第2話 ダイバー・ダウン
『夢なら覚めないで欲しい』。なんて使い古されたフレーズであろうか。素敵な響きを携えながら、その癖に内情たるや浅薄そのもの。実に浅学愚鈍が好みそうな、陳腐な響きではないか。
私は覚めない夢など悪夢と断ずる。もし今生きている世界に、終わりが見えないとしたら?自らの死を以て終わる筈の生が、邯鄲の夢枕のように眠っている束の間の夢でしかないとしたら?そんな絶望を神は私に与えた事を、終生呪わずにはおけないだろう。
始皇帝のように不死を望むというのは、私のような凡人には理解し難い行為で、今ある権力が未来永劫に続くならば不死も悪くはなかろうが、盛者必衰の定めをよくよく肝に銘じておけば、不死を望む行為は冥府の沼に浸かるが如き愚行である。
よって人の生を真剣に生き抜く為には、今だけを頑張り決断し続けるしかない。だからこそ、一度きりと決めて掛かる人生において、人は日々を決断していかなければならないのだろう。だがこの決断は好む好まざるに限らず、常に選択を迫る悪魔の審判である。
私たちは言うなれば、自らが望んだ訳でもないのにこの世界に生を受けている。だがご存知のように、世界は無常である。望み通りに叶う夢など、それこそ少ない。大概は理不尽な理の中に放り込まれ、その高邁な精神を摩耗しきり、終ぞ道楽のみに耽る魂の抜け殻を醸成する。
考えない、所謂『思考停止』状態とは、ストレス社会から身を守る生物としての防衛本能のようなものであろう。
だが魂の抜け殻といえど――否。魂の抜け殻故に、肉体的な、刹那的な、感情的な動機ばかりに対して過剰反応し癇癪を起す。
世界は私にとっての世界Aだが、他者においてはその数だけ世界B、世界C……と続いていく。
世界の本質は知る事は出来ないと既に述べた見解から観察すると、これら他者の世界観などは別段気にする程のものでもないように思う。だが違ったのだ。私にとって、他者は不快なものである。強烈な悪意を持って払うべき唯一の敵である。他者とは、世界において唯一私の存在を否定出来る剣である。私の自己探求、完璧と主張したい真理に対して、唾を吐き、悪口を浴びせ、十字架に張り付けられた私の心臓を貫く神槍となる。
私にとって――私自身が認識し得る世界に於いては、他者はどこまでも純粋な不純物である。だが、不純物なければ真理の進化も為されない。それはまるで、ウイルスに対して抗力を発揮する抗体のように、弱い真理に対して毒を与え、更に強力な真理を生み出す薬でもある。
以上の事から、他者は私が唯一殺したいと願う敵でありながら、また唯一私を完成に近づける協力者でもある。
世界とは不思議である。全くの不純物でさえ、他者は私に何かを還元し、そしてまた私の存在が他者に何かを還元しているのである。私は他者を嫌悪している。他者も私を嫌悪している。それなのに、他者は私を自己完結の牢獄から私を連れ去ってくれるのである。
なんともロマンティックな響きではないか。そして、こと他者の至境に到達して初めて、世界の真理というぼやけた実像が朧気ながら見えてくる。私から真理に到達する事はあっても(真理到達が可能であると仮定するならば)真理から私に到達する事はない。
そして、私から見えていたと錯覚する真理の実態は、他者の観測者がいて初めて比較が可能になり、また認識する事が可能となる。世界は広い。故に、私だけの世界でもない。二人以上からなる世界に於いて、初めて世界はその実態を私の眼前に巨大な姿を晒すのだ。
この広大無辺な、到底人力の及ぶ所ではない畏怖を携えながらも、世界は存し続ける。故に私のような人間は挑まずにはいられない。世界は、神は、その挑戦を拒まない。
深慮遠謀を以てして、世界を前にしては児戯に等しく、じゃれ付く赤子の浅はかさと笑う様は、掌の上を逃げ惑う悟空を俯瞰するお釈迦様である。泰然自若として威光を示すその様は、人の謀に屈する筈も無く。人外の智慧にて私の接近を跳ね飛ばす、神大なる高き壁。故に世界は計り難く。故に神は偉大である。
では、どこまでも完璧と思える世界にして、何故私が如き俗人に夢と思しき白銀の世界を与えたもうたのか?心の原初の状態が、この世界そのものであろうか?
であるならば、余りにも殺風景が過ぎると感じるのも、不敬には当たるまい。殺風景故の孤独と表現しても良い世界観が此処にはある。一方で、どこまでも広陵たる見渡す限りの地平線は、同時に他者との関係を唯一断つ事が出来る侵食されない魔境でもある。そう、どこまでも自由なのだ。私の思想に対して、私自身が口に出す事無く、その胸の内に秘めている限りは、他者を以てしても私そのものを害する事は出来ない。
言霊とはよく出来たもので、人の口から放たれた瞬間に言葉は魔性を帯び始め、他者に、世界に対して牙を剥く。遥か昔に編み出された文字にしても、言霊は宿った。
私は実に大変な、それでいて興味尽きぬ禍根渦巻く世界に放り出されたものである。仮に世界に言霊が無ければ、文明の発達は遅々として進まず、同時に諍いも極めて原始的な段階に留まるのみであろう。
だが、言霊は悪霊の衣装を借りて跋扈する。ネットの普及に伴い、世界は加速度的に終末へと向かうだろう。もしかしたら、私が立つ白銀の世界は、世界そのものが人類に対して訴える慟哭であり、また臨界点を知らせる警告ではないか。
そんな警告に、私たちは知らぬ存ぜぬを決め込んで、日夜を無為に過ごしている。現実も夢も、全ての世界が崩壊しても、私は私で在り続けるしかない。私は私にしか成り得ず、また変わる事は永永無窮にして無い。
有為転変は世の習いと言うが、流転する世界の中で私という個だけが埋没する事無くその法則に逆らい続け、また変わらぬ事で均衡を保ち続ける。しかし不思議なのは、先述したように人生の選択というものは、間断無く私達に突き付けられるというのに、その選択の何れも優しいのだ。
選択は迫りながらも、選択そのものを無視する事すら厭わない。決して、強制的な二択のような重圧が無いのである。どこまでも選択は自由なのだ。
だが、この自由の仮面こそ人類を縛り付ける見えない鎖である。そして自由ほど言霊の宿る言葉を私は他に知らない。
自由!素晴らしい響きだ。神の祝福を与えられし無二の言葉。しかしながら、自由は私たちの首に縄を括り、知らず知らずの間にキリキリと締め付けるのだ。
それも、私自らの意思で選択したかのような錯覚を伴いながら、まるで幸福へと辿る至上の道であるかのように、その歩みを破滅の頂きへと進めるのである。これほど恐ろしい悪魔は、創生の世から今日に至るまで現れていない。
そしてまた、自由を駆逐する術をも、神は我々に与えていない。さながら人類は、生まれながらにして自由の刑に処されているのである。
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