第11話 いかつい天使

 僕は缶を一気に傾けた。味もよく分からないまま、液体が喉の奥へと流れ込んでいく。空になった缶を手に立ち上がると、どこからか声が聞こえてきた。


「いやあ」駅舎へと男が駆け込んでくる。「すげえ、すげえ。こりゃ暫くやまんな」


 誰とはなしにしゃべる男。いかつい顔に短く刈られた頭、半そでの白シャツが今にもはち切れそうな体をしている。男は自販機へと向かっていく。


 木枠の窓からロータリーに止まるタクシーが見える。だとしても関係ない。道がダメなら、バスだろうが、タクシーだろうがどうにもならないのだから。


「部活かい? こんな雨の日に大変だねえ」


 男はそう言いながら横を通り過ぎ、少し離れたところに腰を下ろした。


「いえ、そういうわけじゃ」


 カゴに缶を捨てながら言葉を返したのだが、男は聞いているのかいないのか、ゴクゴクと勢いよく缶をあおっている。


 そんな姿を横目に、元のところに腰を下ろしていると、なにか音が耳へと流れ込んできた。視線を向ければ、缶が床に転がっている。


「ごめん、ごめん。もう一回」


 突然、立ち上がった男が人差し指を立て、まるで子ども同士かのように、僕に言ってくる。30(歳)にはなっているであろう、いかつい顔の大人が。


 男は缶を拾い上げ、同じ場所へと腰を下ろした。缶を持った手を肩の上に持っていき、カゴへと狙いを定めている。缶がふわりと弧を描く。


 だが――男は「今のは、なし」などと言いながら、缶を拾いに向かっている。そして、もう一度同じことを繰り返している。その風貌のせいか、その姿は無邪気に遊ぶ、ゴリラ、といった感じで、思わず頬が緩んでくる。


 ふと視界の端に映る姿に目を見張った。美和がゴクゴクと缶を一気に傾けている。そして、大きく息をつき、缶が宙を舞った。


 小気味いい音がし、その近くから、「おう!」


 カゴのそばで自分の缶を拾っていた男が声をあげ、振り返っている。


 綺麗に伸びている美和の右腕を目にし、ナイスとばかりに親指を立てて突きだした。そして、自分の手にある缶も、「ダンクシュート!」とカゴの真上から投げ入れた。


「ナイシュッ!」


 美和の声に再び振り返った男の顔が、くしゃりと崩れた。大きな顔全体が笑顔になると、なんとも愛らしいゴリラのゴリさんといった感じだ。


 と突然、美和が立ち上がった。


「ねえ、チャポ。何度も聞いてうんざりしている言葉なのに、こういう時って、頭に浮かんでくるもんだね」


 美和が顔を向けてくる。引き締まった顔と力強い目がそこにある。


「あきらめたら終わりだよ」


 そう言い残し、ゴリさんのほうへと近づいていく。


「タクシーの運転手さんですよね」


 美和もロータリーに止まるタクシーを目にしていたのだろう。ゴリさんが、おぅ、と勢いに押されぎみに答えている。


 タクシーの運転手、それは僕も分かっている。だからといって――そう思いながらも体が動いていた。そして、美和の隣に立ち、


「途中まででいんで乗せていってください。後は歩きますから」


 美和が驚きの表情を向けてくる。きっと、思いは同じだ。僕は小さくアゴを引いた。美和がすぐにうなずき返してくれる。


「歩くって……?」


 ゴリさんの思わず漏れたといった声が聞こえてきた。そこで気付いた。何も説明していない。すぐに、さっきの運転手から聞いたことを話し、改めてお願いした。


「確かに無線で、県道の一部がなんちゃらかんちゃらとは言ってたなあ」


 ゴリさんは指でポリポリと頭を掻き、じゃあな、といった感じで背を向けて歩いていく。


 やっぱりダメだということか。


 ゴリさん越しに見える駅舎の外、辺りが霞むほどに激しくなった雨が僕らの思いを打ち砕いていく。視線が下へと落ちていく。視界の片隅に美和の固く握られた拳が見える。


「おい!」


 声に視線が引き寄せられる。ゴリさんが駅舎の出入り口で立ち止っている。


「どうしたんだよ?」


 雨音にも負けないその声に対し、小さく声が漏れる。「えっ?」


「ほら、柿沼に行くんだろ」

「はい……」小さな声とともに、美和と顔を見合わせた。そして、すぐさまゴリさんに向かって思いっきり、「はい!」


 見てくれてはいかついけど、救いの天使が現れてくれた。

 ありがとうございます。

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