[G]繰り返し、夜の玄関。

 ──眠った先の、なかった話。


 日がとっぷり落ちた時間。帰宅した[私]は、真っ暗な玄関先で手の感覚に頼って鍵を開け、自宅に入る。いつも通りふらふらと下駄箱に手を付き、荷物を下ろし、靴を脱ぐ為に屈もうとしたところで──何者かに襲われた。

 まず、ゴリゴリする太い鎖を背後から首に掛けられ、仰向けに押し倒される。体の回転にあわせて鎖が交差され、二重に巻き付く。月の薄明かりが雪に反射して、襲撃者の顔を仄白く照らしている。女だ。美しい女だ。

 住宅街のはずなのに人の気配が全然しない。雪が全部音を吸っている。

 女は田舎に似つかわしくない華美な格好をしていた。顔立ちも綺麗だった。丁寧な化粧が施されている。唇が真っ赤だ。

「あは」

 口が横に裂け、少女のような笑い声が漏れた。

「くるしい?」

 首が締まって答えることもできない。

 女が跨って身体を固定しているから、身動きも取れない。ゴリゴリ、ゴリゴリ、と嫌な音を立て、鎖が喉を圧迫する。女の長い茶髪が頬に掛かる。

 女は執拗に苦しいかと口にした。その合間に、[私]が普段こぼしている『悪い言葉』を作った声でそらんじた。

 しにたい、ごめんなさい、ゆるして。

 なんでいきてるんだろう。ごめんなさい。ごめんなさい。

 スーツを着た地味なOLの[私]は、常日頃、息をするように謝罪して、暇があれば独り言で自分を否定した。

 [私]を害する華美な女は、嘲るように[私]の口癖を囁いた。

「お前、要らないもんね。壊されても、文句言えないよね」


 ばきん、と音がした。


 鎖が引き千切れた音なのか、頸が折れた音なのか、酸欠でブラックアウトした[私]には分からなかった。ただ、女がケタケタといやらしく笑う声だけが、恐怖と共にくっきりと耳に残った。


 気付くと、私は玄関の前に立っていた。


「……?」


 なんだか頭がぼうっとする。手癖で鍵を捻り、玄関を開ける。

 後頭部に強い衝撃が走った。

 膝からくずおれた私の手首を乱暴に掴み、上がりかまちに仰向けに押し倒した女に、見覚えがあった。

 私は一度、この女に殺されている。

 女は笑っていた。狂気的な笑い声が絶え間なく響く。手に持った焼酎の瓶が、私の頭を繰り返し殴打する。

「痛い?」

 打撃の度、確かめる様に問われる。

 目の前が真っ赤で何も考えられない。


「ちゃんと壊れないと駄目じゃん」


   ◆ ◆ ◆

 

 ……気付けば、玄関の前に立ち尽くしている。

 何回殺されただろう。きっと今も、近くにあの女が立っている。暗がりの中で、私が家に入るのを待っている。

 玄関の鍵を、捻る。

 玄関の引き戸を開放すると同時に、私はしゃがんで鞄を横薙ぎに振った。分厚い資料やら水筒やらが詰まった鞄は、相応の重量をもって女の脚を打った。

 背に、柔らかな人間の腹の感触がある。そのまま腕を掴んで投げ倒し、土足のまま上がり框に上がり込んで体を押さえつける。


 女は笑っていた。


 私は、頭に血が上って、女の頬を打った。

 視界の隅に、鈍く光る鎖が投げ出されていた。手早く手を伸ばし、私は女の首に巻き付けた。

 手に力を込める。

 最初に死んだ時聞いた、ゴリゴリ、という嫌な音がした。暗い玄関に、女と私の荒い呼吸音が響く。

「は、は」

 女は、苦しげな声で、それでも笑う。

「お前、要らないよ」

 要らないってなんだ、知らないよ、私はお前を知らないよ、お前は私の何を知っているんだよ、怖いんだよ知らない人が家の近くにいるのも殺そうとしてくるのも実際殺されるのも全部怖かったし気持ち悪かったよもうしにたくない怖いのは嫌だお前がいなくなりさえすれば────そんな言葉が、自分の脳を介する前に、口からどろどろ吐き出された。自分の声のはずなのに、自分の声とは思えないほど冷たく無機質だった。

 鎖がゴリゴリと音を立てる。私は力を込め過ぎて血の流れる拳を、目一杯左右に引き絞った。


「あ」


 やばい。

 脳が警鐘を鳴らし、全身を悪寒が駆ける。鎖伝いに、私の手が、女の首の骨を捉えているのが分かる。


 今止まらないと、私はこの人を確実に『殺してしまう』。

 怖い。怖い。何が怖いか分からないけど、怖い。


 止まらないと、止まらないといけないのに──私の手は、更に力を込める。


 ──起床。

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