誰も私を見ていない
悠井すみれ
第1話
フレンチ居酒屋の個室にグラスが触れ合う音が響く。ゼミの女子での同窓会だ。家庭や仕事がある年齢になると、同期が集まる機会は貴重なものだ。だからお店もそれぞれのメイクや服装も、少し気合の入ったものになっている。
「今の会社、辞めようかなって思ってるんだ」
「転職? 同じ業界で?」
「ううん、いったん留学しよっかなって」
「良いなあ。うちは、子供がせめて小学校に上がらないと」
「旅行も大変そうだよね」
「そうそう!
仕事に趣味に恋愛に。配偶者やその実家のちょっとした愚痴。子供がいる子は、まだこの中には少ないけれど。私にとって未知の話題だと、みんなが笑いながら話すのが自慢なのか悩みなのか、区別つかないこともある。
久しぶりの席に座が盛り上がる中、私は主に聞き手に回っていた。適度に相槌を打ちながら見つめるのは、シャンデリアを模した照明でも、宝石のような彩の前菜でもない。小粒のダイヤが煌めく
良い子なのは誰もが認めるところだ。明るくてさっぱりしていて。仕事も順調らしい。今日のメンバーの中では、化粧っけが一番薄い。スーツ姿なのは、土曜にも関わらず出勤日だったからだって最初に言ってた。でも、飾り気のない格好は多忙だからというだけじゃない。葵が見た目に──比較的──無頓着なのは、学生時代からのことだった。
もう少し手をかけたらなあ、とはみんな思っているかもしれないけど、社会的に問題がない程度の身だしなみが整えられてるなら、あえて口に出すことじゃない。腫れぼったい目蓋とか厚い唇とか──メイク次第でもっとこう、なんて余計なお世話だ。私が言うのは、特に。そう、何と言っても、彼女は良い子なのだから。人は見た目が全てじゃない。そうでしょう?
「
「あ──えっと、そろそろ、かも。来年のゴールデンウイーク辺り、空けといて欲しいかも」
葵の鼻のあたりを注視していた私は、急に声を掛けられてどもってしまった。嫌だな、今日の席で「そういう」話を振られるのも、スケジュールの打診をするのも、予想していたはずなのに。もっとさらっと言えるように、準備していたはずなのに。
「えー、ほんとお? おめでとう!」
「もう、そういうの早く言わないと!」
決して大声を出した訳ではなかったのに、私の「報告」は、恥ずかしくなるほどの反響を呼んだ。みんなの視線が一瞬で私に集まって──咄嗟に、ぎょっとしてしまう。じめっとしたところにいる虫が、急に隠れている石をめくられて慌てふためくのはこんな感じじゃないだろうか。
「じゃ、今日は琴美のために飲も!」
「すみませえん、オーダーお願いします!」
私が上手く口を動かせないでいる間に、誰かが個室の扉を開けて店員を呼んで、スパークリングワインをボトルで頼む。人数分のグラスが届くと、真っ先に私のグラスになみなみと注がれ、細かな泡と同時に華やかな歓声が。そして、かんぱーい、の声と同時にグラスが触れ合う軽やかな音が響いてジャズピアノの微かなBGMを掻き消した。そこからは、否が応でも私が場の中心になってしまう。
「式場は? もう決めたの?」
「都内で、ゲストハウスとかアットホームなとこが良いかなって、彼と」
「良いなあ。彼氏さん、優しそうだもんねえ」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、あんまり派手じゃない感じ? 親族と友人だけ、みたいな?」
「どうだろ、まだ会社に報告してないから……上司も呼んだ方が良いのかとか、要確認で」
「とにかくおめでとう! なんか、私まで嬉しいなあ」
乾杯したはずのグラスを呑み干す暇もない私に、葵も、みんなと同じく祝福の声を掛けてくれる。にっこりと笑うと、彼女の目は糸のように細くなるんだ。でも、明るい笑顔だ。私の友人の顔だ。可愛い? うん、少なくとも感じが良い。心から喜んでくれてるのが分かる。だから私も笑い返す。葵が相手だと少しだけ気が楽というか、気負わなくて済んでしまうのが、私自身でもとても嫌な奴だと思うんだけど。
「受付とかやるよー? なんかあったら声掛けてね」
「ありがとう、お願いするかも」
「新婚旅行は──まだ早いか。でも、楽しみだよね!」
次々と浴びせられる質問の中、私が一瞬だけ答えに詰まってしまうものがあった。喉を潤す振りでグラスに口をつけるのは、気持ちを落ち着かせるための時間稼ぎのようなものだった。
「あー……うん。それは、新居にお金かけたいから、手近なとこかもしれない」
「そうなんだ。まあ、国内でゆっくりとかでも良いよね」
「でしょ? 温泉とかね」
心のつかえは弾けるワインで洗い流して、すぐに笑って嘘を吐くことができたけど。その間も、私の目は葵だけを追っていた。みんなの視線を逃れるためだけでもなく、気になってしかたないのだ。彼女の顔が。その理由は、答えを濁した質問に関わることでもある。
旅行より家電より、私は別のことにお金を使いたかった。そう、彼に相談してもいた。でも、そんなことは同期たちに言う必要はないことだ。言うとしたら──「彼女」だけに。
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