第三章2 染みるカフェオレ

 入口でチケットを見せて、劇場の奥へと進む。


 いよいよだ。いよいよ、俺が待ちに待った作品とご対面。

 ごちゃついた思考も、作品への期待で自然といっぱいになっていく。


 いったん席について飲み物を置き、交互にトイレに行って準備万端。

 暗い場内で、どんどん募る高揚感に身を任せる。

 そして――



『これは、勇気の話だ』


 主人公アユムの語りから、物語は始まった。

 この物語は、彼の父親が不倫をするという、何ともファンタジーらしからぬストーリーを軸に序盤が展開する。


 有無を言わさぬ父親、嘆き悲しむ母親。

 まだ子どものアユムにはどうすることもできない現実。


 その現実に、ジワジワとファンタジーの世界が姿を見せ始めるのだ。

 あるときは少女の声が、またあるときは老人の影が、『もう一つの世界』の存在を匂わせる。


 やがて姿を現したその世界に、アユムは飛び込んでいく。

 辿り着けば現実の運命を変えられるという、最果ての地を目指して。


 彼の旅立ちをもって、第一部は幕を閉じる。



 三部作ということで、そこまでだろうと予想はできていた。

 が、その出来は完全に予想を超えていた。


 尺としては削りながらも、厳しい現実世界を濃密に描いてくれていた。

 そこへ徐々に混ざり込む非現実の、少しの怖さと、燃えるようなワクワク感。

 これぞファンタジーの醍醐味だいごみ


 そして、アユムが決意を胸に旅立つラストシーン。

 勢いそのままに主題歌『Resolution』に突入し、映画は最高の形で締めくくられた。


 エンドロールが流れきって、周りの観客が劇場を後にするなか――


「やー、よかったねー……ってめっちゃ泣いてる!」


 俺、大号泣。


「いや……こんなん泣くわ……」

「えええ、ちょっと顔ヤバイよ? 大丈夫? 真っ直ぐ歩ける? とりあえず出なきゃだし、どっかカフェとか入ろっか」


 いやそれは言いすぎ、さすがに前後不覚とかはない。

 と思って立ち上がると、歩き出した瞬間、肘掛けに思いっきり膝をぶつけた。


「っーーーー!」

「言わんこっちゃない! ほら、こっち! 行くよ!」


 声にならない叫びを上げる俺。その手を甘音がつかんで引っ張った。

 涙で前が見えず、されるがままに歩き出す。


 少し落ち着いた頃には、近くの喫茶店の席に座っていた。

 マジか、いつの間に。


「あたしホットのカフェオレにするけど、同じでいい?」


 聞かれて「うん」と答えようとしたが、まだまともに声が出なかったので頷いた。

 いいよ、今は温かいカフェオレが染みるよきっと。


 甘音が注文まで済ませてくれて、しばらくして来たカフェオレを啜ったところで、ようやく本当に落ち着いてきた。


「本当に好きなんだねぇ」


 そんな俺を見て、彼女はそうこぼした。


「まぁ……こう、ちょっと思い入れのある作品でさ。また映画化するってだけでも嬉しかったのに、あのクオリティーが出てきたから……感極まっちゃって」


 うんうん、と俺を見守る視線は温かい。


「さ、思うぞんぶん語りたまえ!」

「……いいの?」


 挙句そんなことを言われては、もう止まるはずもない。


「まずさ、原作の重厚さを損なわずに出しきってくれたのがもう――」

「で、演出がさ。憎いよねホント。あの絶妙な間が――」

「声優さんの演技もよかった。アユム役は新人さんで初々しさがいい感じだし、それを取り囲むベテラン勢の渋さったら――」


 アニメは総合芸術である、というのが俺の持論。

 なので、語る切り口も無数にある。

 思うぞんぶん語れと言われれば、本当に終わりはない気がする。


「やっぱり、あそこで旅立つアユムがさ。こう、ちっぽけな少年が勇気を出す感じがさ。主題歌の『Resolution』でさ、最後に『踏み出すんだ』ってもうさ、反則だよ。泣いたわ」

「うん、めっちゃ泣いてたね」

「ってか気づいた!? Cメロ後の間奏、『決意の夜』のサビのフレーズが引用されてんの! もはや禁止カードでは? っていうかエンドロールでタイトル見た瞬間が一番泣けたわ……」

「あ、やっぱり!? そうかなーって思ってた! ヤバいよね、ああいうの」

「いや、ホント主題歌最高だった。正直そこは前作越えられるか不安だったけど、これはホントによかった」

「わかりみ! めっちゃカッコよかったよねー!」


 そう、本当によかった。

 だって、流れてるときからすでにもう――


「「あの曲で踊りたいなって……」」


 俺たちの声は、見事にシンクロした。


 お互い驚いて、ぽかんと顔を見合わせる。

 数秒間見つめ合って――俺は目を逸らし、甘音は顔を両手で覆った。


 え、それはどういう反応?

 目が合ったからって照れるようなタイプじゃないでしょうに。


「あー、ズルい。そういうのズルいよ咲楽くん」

「……いや、何が?」


 手の向こうからくぐもった声を出す彼女に、戸惑いながらそう返す。

 いや、あなただっていつもズルいですが。


 深呼吸を二回して、彼女は手を下ろした。


「なんでも。バカ」


 どこか、困ったような笑顔。

 それがやけに色っぽくて、俺はまたぞろ目を逸らす。

 こう、あんまり見てるとダメな気がした。


「そろそろ出よっか。あたしお腹空いちゃった!」

「あ、うん」


 彼女がそう言ってくれたことで一安心。

 席を立ちさりげなく――内心はドキドキしながら――レシートを取る。


「いくら?」

「いや、出すよ。迷惑かけたし、今日のお礼も兼ねて」


 その言葉は、思ったよりも自然に出ていた。

 アユムの勇気を分けてもらったのかも――なんて。


「え、気にしなくていいのに。……じゃあ、お言葉に甘えて」


 甘音はそう言って、俺の横を通り過ぎて店の外に向かう。途中、


「ありがとね」


 耳元で囁く声。

 首筋がぞわりとして、すぐに全身が熱くなった。


「ホットカフェオレ二つで、お会計九百円になります」


 店員さんがすごく生暖かい顔をしている。

 それでまた恥ずかしさが増し、たぶん真っ赤な顔をしたまま、俺は会計を済ませた。



 結局、スマートとは程遠かったな。

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