第49話 決着

 静まり返っていた観客たちが――爆発するような歓声を上げる。


「旦那くん! 凄い凄い凄い! 本当に勝っちゃった!」


 山下がリングの中へと飛び込んできて、僕に抱きつく。

 リーゼは嬉しそうな山下を見て、ギロリと怖い顔をする。


「おい。離れろ……さすがのお前でも許せないことはある」

「あはは……ごめん、テンション上がっちゃって」


 青い顔で僕をリーゼに返す山下。

 僕は柔らかいリーゼの胸に抱かれる。

 柔らかくて、石鹸のいい香りがして……天国。

 ああ。僕はこの場所を探し求めていたんだな……

 やっと見つけたよ……僕の約束の地カナン


 倒れている平山の周りにボクシング部の連中が集まっている。

 顎が完全に砕けているらしく、この先試合に出られないとかなんとか言いながら僕を睨んでいた。

 いや、僕は絡まれた方ですから。

 悪いのは僕じゃなくてそっちだからね。

 逆恨みは勘弁してください。


「す、すげー! 平山に勝っちまった!」

「蓮見って強かったのかよ! てっきりひ弱で貧弱な奴だと思ってたよ!」

「俺もビックリだ……平山に勝てるなんて、よっぽどの実力者だぜ」


 そんな静かに怒るボクシング部の連中とは真逆に、熱く僕のことを語る観客たち。


 僕が弱いのは違いない。

 平山と対戦する前の僕は、男子の中でも下から数えた方が早いぐらい弱かった。

 いや、一番弱いまであったかもしれない。


 だけど僕は強くなった。

 人間できないことはないのだ。


『成せばなる成さねば成らない何事も』


 僕は自分の信念に従い、そして勝利を収めたのだ。

 弱い自分はもう過去の物なのだ。


 周囲が大騒ぎをする中、僕は鼻が高くなる思いでリーゼの胸を堪能していた。


 すると――


「……離れなさい! 今すぐ離れなさいよ!」


 楓がリングに上がってきて、僕とリーゼを真っ赤な顔で睨み付けてきた。

 リーゼは僕の身体を離し、楓に近づいていく。

 あ、もう少し抱いてくれててもいいんですよ?


 だが僕の想い虚しく、リーゼは僕を置いて楓に接近していく。


「お前だろ? 耕太から指輪を取ったの?」

「あんた……結局チクったの!?」


 僕は楓の問いに、全力で首を横に振る。

 言っていませんから。

 何も言っていないけどリーゼは色々と察してくれてただけだよ。

 と言うか、ちょっと考えればわかるよね。

 なんで指輪がないのか。

 なんで平山と戦うことになったのか。

 

 楓がこの場にいる時点で、リーゼにはバレてたんだよ。

 いや、最初からバレてたのかもしれない。

 まぁどちらにしても、もう僕はしらないぞ。

 僕でも今のリーゼを止めることはできない。


 彼女は涼しい顔をしているが――怒髪天だ。

 恐ろしいぐらいの怒りのオーラを感じる。


「ほら。さっさと指輪を返せ。痛い目に遭いたくなかったらな」

「うっ……嫌! 絶対に嫌!」

「なんでそんなに僕たちに突っかかってくるのさ。楓は僕らに関係ないだろ」

「耕太ぁ……」


 なぜか僕の方を見て、涙ぐむ楓。

 リーゼは相手が泣こうが叫ぼうが関係ない。

 そんな顔をしている。


「どうやれば人間に苦しみを与えられるか……私の故郷ではそんな研究をしていてる者がいてな。私はそういうことを教えてもらっていたから詳しいぞ?」


 ゾワッと寒気を覚える。

 怖い怖い! 愉しそうに笑ってるけど、ちょっと怖すぎだから!


 そんなリーゼを見て、楓はとうとう泣き出してしまう。

 そして僕に向かって叫び出した。


「耕太……なんで私の気持ちを考えてくれないのよ!」

「か、楓の気持ち……? なんの話?」

「私……私は!」

 

 楓は大粒の涙をこぼしながら、続ける。

 

「耕太が好きなのよ!」

「……え? どういうこと?」


 楓が僕のことを好き……?

 僕は混乱する。

 なんで楓が僕のことを好きなんだ。


 あれだけ暴力を振るっておいて。

 あれだけイジメておいて。

 あれだけ迷惑をかけておいて。


 僕のことが好きだって?

 この子、本気で言ってんのかな?


「旦那くん、モテモテだねぇ」

「いや、あれは冗談なんじゃ……」

「冗談じゃないわよ! 私はずっと耕太のことが好きだった! なのになんで、いきなりこんなのと結婚するのよ! なんで私のことを見てくれないのよ!」

「こんなのって……リーゼはメチャクチャいい女だぞ!」

「今はそんなのどうでもいい! なんで私のこと好きでいてくれなかったの? 私の片想いだったの? 私……あんたとはずっと想い合ってるって思ってたのに!」

「いや……あれで僕のことが好きだなんて、無理があるでしょ。どれだけ楓にイジメられてきたと思ってんの?」


 楓は愕然としている。

 なんでわかってないの、って顔だ。

 いや、そんな顔されても困るんだけど。


「私のこと、分かってくれてると思ってた……なのにこんなにすれ違っちゃって……なんでだろうね?」

「こいつ、本気で言ってるのか? 自分のことしか考えない奴なんだな」


 まるで悲劇のヒロイン。

 その様子を見て呆れ返るリーゼ。

 同感だ。

 僕も同じように思う。

 本当に勝手な奴。


 楓は僕らの空気を読んだのか、しどろもどろで僕に言う。


「こ、耕太! 私のこと選んでくれるよね? こいつと離婚して、私と付き合ってくれるよね?」

「あ、無理無理。それは絶対ない。例え生まれ変わっても楓と付き合うことはない」

「そんな……」


 僕の言葉に楓は泣き崩れる。

 そしてリーゼを睨み、彼女に指輪を投げつけた。


「あんたが現れなかったら全部上手くいってたはずなのに!」

「いや、私がいなくても上手くいっていないさ。それだけお前は、耕太に嫌われてるんだよ」

「……き、嫌い?」

「ああ。私は好かれ、お前は嫌われている。それが現実だ。そこから目を逸らすな」

「…………」


 目を見開き、楓は僕を見ている。


「と言うか遠藤あんた、イジメとかダサすぎない?」

「……え?」


 涙を流している楓は、山下の声に振り向く。

 山下には以前、自分が楓にイジメられていると伝えたことがあった。

 その事実を知る山下は、激しい怒りをむき出しにして楓を睨み付けている。


「イジメって……マジ?」

「二人仲いいと思ってたけど、実際はイジメてたんだ」

「うわ……ありえない。なんだか遠藤気持ち悪いんだけど」


 山下の気持ちに同調するように、周囲の学生たちが楓に対して冷ややかな視線を向ける。

 楓はその視線の数々に、顔色を青くしていた。


「ち、違……違うわよ! イジメなんてしてないわよ!」

「お前、往生際が悪いな。耕太がイジメられてたと言っている時点でイジメなんだよ。お前は立派な加害者だ。その事実をさっさと受け入れろ」

「…………」


 リーゼの言葉に楓はワナワナと震え出した。

 そしていきなりこの場を走り去っていってしまう。


「うわああああああああん!」

「あ、逃げた」


 山下のそんな一言に、周囲の学生たちがドッと沸く。

 これは精神的に来るだろうな……


「…………」


 僕は去って行った楓の背中を見つめていた。

 周りで見ていた観客たちは楓に不快感を覚え、彼女との付き合いをやめるなんて話をしている人もいた。

 学校にも来るのが辛くなるな、これは。

 地獄の日々が待ってるぞ……

 少し可哀想だとも思うけど、自業自得か。

 

 リーゼはニヤリと笑い、僕の方に視線を向けている。


「もう取られるなよ。まぁ、もうちょっかい出してこないと思うけど」


 そう言ってリーゼは、僕の薬指に指輪をはめてくれた。

 僕は彼女と自分の二つの指輪を眺めながら、笑みをこぼす。


「おかえり」


 こうして僕と楓との因縁に決着がついたのであった。

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