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  • お疲れさまでした!

    そして、お疲れのところすみませんが、+αで一つ。
    「自分の存在を疑うことができない(ここでの自分は認識主体としての自分、つまり自己)」というのが、やや引っ掛かりを感じました。
    いや、もちろん知っていますよ、この論理は。ある程度は賛成できますし。
    でも、この時、確かに「認識装置」としての自己は存在が確実だとは言えますが、そこから自我の形成に至るのはやや早急な気がします。

    というのも、自我というのが、断続的ではなく連続的、つまり時間に依存しているからです。自我というのは自分が自分だと認識することで、つまり自分の観測が記録装置に保存されないといけないと言うことになります。
    言い換えると、一瞬前の自分と現在の自分を両方完全な状態で認識しなければ、変動する自分という存在から不変の自己という存在を取り出すことはできません。

    さて、問題なのは、この過去の自分を記録している装置の存在を疑えることになる、ということです。自分が「過去」と認識しているものは実は「現在」というたった一瞬のうちに認識したもので、従って時間的変化を伴わない変化なのかもしれない、つまり自己というものは時間的に変化していない別の作用によって変化している自分という存在から導きだされたものかもしれません。

    となると時間というものを疑わなければなりません。

    しかし、ここには時間についての考察が記されていませんでしたので、一応不足かな、と。

    ついでにもう一つ。

    この少女(?)、こんだけ考察しておきながら、自分の過去の思考がそのまま現在に引き継がれているか、考えもしていませんよね。
    早川書房の出している「アステリズムに花束を─百合SFアンソロジー─」の「幽世知能」を見ていただけると幸いなのですが、自分というのは断続的で、連続的じゃない。だから、そもそも世界に宣戦布告した後、仮に真理に辿り着いたとしても、それは次の瞬間には断続してしまっていて、だから次の瞬間にもまた辿り着かなければならない、でも仮に断続的だとしても過去と認識している変化の影響下にはあるのだから、前提が違う。だから、もう一度真理に辿り着いたとしても、それは最初に辿り着いた真理とは異なる、
    つまり同じ真理には辿り着けない。
    と、思いました。

    まあ、なんやかんやいいましたが、僕はこの作品は好きです。
    この作品を書いてくれて、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。