伯爵は過去に翻弄される ②

今すぐデビニアンの町に引き返すか、先を急いで次に逗留できそうな小さな村か集落を見つけ次第、そこで安静にするか──ラウドが出した答えは、街道を少し離れて野営の準備をし、代わりに早馬をデビニアンで別れた魔術師長に向かわせるものだった。

「……っ、アーウェン殿がっ!またっ…倒られたとっ……」

「魔術師長!」

本来ならば二頭で引く街乗りの馬車に四頭もの馬を繋いで駆けつけた魔術師長は、激しい揺れに酔ったのか青い顔をしたまままろび出た。

よろける大の男を支え肩を貸したのは、御者台で馬の手綱を取っていたジェナリーである。

「…と、ジェナリーじょ……いや、夫人」

「もう!どっちでもよろしくてよ?別に学院時代の呼び名でも、ヴィーシャムは怒ったりはなさらないでしょう。それよりも、アーウェンちゃんは?!」

「あっ…ああ……あちらの野営用天幕テントで休ませている。エレノアとカラがついているが……」

「わかりました。一体何が……というのは、皆様はもうお分かりのようね?」

実際のところは『おそらく』という但しつきの『呪いの残滓』が原因である。

そこまで夫の部下以外の点では無関係と言っていい女性に告げるべきか──ラウドは一瞬悩んだが、軽く頷き、とりあえずはふたりをアーウェンの寝ている天幕へと案内した。

「………やはり、アーウェン殿にとって『過去』が何らかのきっかけとなり、沁みつき抜けきっていない呪いが、アーウェン殿の心身に負担をかけるのでしょう」

魔力を放出し、魔術展開で頭のてっぺんからつま先までくまなく検査した魔術師長は頭を振った。

「では、その呪いさえ抜けば……?」

「そうはいきません」

伝えるのを迷うかのようにいったん言葉を切り、魔術師長は幼い身体を見下ろしながら話す。

「……呪いは言葉でありますが、その言葉を刻み込むために使うある種の薬……もしくは野草を煎じた物を服用させることで、対象者の意識を奪いながらしっかりと根付かせる方法があります。アーウェン殿が受けてきた呪いはおそらく乳児の頃から……乳母などの手によって乳の代わりに与えられてきたものかもしれません」

「乳母……そのような者を雇う余裕は、アーウェンの生家にはない……ま、まさか……生みの母が手ずから……?」

「そのような恐ろしいことは考えたくもありませんが……二~三歳ほどの分別がつく前の孤児をそのような薬漬けにし、人道的には許されない……愛玩用に育てたり、売買する組織があると聞いたことはあります……」

「しかし、曲がりなりにも男爵という爵位を持ち、おそらくそういった薬は高価な物であろうが、それを手に入れるために犯罪を起こしたという報告はない……」

報告書の中に矛盾はいくらでもあったのだ。


四人の男児を産みながらも、どの子も手放さずに育てていた男爵夫人。

アーウェンを蔑みながらも、慈しみ、手放すことに同意しながらも何故か『ニ度と会わない』という契約を無視して『成長を知りたい』と思ったのか。

貧困ゆえにもうけた胎児をどうすることもできず、かといって養子や里子に出すこともなく、実子をすべて『金さえ稼げればできた息子』と考えているはずなのに、病弱で働けそうもない四男だけ特別扱いする男爵当主。

上の子供たちに手を出したということはないのに、アーウェンだけに暴力や暴言を吐いた。

長男と次男はもう成人の年に達していたか間近だったために、一番最後に産まれた末弟にはほとんど興味を示さなかったというが、世話を任されていた三男ですら、アーウェンを疎んでいた。

五体満足で特に頭脳に問題があるわけでもないのに『出来損ない』と決めつけ、乳児同然の年齢から大人の従僕のようなことができないと蔑み、アーウェンの存在を隠すように『いない者』として家から出されないことを当然として受け入れてきたのである。


「……サウラス男爵家だけでなく、先代や婚家まで遡って調べてみよう。次男や三男のいる商会にも怪しい動きがないか……」

「時間はかかるでしょう。何せ『今』の話ではなく、五年から八年以上前のこととなるはずですから」

だが突き止めねば、アーウェンが完全に開放される手立てを見つけることもできない。


困難でもやり遂げねば──


そう決意するラウドに向かい、黙ってアーウェンを見ていたジェナリーが口を開いた。

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