脱・暗殺者への道 〜目指すは一般人です〜

宮原陽暉

プロローグ


 暗殺者として作られた。


 幼い頃にさらわれ、特殊な薬で記憶を奪われて、すべてを、まっさらな状態にされて。


 あらゆる暗殺技術から、淑女としてのふるまい、女官としての教養や娼婦のしぐさから房中術までを仕込まれ、十歳になるころにはその手を血で染めていた。


 『四門しもん』の暗殺者として、人を殺す。

 そのことに疑問をおぼえることなどなかった。


 否──


 疑問をもつことなど、許されなかった。

 もってしまえば──そこには『死』以外の結末などありえないのだから。

 そう。


 いま眼の前にいる彼のように。


 闇夜を裂くように、月明かりがその姿を照らしだした。

 それは、美しい少年だった。

 年のころは、十代の半ば。人形のような整った容姿に対して、鋭すぎる黒眼がひどく印象的だった。

 彼は、座するように、古びた壁によりかかっていて、そして──


 ──死にかけていた。


 闇にまぎれる黒装束に身をつつんでいるので目立たないが、その腹からは致死量に達する血が流れでていた。

 それを見おろしながら問いかけた。


「斧刃──まだ、生きている?」


「ああ、生きているよ。幻魔……」


 彼は月を見あげていた。


「いい月夜だな。死ぬには、とてもいい夜だ……」


「そう、かもね」


 しばらく二人して、月を眺めていた。

 彼とは年も近く、ともに殺しの技を磨いた。友といってもよかったかもしれない。


 だが、それを自分の手で殺すことになった。それは、彼が組織を裏切ったから。だから殺す。命令だから殺す。

 そのことに感慨がわくこともなかった。それが暗殺者というものだから。


 血の臭いが鼻につく。その臭いは傷が内臓まで達していることを告げていた。彼の命の灯火は、ほとんど残っていないだろう。


「なあ──」


「なに?」


 彼は弱々しく声をもらすと同時に吐血した。それでも言葉を続けてくる。


「──疑問に思ったことはないか? 暗殺者としての生きかたに……」


 それが彼の最後の言葉になった。息をひきとったのだ。

 それを見届けてから、踵をかえした。


 死体の処理は、草──後方支援する者たち──が担当してくれる。

 あさく吐息をつき、月を見あげた。

 そして、振り返ることなく、言葉をもらした。


「疑問に思わなかったことなんて──ないよ」


 暗殺者は月明かりに、銀髪をひるがえすと悠然とその場を立ち去った。

 物言わぬ死体だけがそこに残された。

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