第34話 夏の想い出に
帰り道二人とも無言のままだった。
話したのは一言「そろそろ帰ろう」という僕の言葉だけ。ありすは無言のまま頷いて、ゆっくりと僕について歩き出していた。
想い出の場所が荒れ果てている事がよほどショックだったのだろう。
「明日の夏祭りがおわったらさ、僕達二人でまた綺麗に戻そう。幸い
「……はい」
僕の提案に、何とかありすは頷く。
ただかなり沈んでしまっているのか、いつもよりもずっと口数は少なかった。
家までたどり着いたあとには、いちど自分の部屋へと戻っていったようだ。
僕は借りている客間で静かに座っていた。
「やれやれ。だからお勧めしないといったのに、結局行ってしまったんだね」
ミーシャの声が響く。
同時にふすまが開かれて、その隙間すらミーシャがゆっくりと歩いてくる。
「君は知っていたんだね。祠の現状を」
「まぁね。よく知っていたさ」
「先に教えてくれれば良かったのに」
僕がぼやきのように告げると、ミーシャはゆっくりと首を振るう。
「もしも教えていたとしても変わらなかっただろうさ。祠がそんな状態だと知ったら、なおさら見に行こうと有子は言っただろう。そして同じようにショックを受けたに違いない。君がボクの警告をきいて行かないでいてくれたらとは少しは考えたけれど、まぁ無理だとはボクも思っていたよ。何せ
ミーシャは少しトーンを落とした声で告げる。
確かにミーシャが告げていたとしたら、ありすはむしろ走ってでも祠に向かっただろう。
そうしていれば僕の告白もなくて、ありすは余計に悲しんでいたかもしれない。
ミーシャの言葉がなければ、もしかしたら僕も強いショックを受けていたかも知れない。ミーシャの言葉で少し何かがある事はわかっていただけに、ありすほどの衝撃は受けなかった。そう考えればミーシャのとった行動は最善だったのかもしれない。
ただそれでも何か出来なかったのかと心の中に強く葛藤がある。
ミーシャにそれを求めるのは筋違いだとも思う。だけどミーシャはやっぱり全てを知っているような、そんな気がしていた。彼女になら何か出来たんじゃないかと思ってしまう。
「まぁもう気持ちを切り替えて、明日の夏祭りを楽しむしかないさ。ボクも祭りの最後までは見守っているからね」
ミーシャは言いながらも、大きくあくびを一つもらす。
「さてボクはそろそろ眠るとするよ。そろそろ体も言う事をきかなくなってきててね」
おばあさんのような事を言うとも思ったけれど、猫にとって八年というのはかなり長い年数だ。若い声にあまり感じては居なかったけれど、ミーシャは実際にはそれなりの老猫なのだろう。
ミーシャはまたタンスの上に飛び乗ると、その上で丸くなっていた。前にもそこで眠っていたから、彼女のお気に入りの場所なのかもしれない。
「じゃあ
ミーシャはそのまま眠りに入ってしまう。
猫は良く寝る子、寝子から転じて猫になったという説もあるくらい、良く眠る生き物だ。ミーシャもこうして何度も眠っているのだろう。
夕食にはまだ時間がある。そこまでには元気を出してもらえればいいのだけれど。
僕はどうやってありすを元気づけるのか。それだけをただ考え始めていた。
夕食の場ではありすは普通だった。
いつもと変わらない様子で、
だけど少しだけ違う事があるとしたら、僕とはほとんど口を利かなかった事だろう。不自然なほどに健さんや奈々子さんとばかり話していた。
健さんは食事の後リベンジだといって、僕と将棋を指していた。ありすの事は気になっていたけれど、何をいっていいかもわからなかったし、変に健さんや奈々子さんに心配をかけたくなかったのもある。だから僕もなるべく普通にしていた。
将棋はハンデをつけた上でほぼ片手間でも負ける事はなかったけど、健さんはそちらに熱中していただけあって、ありすの様子には気がつかれなくてすんだと思う。
「あなた。そろそろお風呂に入ってくださいな」
奈々子さんの言葉に、健さんがおっくうにしながらも立ち上がる。
「我が最愛の妻がそういうからには仕方ねぇ。でも風呂あがったらもう一勝負だぞ!?」
「明日もあるんですから、将棋はそのくらいにしておいてくださいな。謙人さんだって、疲れているでしょう」
「ち、我が最愛の妻がそういうからには仕方ない。じゃあまた明日……いや明日は夏祭りか。かーっ。もう勝負する時間は無くなっちまったな。悔しいが勝ち逃げされてしまったぜ」
健さんは大げさに顔を抑えると、それからお風呂の方へと向かっていったようだ。
「すみませんね。あの人は熱くなるとすぐ周りが見えなくなるんです」
「いえいえ。かまいませんよ」
「それから、謙人さん。有子と何かありましたか?」
奈々子さんが僕の方をじっと見つめてくる。
健さんと違って勝負に熱中している訳でもない奈々子さんは、娘の様子がおかしい事にすぐに気がついたのだろう。
「いえ、何かあった訳ではありません。実は」
祠の事をかいつまんで話す。
冷静に話をきいていた奈々子さんではあったが、僕が話し終えると共に大きな溜息をもらしていた。
「そう。そうなの」
奈々子さんはもういちど息を深く吐き出す。
そして僕へとまっすぐに視線を向けてきていた。
「いつかはこんな事になるとは思っていたけれど、やっぱりそうなってしまったのね」
誰に告げるでもなく声を漏らすと、奈々子さんは今度は覚悟を決めたような顔で僕を再び見つめていた。
妙な迫力に僕は思わず息を飲み込む。いつもひょうひょうとしていた奈々子さんだけに、このような真剣な表情を見ると少し緊張が走る。
「謙人さん。お願いがあります。聴いてくれますか」
「はい、何でしょうか。僕に出来る事なら」
「明日は夏祭りがありますが、有子とずっと離れずに一緒にいて上げてください。一日最後までずっと楽しく過ごしてあげてくれますか?」
奈々子さんのお願いは思ってもみないことだった。
言われなくても僕はありすと一緒にいるつもりではあったけれど、奈々子さんもありすの事が心配なんだろう。
「もちろんです。ありすを……えっと有子さんを元気づけられるかは自信がありませんが、出来る限りの事はしたいと思います」
「そう。ありがとう。絶対にそうして頂戴ね」
奈々子さんは安堵の息を吐き出していた。
「有子にとって、この夏が楽しい思い出で残るように」
奈々子さんの声はどこか寂しげにも聞こえた。
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