先生を愛しすぎて殺しちゃう話

榮倉慶

先生

「ひとりで大丈夫?」


 先生はいつもそう声をかけてくれた。一人で食べていたり、廊下を移動していたりする時は必ず気に掛けてくれた。今思えば高校生という一番青春を味わうべき年代なのに友達が一人もいなかったことを心配していてくれたのだと思う。


「先生がいるから大丈夫です」


 私は言われるたび同じことを先生に返していた。強がりだって相手にされなかったけれど。事実、強がりなんかではなく、自分から周りの人を遠ざけていたからだ。学校に入学して一目みた瞬間に恋に落ちた。必死に考えて辿り着いたのが先生の手を焼くような生徒になればいい、という答えだった。とはいうものの、ただ迷惑をかけまくる生徒であれば嫌われてしまうし、勉強ができない生徒であれば自分の授業を聞いていないのかと落ち込んでしまうかもしれない。だから私は非の打ち所がない優等生を演じて自分から孤立していくように仕向けた。


 私の全ては作り物でできているということを先生は今でも知らない。それでもよかった。それでも私は一緒にいたかった。だからありのままの自分を封じ込めて優等生という仮面を被った。ありのままの自分でいられなくなるのが悲しくならないように、その日から自分を丸ごと作り替えた。


 在学中ずっとずっとただ先生のことだけを考えていた。先生にこの気持ちを伝えたい、でも真面目な先生のことだから傷つかないように配慮して断るのだろうなと、毎日同じことを繰り返し考えては落ち込んでいた。生徒と教師という関係性は何てめんどくさいものなんだろうか。今も昔もその想いは変わらない。


 先生のことが好きすぎて自分のアイデンティティを失おうと、好きすぎて病もうと、好きすぎて狂おうと、どうなったってかまわなかった。先生のことさえ考えていれば腕を切る痛みだって快感に変わったし、薬を過剰摂取し意識朦朧としても幸せだった。だから、先生が手に入るのならどうなったっていい。


 そんな気持ちで今日は卒業式に参加した。


 いよいよ全ての行事が終わった。皆それぞれ友達と写真を撮ったり、憧れだった人のボタンをもらいに行ったり、告白したり、いかにも青春っぽいことをする。そんな中私も先生と話すために学校中を駆け回った。


「歩先生は急いで学校を出て行ったわよ、ご友人と食事するらしいわ」


 やっと先生について聞けた頃にはもう遅かった。どうやら近所のレストランに行ってしまったという情報だけが虚しく頭に響いた。私は諦めきれず、先生を見つけるために近所のレストラン一軒一軒を周り始める。一つ一つのレストランを覗き込むようにして探すが、それでも見つからない。焦る気持ちを抑えて探しつつけたら、夜になってしまった。


 とりあえず、明日会いに行こう。


 切ない痛みを胸に抱えながら帰路につく。卒業式の先生のスピーチなどいろんなことを思い出しながらちょっと気分を変えていたら見つけてしまった。


 高めなレストランから出てくる二人の男女。そのうちの一人に見覚えがある気がして、じっくりみるとそれは小綺麗におしゃれをした先生だった。


「それで寝癖がついたままですよって言われちゃって」

「もう、抜けてるね。まだまだ顔も心も子供って感じだよ」


 楽しそうに軽口を叩き合いながら歩く二人。大人の魅力を自然と感じさせるような顔つきの茶髪の女性ともう一人、スーツ姿の濡れ羽色の黒髪で可愛らしい童顔の男性。全く真逆のものを持ち合わせていたが、それが互いの良さを引き立てていて、なんだか胸の奥がひどく傷んだ。


「先生……」


 蚊の鳴くような声を出す。聞こえないでくれと願いながらもこちらの存在に気づいて欲しいという自己矛盾で思わず声が漏れてしまった。


「ん?」


 先生はその声を拾ってくれた。こちらに視線を合わせてくれる。その流し目はとても色っぽくて、悔しくもときめいてしまう。聞こえなかったらこのまま惨めな気持ちで帰れるだけで済んだかもしれないのに。


「先生……先生は、どうしてそんなに酷いことが出来るのでしょうか?」


 そういうと先生は訳がわからないという顔をした。それはそうだ。別に私たちは恋人同士でもなんでもない。ただの教師と生徒だ。ましてやこのような言い方ではなんの話をしているのかが分からない。


 一方的に育ってしまった恋愛感情がどす黒い感情に変換していくのが感じられる。身を焦すような切なかった気持ちが全てのどを締め付けるような耐え難い苦痛に変わる。寒気が走り、耳鳴りがする。目の前の邪魔者に対して攻撃的な感情の手綱を握り損ねそうになる。


「日向、申し訳ないけれど今日はこれで解散しよう。埋め合わせはまた今度する」


 呼び捨てだ。やはり、恋人なのだろう。そういって先生がこちらへ向かってくる。恋人との楽しいひと時よりも私を優先してくれたという事実で少々気がおさまった。


「あそこの公園で話そうか」


 先生は私を連れてそそくさと公園へと向かった。


 もう春だと言っても夜なので外はまだ肌寒かった。公園に咲いている少し萎れた黄色いたんぽぽや真っ白な綿毛のいっぱいついてるたんぽぽを幾つも通り過ぎてからやっと先生は足を止めた。私たちはベンチで腰をおろした。


「どうしたんだ」


 先生がそう質問してくれる。途端に感情が溢れ出してやまない。何度も口を開いては閉ざす。それでも何も言わずに先生が待ってくれる。


 ああ、嫌いだ。恋人とのデートより生徒の相談を優先する『いい人』な先生が嫌いだ。気合を入れておしゃれした艶を出した茶色の髪の毛も、真っ直ぐ通った鼻筋も、ふさふさの長いまつ毛も、嫌い。分かったような雰囲気を醸し出して私たちを静かに見つめて送り出した先生の恋人も嫌いだ。みんなみんな、大嫌いだ。全てを壊したい。


 溶岩のような、荒海のような醜い感情を持ってしまう。これ以上先生の時間を割かないように、嫌われてしまわないように、手遅れになる前に帰ろうとする。しかし、そんな意思とは裏腹に口が勝手に開いで言葉を紡ぐ。


「さっきの人は誰ですか? 彼氏ですか? 私、先生に気があるんですよ。知ってましたよね? 知った上であんな行動をとったんですか? 信じられないですね。嘘つき。色々話したじゃないですか。親も友達も先生もみんなも誰も信じられないって言ったじゃないですか。そしたら先生がいいよ、私だけは信頼できる絶対に裏切らない人になってあげるって言いましたよね? それなのに何ですか、今までくれた言葉は全て嘘だったんですか……?」


 どんどん気持ちだけが暴走していってしまう。こうなるともうダメだ、自制が効かない。まるで自分が体から切り離されたような感覚になる。ベラベラベラベラ下らないことを喚き立ててる自分の肉体を一歩足を引いた視点で観察しているような気分。手が付けられない。先生、ごめんなさい。


 先生が困ってる。当然だ。自分は仲良くデートしていただけなのにそれを生徒に中断されて色々喚かれているのだから。


「…………」


 一筋の風が吹き、タンポポの綿毛が舞う。先生が意を決したように口を開くのを見て焦ったわたしは言う。


「そうだ、先生がそんな態度なら私にも考えがあります」


 あ、まずい。もうダメだ。何か取り返しのつかないことをしてしまう。なんとしてでも止めたいのに、何もできない。狂気に体を操られている気分だ。


 最初からこんな嘘つきな先生に出会わなければよかった。あんなに自分を殺してまで尽くさなければよかった。先生への思いから生まれたたくさんの傷跡が痛む。勘違いしなければよかった。付け上がらなければよかった。


「……一緒に死にましょう? 先生。私のものにならないのなら、私だけを見てくれないのならばもう手段はこれしかない。私は悪くない。先生が悪いんだ。あの男と仲良くして。私がいるのに! どうして、どうして私を見てくれなかったのですか先生!」


 そう言いながら先生に詰め寄って行く。先生はじりじりと後退していたが、やがて踵が木にぶつかった。


 すると、騒ぎを聞きつけたのか公園の管理人がこちらに向かって走るのが見えた。通報されてしまうのだろうか。先生は私だけのものなのに、どうして誰かの手で引き裂かれないといけないのだろうか。先生は本当に私の気持ちに気付いていなかったのだろうか。焦りからか気持ちが暴走しだす。何人かの野次馬たちも集まってきてしまったようだ。


 人が見てる。


 人が見てるから、早く、殺さなきゃ。早く終わらせないと、阻止される前に。


「先生ごめんなさい。ごめんなさい。好きです、ごめんなさい。大好きなんです、ごめんなさい」


 謝りながら両手を首にを寄せていって、先生の発言を強制的に止める。唇を先生のに近づけ、接吻を交わす。暖かい、他人の体温が唇越しに伝わってくる。私なんかが感じてはいけない体温。そのまま自分の舌をぬるりと苦しさの為開かれた口腔内に滑り入れ、先生の舌に絡みつけて引っ張りだす。私と先生がごちゃごちゃに混ざる。暖かい。ぬるぬるしている。しばらく舌で口腔内を堪能する。歯肉をなぞる。歯茎をなぞる。そこには、確かに先生の輪郭があった。


 喜びで悶えた瞬間、実のぎっしり詰まった果実がひび割れるような音がした。何か暖かい、分厚くて柔らかいものが歯に当たる。力を歯に込めてゆっくり咀嚼する。瞬間、口一杯に先生の味が広がる。舌を噛み千切ったのだ。止めどなく溢れ出るのは血と、罪悪感。それと、罪悪感を上回る昏い悦び。申し訳ない気持ちは確かにあった。でも、だって、そうしないと早く死なないから。早く殺さないと、警察が来て、捕まって、先生が。先生が、逃げてしまう。私の手のひらの中からこぼれ落ちて、私以外を選んでしまう。そんなのは、絶対に許さない。


 口一杯に流れ込んでくる甘露を堪能しながら、首を締めている手に力を注ぐ。先生、ごめんなさい。こんな愛し方しか知らなくてごめんなさい。こんな愛されない子でごめんなさい。誰も、愛し方なんて教えてくれなかったの。私、先生しか愛したことなくて。どうすればいいか分からなかった。ごめんなさい。


 そのまま先生の舌ごと罪悪感も、愛情も、悔しさも切なさも、報われなかった想いも全部全部飲み込んだ。

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