[G]嘘呼ぶ嘘

 ────眠った先の、無かった話。


 私は平凡な中学生だった。

 ある日、さほど親しくもない男子生徒に感謝を伝える為に、少し大袈裟な言葉を使った。カッコイイとか大好きとか、そんな適当な言葉だったと思う。すると相手の体がみるみる膨れ、体長4mほどの肉の塊のようになった。

 彼は人でなかった。

 私は彼に連れて行かれ、荒れ放題の日本家屋で暮らす事になる。


 ものでごった返す日本家屋には先客がいた。見目麗しい少女だ。仮にMとする。Mは彼に見初められ、かなり前に拐かされたらしい。ゴミ溜めの鶴という言葉が似合う人だと思った。

 私はことある毎にMと比較された。彼女は「惚れたから連れてきた」、私は「惚れられたから連れ来てやった」という認識らしかった。彼女はある程度のワガママが許され、私は常時彼の機嫌を取ることが求められた。

 元々たいして好きでもなかった人間が化け物にフォルムチェンジして、愛せる訳がない。しかし私は、彼の尊厳を傷付けたらその暴力で殺される他ないことを知っていた。

 彼への恐怖をひた隠しにして、毎日のように睦言を言った。

 その度に生きた心地がしなかった。


 ある日のことだ。私は普段通り彼に手を握られ、「ここに来て良かっただろ?」と問われて「うん」と返事をした。

 普段通りにしていたはずなのに、彼は呆然とし、「嘘を吐いているにおいがする」と言って私の手を取り直した。

「もう一回聞くよ。ここに来て良かったよね?」

 私には、この後の覆せない仕打ちが本能的に分かってしまっていた。

 一度崩れてしまえば、恐怖も表情も手の震えも取り繕えなくなった。

「うん、もちろん。嘘なんてついてないよ。もしかしたらMへの嫉妬心が理由かも」

 私は、悪足搔きと知りながらも、心にもない嘘を重ねた。

「いいや、これは駄目だ」

 彼は悲しそうに言って、私の左手の親指を引き千切った。

 私は悲鳴を上げ、その場に倒れ込んだ。抱え込んだ手からは血が溢れ、痛みに朦朧とした意識の中で、浅くなる呼吸と背を伝う脂汗の生温さだけが知覚できた。

 私が何をした。

 私が何をしたというのだろう。

 この仕打ちに納得できる理由が欲しかった。そうでないなら、いっそ殺してほしいとさえ思った。

 彼が立ち去った後、Mは私の身の回りを綺麗にしてくれた。私は自分の体液まみれで、有り体に言って汚かった。当然涙も鼻水も酷かったし、気付いたら失禁もしていた。惨めで仕方なかった。

 Mは私の体液を拭くのに、そこら辺に散乱していた半紙を使った。半紙は習字に使われたもので、私の服は黒く汚れた。彼女は見目麗しく、頭が切れて、何より雑だった。そしてそれを許されていた。

 半紙に書き添えられた作者の名前は全て見知らぬ物だった。

 その中に、やけに目につくものが交ざっていた。まず半紙ではない。短冊だ。大きめの一筆箋のようなものに、Mのフルネームと「必ず助ける」といった文言が書かれていた。署名はT.Kとなっている。

 Mに問うても「昔の事だよ」としか教えてくれなかった。

 私はその後、泣き疲れてそのまま眠った。


 翌朝、私は普段通り起きて朝食を用意した。指のない部分は何かで固められ、不思議と痛みは消えていた。

 恐怖を二度と出さないよう、顔面に笑みを貼り付ける。

 私は自己暗示が得意だった。

 私の中でその日本家屋は実家に、化物の彼は親に、Mは姉に見えていた。無意識でそう思い込んだ。随分歪んだ親と姉だったが、その違和感はすべて無視した。

 食卓につくと、Mは手紙について問われていた。

 昨日の一筆箋を机に出しっぱなしにしていたのだ。彼女は適当な嘘で茶を濁す。遠因とはいえ自分の為にMが珍しいミスをしたので、どことなく申し訳無さを感じた。

 食事中に電話が鳴る。

 彼に出ろと指示され、席を立って別室の電話を取った。架電してきたのは若い男性だった。

 私の名前を確認し、助けが欲しければ定期的に連絡をしてくれといった旨の内容が手短に伝えられた。名前を問うと、有名な小説の主人公の名前が伝えられた。明らかな偽名だった。

 私は戻って、全てそのまま彼に伝えた。

 繕っても無駄だった。助かる訳がない。切り離した人格の絶望を、笑顔の私は確かに感じていた。

 ここに立つ私に、嘘のない部分など一つもない。またいつ「嘘の匂いが」等と言われて体を引きちぎられるか分かったものではないのだ。それらの記憶は健忘の遥か先に霞んでいるとはいえ、嘘を重ねられる訳がなかった。

 彼は「ふうん」とだけ言って、「それより」と私の両手を取った。

「もう大丈夫だよね?」

「うん」

「ねえ、ここに来て良かった?」


「うん、もちろん!」


 私は満面の笑みで答えた。

 私は嘘を吐くのが得意だ。忘れるのも得意だ。

 生きる為なら、恐怖でも尊厳でも、忘れてみせよう。


────起床。(2022/08/10)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る