすぐにはきやしねぇし、そもそも動ける人間も少なかった。それで俺もな、やられちまってほとんど動けなくなってしまった。ただ俺はたまたまお前と一緒にひまわり畑にやってきていた。ちょうどあの祠の辺りだ。お前はまだ倒れちゃいなかったが、苦しそうにしていた。このままじゃあお前も倒れちまう。そう思った俺は願った。神様、もしもいるんなら助けてくれ。有子だけでいい。どうかどうか助けてくれ。どうか有子だけでも助けてくれってな」

「お父さん……」


 ありすは父の話をただ聞き入っていた。

 何が起きているのかは理解が出来てはいなかっただろう。

 けどそうするしかありすにも出来なかったのだろう。

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