第46話 ボクシング対決①

「……ふー」


 とうとうボクシングの試合が始まろうとしていた。

 リーゼとスパーリングを散々やった。

 そのおかげで、試合には少しばかり慣れたと思う。

 ちなみにリーゼが強すぎて自信喪失しかけたのは内緒にしておきたい。


 だが一つだけ嬉しい誤算があった。

 それは自分の想像以上に成長できたこと。

 人はぬるい環境にいるとそれなりの成長しかしないが、厳しい環境なら強く成長する。

 それと同じ原理で、弱い人間と群れていると人は弱くなり、強い人間がいる中で訓練を積む方が圧倒的に成長できるのだ。

 

 バカみたいに強いリーゼ。

 そんな彼女との訓練の一ヶ月は、尋常では考えられない成長ができたように思える。

 平山に勝つと言っていたけれど……本当に勝てるレベルまで上昇したかもしれない。


 僕はリングの上で緊張しながらも、逆のコーナーにいる平山を見据える。

 

「私とあいつと、どっちが強いと思う?」

「リーゼだね」

「お前とあいつだったら?」

「……リーゼへの気持ちだったら、僕の方が千倍強い」

「だったら勝って来い」

「うん!」


 バンバンとグローブを鳴らし、僕はリング中央へと進んで行く。

 周囲には噂を聞きつけた生徒諸君が沢山いる。

 いや、来ないでくれよ。

 こんなに人がいたら緊張するから。


「旦那くーん! 頑張れよー! 死んだら遺骨は海に撒いてあげるから!」

「死なないから! そんなことする必要無いから! と言うか、死んだとしても海に撒いてもらわなくて、蓮見家の墓に入れてくれてたらいいから!」


 山下が応援かヤジか分からない声を僕に向ける。

 少し呆れながら、僕は平山と向き合った。


 奴は僕の目の前で髪をかき上げる。

 グローブで器用なことで。


 すると周囲にいた女子たちが彼に声援を送る。


「きゃー! 平山くーん! カッコいいところ見せてよー!」

「俺はいつだってカッコいいだろ?」


 平山は僕を真っ直ぐ見据え、そして言う。


「君が無様な姿を見せてくれたら、それだけ僕のカッコよさが引き立つ。期待してるよ」

「ああ。お前の株を落してあげるよ」

「…………」


 平山は苛立ち、舌打ちをする。

 もうこれ、気持ち的には勝ったようなものだからここで終わりでもいいんじゃないですか?


 しかし平山の後ろ側――観客の中に、楓の姿が見える。

 そうだ。

 僕の目的は指輪を取り戻すこと。

 まだ何も成し遂げていない。

 絶対に勝たなければいけないんだ。


「ファイッ!!」


 ボクシング部の部員が務めるレフェリー。

 彼の声と同時に、カーンとゴングが鳴らされる。


 僕は定石通り、相手の利き腕と逆の方向に回り込みながらジャブを放つ。


「へー。様になってるじゃないか」

「当然だ。僕はお前に勝つために特訓してきたんだからな。僕はやると決めたらやる男。この勝負は勝たせてもらう」


 ジャブで距離を測りながら、徐々に動いていく。

 そしてここだ! というタイミングがあり、僕は右ストレートを放つ。

 

 が、それは難なく相手にかわされ、ボディーフックを食らってしまう。


「これでノックダウンだ。イージーだよ、君」


 すでに勝ち誇っている平山。

 だが僕は、その攻撃を余裕で耐えてみせた。


「何だと……」

「ふっ。お前になくて、僕にあるものはなんだと思う?」

「き、君にあるものだと?」


 愕然としている平山。

 僕は目を見開き、声高に言い放つ。


「僕にはリーゼの愛がある! リーゼの愛があれば、どんな痛みにも耐えられるのだ!」


 もちろん嘘である。

 本当はリーゼのパンチを何度も何度も喰らった結果だ。

 

 彼女のパンチは、平山のものよりも数段強かった。

 それでも、だいぶ手加減してくれていたのだろうけど。

 とにかく、こいつより圧倒的な攻撃を連日食らってたおかげで、痛みに関して耐性ができていたようだ。

 

 戸惑う平山は、僕に連続で攻撃を仕掛けてきた。

 顔面にパンチの嵐が炸裂する。


 僕は鼻血を噴き出すが、ニヤリと笑う。

 たじろぐ平山。

 作戦通りだ。


 痛みに対して耐性ができていたとしても、何発も食らえば流石に痛い。

 それを悟らせないため、そして余裕ある風に装うというのが僕の目的――リーゼが考えた作戦だ。


 彼女の作戦は効果覿面のようで、平山はゴクリと息を呑み込んでいる。

 本当は利いてるんですよ?

 だけどリーゼの愛おしい助言のおかげで相手には利かないという印象を与えることに成功している。

 ありがとう、僕のリーゼ!


 僕は余裕の表情を顔に張り付けて、攻撃に転じた。

 ワンツー。

 僕にはこれしかない。


 平山の足の動きが少し悪くなっている。

 それに集中力が低下しているのか、まともに僕のストレートが決まった。


「くっ……」

「そのまま行け。耕太なら倒せるぞ」

「おおう!」


 リーゼの声援に僕は勢いを増すばかり。

 回り込みながらワンツー。

 相手の攻撃を避けながらワンツー。

 リーゼの顔をチラッと見てワンツー。


 ものの見事に僕のパンチは平山に通用している。

 このまま決めてやろう。


「平山! あんたの実力はそんなもんじゃないでしょ! 耕太には攻撃が効いてるわ! あいつ、やせ我慢してるだけだから!」


 楓が平山に怒声を放つ。

 そこで平山は集中力を取り戻したのか、目の中に光が灯っている。


「そうだ……俺は全国クラスの選手だ。初めて一ヶ月程度の奴に負ける男じゃない!」

「平山くーん! 頑張ってー!」

「行け平山! 素人に負けんじゃねえ!」


 ボクシング部と女子たちの声援。

 それらに飲み込まれてか、他の生徒たちも平山の応援を始める。


「美人の嫁がいる奴は許さない! 叩きのめせ、平山!」

「リーゼロッテと結婚してるとか羨ましすぎるんだよ! 平山にやられろ!」


 私怨の声がちらほら聞こえてくるが……どちらにしてもあれだ。

 完全にアウェイだ。

 僕を応援してくれている人は少ない。


 そんな声援に応えるように、平山の凄まじい一撃が繰り出される。

 空気に飲まれていた僕はそれを顔面に食らい、一瞬意識を失うのであった。

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