少年は衝撃を受ける ③

なにゆえ自分はこの家に連れてこられ、父に睨まれてばかりいるのだろうか。


幼い頭では考えても考えても、まったくわからない。

むしろ母に食べさせたいと思ったのと同じぐらい、病弱でほとんど自室から出られないすぐ上の兄にも、離れて暮らしている領地にいる兄にも義姉にも、そして平民と一緒に働く二人の兄にも、同じものを味わってほしいと思うくらいなのに──


少年が皿を汚しながらもケーキを平らげたのに、満足ではなく虚しさを込めた溜め息をつくのを見ると、伯爵は手を軽く上げて、室内に控えていた若い従僕をアーウィンの横に立たせた。

「その者についていきなさい。君が今日から生活する部屋に案内する。これからの予定はその者に聞きなさい」

「は…い……あ、あのぅ……?」

「何かね?」

優し気に微笑む伯爵の声には、先ほど父に向けていたような怖い感じはまったくない。

むしろ初めて自分から声をかけた少年に対して、面白がっているような表情をしてさえいる。

「あの……ぼ、く……おうち、いつ……かえ……る……の?」

いったいなぜこんなすごい家に連れてこられ、父とは別の部屋に連れて行かれ、知らない人とふたりっきりにされるのか──先ほど『この家にいる時の規則』みたいなものを聞かされたが、それが何を意味するのか、たどたどしい喋り方をする少年はまったく理解していない様子に、ターランド伯爵は軽く目を見開いた。

アーウェンとしては「できれば一週間ぐらいで帰れればいいな…」という気持ちですらある。

「いつとは?」

「あの……にいさま……かあさま……おせわする……から、おてつだいのおば、さん……いない……片付け、ない…と……」

「そっ、そんなのは、他の従僕がやるに決まっているだろう!」

「え……?」

父が噛みつくように怒鳴りつけると、アーウェンはたちまち虚ろな目になり、また目を瞑って身体を固くする──それは、雇い主から罰の鞭打ちを待つ下男のような姿で。



ターランド伯爵家では玄関を開けてくれた従僕、伯爵自身に付き従う執事長らしき年配の男性、執事室のドアを開けた執事、部屋の中には従僕──少なくとも四人は使用人を見ている。

それに比べて二階建てではあるが上はサウラス男爵夫妻の寝室と、かつて長男が使っていたが今は四男が寝起きしている客間の他、下の階には台所と小さいサロン兼居間であるはずの部屋があり、そこは次男から末っ子までの男の子三人が一緒の子供部屋だった。

しかも屋根裏にある狭い空間は、とてもではないが人が住めるような部屋の体裁すら為しておらず、それをいいことにあらゆる雑多な物が押し込まれている。

だいたいサウラス男爵家には住み込みの使用人を雇うような余裕がなく、たったひとり通いの家政婦がいたぐらいで、父が言うような従僕がいたことはない。

なのに経済的にもかなり差のある伯爵家に対して少しでもサウラス男爵は見栄を張ろうとしたのだが、幼い息子にはその意図は伝わらなかったらしい。

「だれ……?……おてつだいのおばさん、にいさまが……おせわ、いやって……だ、から……ぼく……が……」

「バッ、バカッ!」

アーウェンが「だから僕がお世話するんでしょう?」とたどたどしく続ける前に、その口を塞ごうと焦ったのか、サウラス男爵は思わず息子に手を上げた。


それは誰も止める間もない、一瞬の出来事──


バシッと頬を打つ音と共に八歳にしては小さい身体がソファから浮いて床に倒れ込む寸前、従僕に優しく抱きかかえられる。

「……連れて行きなさい」

失態を自覚して青くなる男爵には冷ややかな目を向け、ターランド伯爵は従僕に退出を命じた。

「どうやら貴君は、ご子息に何も告げずに連れてきたのだね?」

加減なく平手打ちされて赤くなった頬を押さえ、その衝撃にめまいを覚えて立つこともできない身体を掬い上げられたアーウェンは、従僕がそっとドアを潜り抜けた時に聞いたその言葉を最後に、ふっと意識を失った。


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