第19話 裏切り
「もう16時になっちまうぞ。なにしてんだ。あいつは」
ゴリさんが腕時計に視線を落し、ウロウロと歩きまわっている。僕も思いは一緒だ。ノッポさんが行ってから30分以上経つ。時は止まることなく僕らの時間を奪っていく。
「俺、ちょっと見てくるわ」
すでにゴリさんの足は体育館へと向かっている。慌てて後を追った。
玄関ホールから本部がある2階へと行こうとしていた時、先を行くゴリさんと僕に美和の声が飛んできた。
振り返れば、足を止めて、体育館の中を見つめている。僕らも戻って、すぐに体育館の中へと視線を向けた。
「あいつ」
ゴリさんの言葉から怒りが溢れだしている。大股で床を蹴り飛ばし、体育館へと入っていく。
僕らも後に続く。視線の先には、避難している人たちと談笑しながら、ペットボトルを配っている姿がある。
「おいっ」
抑えているのに、張り上げているより強い声がノッポさんへと向かっていく。
振り返ったノッポさんは、一瞬、ぎょっとした表情を見せたが、手でゴリさんを制すような仕草をし、何も言うことなく、視線を戻した。そして、ペットボトルを渡しながら、会話を続けようとしている。
僕らが最初にここに来た時見たのと同じ姿。まるで何ごともなかったかのように。
結局、ノッポさんには何も届いていない。何も。
ゴリさんが、ノッポさんが抱えている段ボールを叩き飛ばし、胸元を掴みあげた。段ボールからペットボトルが散乱し、いくつもの悲鳴があがり、近くにいた幼い子どもは大声で泣きだしている。
僕はただ立ちつくしていた。
誰か、と呼ぶ声が聞こえてくる。
助けて、と叫ぶ声が聞こえてくる。
何人もの大人がゴリさんに掴みかかっている。
やめろ、やめてくれ――声にだすことができない。
ゴリさんを引きずり倒し、抑え込もうとしている。ゴリさんは腕を振り、体を振って抵抗している。いくつもの弩号がぶつかり合っている。
「やめろ。ゴリ」
ノッポさんの声も届いていない。
消防隊員も加わって、ゴリさんが抑え込まれ、頭も床に押しつけられている。それでも、顔を歪めながら抵抗している。
「お願い、やめて」
そう言って駆け寄った美和が払い倒された。
「大丈夫か」
近寄り、声をかけるが、美和は黙ったまま目の前の光景を見つめている。そこにいる男たちは、美和を倒した本人でさえ気付かずに、ゴリさんを抑えるのに必死になっている。
「やめろ」湧き上がってくるものが口から漏れる。そして、噴き上がった。「やめろ!」
立ち上がり、足を踏みだした。襟首をつかみ、引き倒す。すぐに周りを囲んでいた誰かの腕が伸びてきた。それを振り払い、さらに奥へと手を伸ばして襟首を掴もうとした。その瞬間、背後から両脇を抱えられて引きとめられた。
体を振りまわすようにして払う。それからは無我夢中だった。伸びてくる腕を取って投げたかもしれない。足を払い、突き倒したかもしれない。
邪魔する者を払いながら、ただ、ゴリさんだけを見続けていた。
気付けば、僕もゴリさんの横で床に抑え込まれている。
ゴリさんが呻き、叫んでいる。「放せ!」
その時突然、体育館が静まりかえった。聞こえてきたのは、腹へと響く重くて厚い声。
「静かにせい」
誰もが口を閉ざし、雨音だけが響く中、誰かが近づいてくる気配だけが感じられる。
「もう、大丈夫だと思うんで、放してやってくれますか」
近くで低い声が聞こえ、頭や体に圧しかかっていた力が消えていく。
「ヒロミ。立ちなさい」
横で動く気配を感じ、僕も体を起こしながら、声のほうへと顔を向けた。グレーのスーツに消防隊と同じ帽子をかぶった恰幅のいい男。背が大きいわけではないが、背筋が伸び、周りを圧するような威厳に満ちている。
この人が写真の――校長先生だと思う。
「君も、大丈夫かい?」
雰囲気とは違う柔らかな声に、僕は小さくうなずき、立ち上がった。横に立つゴリさんは下を向いたまま、何も言葉を発しない。
「ヒロミ。これはいったいどういうことだ?」
ゴリさんは口を固く結び続けている。校長の視線が横へと流れていく。
「トシヤ。いったいどういうことだ?」
同じように下を向いていたノッポさんの顔が一瞬上がった。その時、視線は誰かに向かっていた。校長が、向かった視線の先へと顔を向け、
「隊長。何があったのですか」
隊長といわれた40代くらいの男は、
「いや、よく分かりませんが、そこの若者が突然、うちのキムラに掴みかかったようです」
まるで自分の責任を問われているかのように口ごもっている。思えば、この人は体育館の出入り口近くで腕組みをしながら立っていた。まるで、監視でもしているかのように。
校長は、「そうですか」と言うと周りを見渡し、「みなさん。お騒がせして申し訳ありません。バカ者たちはすぐに連れていきますんで」
校長は周りに向かって頭を下げた。さらに険しかった顔をほころばせ、
「気苦労もあってお疲れだとは思いますが、あと少しの辛抱だと思うんで、がんばっていきましょう」
体育館中に届くように声を張った後、ゴリさんとノッポさんを引きつれて去って行く。僕らもその後に続いた。
玄関ホールにでたところで、僕らは足を止めていた。
ゴリさんは掴みかからんばかりの勢いで、ノッポさんを睨んでいる。
「トシヤ。話しがあるんで、私と一緒に2階に来なさい」
ノッポさんが返事をし、続いて、ゴリさんも声をかけられているが、黙ったまま睨み続けている。
校長が、ヒロミ、と声を張り、ゴリさんの視線がやっと動いた。
「お前は外で少し頭を冷やしてこい」
怒鳴っているわけではないが、有無も言わせぬ迫力に、ゴリさんは無言のまま動きだした。
「君らも一緒に、少し冷静になったほうがいいですね」
僕は小さく返事をし、この場を後にした。
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