第48話 ボクシング対決③

「耕太……」

「ん……」


 リーゼは突然僕にキスをした。

 周囲は驚く人、冷やかす人、殺意を抱く人らがそれぞれ声を上げ騒然としている。


 リーゼは僕から顔を放し、照れくさそうにはにかむ。


「……リーゼのキスは、あいつのパンチよりも随分効くよ」

「だったら、負けるわけないな」

「ああ……これで勝ちは確定した」

「……あの作戦で行け」

「うん」


 僕は立ち上がり、見える方の目で平山を睨む。

 リーゼもボクシングのことを調べてくれて、色々と作戦を考えてくれた。

 いくつか彼女が作ったプラン。

 その中の一つを、僕は今から遂行する。

 勝てる……僕の燃える想いと、リーゼの冷静な思考が組み合わせれば――負ける要素なんてない!


「強者の弱点だな。自分が優位に立っている時は調子に乗ってしまうものだ。あいつは自分の勝利を確信している。つけ入る隙は十二分にありそうだ」

「益々僕の勝利が確定してきたね……弱者は油断しないから強いってことを証明してくるよ」

「それだけ言えれば十分だ。ほら。勝って来い」

「ああ!」


 ゴングと共に、僕は駆け出す。

 相手の懐に飛び込み、ガードを固める。


「最後に特攻か? 無駄な努力は止めておいた方がいいんじゃないか?」

「あれ? バレてた? でも、無駄かどうかはまだ分からないよ!」


 相手のボディにストレートを打つ。

 しかし、これは簡単に塞がれてしまう。


「甘い甘い! そんなの通用するわけがないだろ!」


 平山がボディフックを連発してくる。

 わき腹が痛い。

 骨が折れてしまったのではないかと言うぐらい、息をする度に痛みは走る。

 いやこれ、本当に折れてんじゃないの?

 くそ……やるだけ損な戦いだよ。

 勝っても大した褒美があるわけでもないんだけどな。


 僕は心でぼやきながらボディに対してストレートを返していく。

 だが全てを完璧にブロックされてしまう。


 そして――平山の怒涛の攻撃。

 奴は僕を仕留めようと持てる限りの力を出し、全力でパンチを打ってきた。


「痛いっ! 痛い痛い痛い! 本当に痛いって!」


 顔面も腹も腕も。

 全部が痛い。

 痛くないところを探す方が難しいぐらいだぞ。


 だけど僕は倒れない。

 リーゼのキスの方が心に響いた。

 僕の意識も意地も心も、これぐらいの攻撃じゃ打ち砕くことはできない!


「ははははは! でもそんな程度じゃ僕は倒せないぞ!」

「だったら――これでフィニッシュだ!!」


 少々イラついたのか、平山は大きく振りかぶった。

 全力の右ストレート。


 僕は右目を見開き、相手のパンチを凝視する。


 この一撃が勝負を決める……行くぞ!


 相手のパンチに合わせて、ボディに右ストレートを出す。

 平山はそのパンチを見て、ニヤリと笑う。


「カウンターのつもりか? だけど、そんなのは無駄だ!」


 僕のストレートは相手の肘によって阻止される。

 拳に刺さるような痛み。

 肘にまともに当たってしまった。

 それと同時に相手の右ストレートが顔面に当たる。

 痛い。

 だけど意識はしっかりしている。

 まだ戦えるぞ。

 

 しかし右拳の骨が折れたかもしれないな……

 僕は痛みに耐えながら、右足を後ろに下げる。

 右足を後ろに下げたことにより、左足が前に出る。

 スイッチだ。


 左利きが構える、サウスポーの形になる。

 右の拳は潰れたが、まだ左手が残っているぞ。


 左の練習はリーゼの指示でやってきた。

 右の練習だけでは筋肉のバランスが悪くなるから左右均等にしろと言われたからだ。

 できる奥さんの言うことは聞いておくのが身のためだね。

 こんなところで役立っちゃうんだから。


「このっ!」


 右ジャブを平山の腹に打つ。

 拳は痛いけど我慢。

 平山はそれを防御する。


「スイッチしたのは少しだけ驚いたけど、バレバレだ!」


 平山は僕を完全に仕留めるつもりで、右ストレートを繰り出した。

 完璧だ――後はリーゼが考えてくれた作戦を、僕が絶対に成功させてみせる!


 相手の右ストレートに対して、僕は左ストレートを放つ。

 これまで執拗にボディを狙っていたため、相手の意識はボディに集中されている。

 だがそれは、この一手のための布石に過ぎない。

 ボディはいいんだよ……僕らの狙いは――お前の綺麗な顔面だ!


「!!」


 カウンター気味に拳を突き出す。

 技術なんて僕にはない、あるのは気持ちだけだ。

 燃えるような――熱い気持ちしかないんだよ!


「これが僕の全力だ! 食らえええええええ‼」


 ボクシングの世界チャンピオンに『神の左』と呼ばれる武器を持つ人がいた。

 一見普通の左ストレートなのだが――

 普通のストレートというのは、しっかり元の体勢に戻れるようになっている。

 綺麗に戻れるように、打ち込み過ぎないのだ。

 だが彼は体勢が戻らないぐらい撃ち込むという。


 それは、今の僕にピッタリの攻撃だ。

 もちろん、神の左なんて言えるほどいい代物でもない。

 美しい技術とは真逆の、不格好で幼稚な技。

 技術と呼ぶにはおこがましい物だ。


 だが、状況は整った。

 相手は僕の左に反応できてない。

 意識は下に……ボディの方に下がっている。

 それも相手の攻撃に合わせているのでカウンターで当たるはず。


 前傾姿勢で、体重を乗せ、もう元の体勢に戻れない勢いで前に出る。


「っ!?」


 左拳が相手の顎先に触れる。

 グローブに顎の感触が伝わり、そして拳に感じ、骨まで衝撃が到達する。

 完全に拳は平山を捉えていた。

 このまま押し切れ。

 全力で拳を振り抜くんだ!


 熱く激しい衝動と共に、身体全体で拳を押し出す。

 相手の顔面を穿つように、撃ち貫くように、粉砕するように。


「――お前の勝ちだよ。耕太」


 僕の全力の左ストレートが決まる。

 平山の顎が砕けるような感触。


 奴は口から血を吹き出し――血まみれのマウスピースが宙を舞う。


「…………」


 マウスピースが落ちるのと、平山が倒れるのは同時だった。

 そして平山の様子を見たレフェリーは、顔面蒼白で即刻試合ストップを宣言する。


 KO勝利。


 僕は雄たけびを上げて、両拳を突き上げる。

 だが、うるさい僕とは対照的に、周囲は水を打ったように静かだった。

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