見知らぬ指輪
小余綾香
第1話 唐辛子
プロジェクターの動作音に飽きる頃、会議室に仄かなハーバルウッディが漂い始めた。
ブラウスの白を
――何処つけてんだ?
猪熊の目は横顔の産毛を撫で首筋へと落ちた。ギブソンタックから零れた黒髪一筋が
――もしかして俺にだけ匂わせてるんじゃ……。
一瞬、期待が
「ここ、色に頼り過ぎてるから表現を考えないと」
スクリーンで緑の光点が丸を描く。
「捲って」
三枝は瞑想する様に長い睫毛を伏せた。レーザーポインタを置く左手が右手に重なり薬指に触れる。
濃紅のコーティングに金一色の唐草を描いた指輪がそこにはあった。いつも彼女が嵌めている、猪熊も見慣れた指輪だ。折々、それに触れて回すのが三枝の癖らしいことに彼は気付いていた。
ネイルされていない指先が赤いリングを弄ぶ。応えてそれは軽やかに回り続けた。
「それ、カレッジリングですか?」
「え?」
三枝は無防備に目を開いた。その珍しい表情に猪熊の顔は緩む。
「サイズ合わなそうなのに嵌めてるし、ペイント柄だからスクールカラーで卒業記念かなぁ、って」
「……入学記念かな」
彼女は淡々と答えながらレーザーポインタを再び手に取った。
その答えから三枝に進行形の相手はいない、と猪熊は当たりをつけ、声を抑揚させる。
「そっちか! 何処ですかー? 俺、社会人入学して、お揃いにしよっかなー」
「ここ、修正」
低められた声と共に、緑の光がスクリーン上を跳ねた。
¶
猪熊が惰眠を貪っている時だった。
スマホが重要連絡先からの着信を告げる。タオルケットごと体を捩ると、ディスプレイには三枝透子の名と共に、
『すぐ出られる?』
とメッセージが表示されていた。その素っ気なさに三枝らしさを感じながら、猪熊は予防線を張る。
『出来なくはないです』
『着いたら連絡を』
有無を言わさぬ返答の下、現れた住所に猪熊は首を捻った。
――千代田区……1-1-1って何だよ、この只者じゃねえ住所……皇居!?
しかし、地図はその隣り、日比谷公園に面したホテルを示す。普段着で行ける気のしない名称に、猪熊は慌ててクローゼットから皺のない服を選び出した。クライアントとの急の案件を思い描いてネクタイを締める。
その瞬間、誘われている可能性が脳裏を掠めたが、すぐに彼は意識的に頭を振るった。
『着きました』
白と緑の爽やかなロビー装花の前で猪熊はスマホを取り出した。
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