第16話

 変異体と呼ばれる女性ひとのことは、子供の頃両親から聞いたことがあった。美しい姿をしながらも哀れな存在なのだということを。

 哀れだと言われる理由を調べたことはなかったが、どれだけの美しさかを何度かは想像していた。

 会える時が来るなんて考えもせずに。


「カレン様、世界を統べる者として選ばれた者を連れて来ました。さあ、名を名乗りなさい。……何をしているのだミント、何をほうけて」


 儚げな印象と想像していた以上の美しさ。

 金色の空と、花びらに包まれた姿を前に動くことが出来なかった。


「名乗らんかミント、神のような方に」

「私は神でも、幻でもありません」


 細まった目と開かれた唇。

 怒らせたと思った。

 見てただけで何も言っていない。それでも怒らせることを僕はしたんだと。


「すみません。僕が来たことは……失礼なことだと」


『ククッ』とヨキが笑ったのは、名乗るより先に謝ったことへの呆れからだろう。1番の魔法使い、世界を統べる者として毅然とした姿を見せないのかと。


「長老様、幼い子がこちらに連れてこられたことはご存知ですか?」

「聞いていますとも。カレン様の跡を継がれ、いずれは神と称される」

「屋敷の場所は知っていますね? どうぞ、私の後継ぎに挨拶へ」

「では、カレン様も」

「いいえ、長老様おひとりで」


 カレンに言われるまま、ヨキは僕から離れ樹海の中に姿を消した。訪れた静けさの中、『ふう』と息を吐きだしたカレン。風に舞う花びらを見る物憂げな横顔。


「綺麗ですね」


 僕の声に反応したカレンと動揺に包まれた僕。

 なんてことを言ってしまったのだろう。気まずさと恥ずかしさの中、思いつけるだけの言い訳を並べたてた。


「はっ花びらが‼︎ 雪みたいで、真っ白ですごく……綺麗だ」

「ご存知ですか? この木がずっと、花を咲かせていることを」


 慌てる僕の前で、カレンは冷静だった。


「私達……ここに来た者達に語り継がれる話です。過去のこと、いつから咲いてるかはわからないけれど」


 この時は知らなかったが、変異体として生まれた女性ひとは幼なくして親から離れ暮らすことになる。黄金の樹海の中にある、一軒の屋敷に閉じ込められて。

 カレンもそのひとりだ。物心ついた時に連れてこられ、親ではない者達に育てられていた。育つ中で知るのは、自分が神と呼ばれ崇められる存在だということ。


「遅いな長老。遠いんですか、屋敷は」

「いいえ。私の体が弱いことは、あなたも知っているでしょう。ここでは腫れ物のように扱われて過ごすのです。長老様は今頃、未来の神の機嫌を取ることに、夢中になっているのでしょう」


 未来という響きが僕の心に落とした影。

 1番と呼ばれ続け、望みもしない道を生きていく。自分の心を騙し思いを封じ込めて。

 待っているのは自由という色が消えた未来。金色の空と舞い散る花びら、鮮やかなはずのものがおぞましいものに感じられた。


「……あなたも、私と同じなのですね」


 僕を弾いたカレンの呟き。


 同じ。


 僕とカレンは望みもしない世界にいる。

 ひとつだけ違うことは、僕には断る自由があったということ。


「私は何代目なのか知りません。私の前の代には、神と崇められた者が何人もいたと長老様から聞きました。あなたには私がどう見えますか? 神と呼ばれるにふさわしい……綺麗な者ですか」


 カレンの問いかけが呼び寄せた後悔。

 不用意に綺麗だと言ってしまったこと。カレンが反応したのは、神と崇められる自分への称賛に嫌悪を感じたからだ。


「すいませんっ‼︎ 僕は」


 言ったことをなかったことには出来ない。怒らせることも傷つけることもしたくなかった。それなのに知らないうちに怒らせてしまった。


「すいません。……その」


 何を言っても言い訳でしかない。

 それでも何かを言おうとした。怒らせたあとに話せることがなんなのかわからないままに。


「無理はしなくていいのです。私は話しにくい立場でしょうから。私も……話せることは何もありません。わからないのです、黄金の樹海……ここを出た先に何があるのかも、どれだけの住人が自由を生きているのかも。わかることは、この花がずっと咲いていること」


 カレンの顔に浮かんだ寂しげな笑み。

 黄金の樹海、それは金色の空と樹々に囲まれた美しい世界。だがカレンにとっては自身を閉じ込める檻でしかない。


「あの……これからも来ていいですか。僕がわかるだけのこと、なんでも話しますから。あなたが……知りたいことがあるのなら」

「私は言いました。私から話せることは何もないと。私に話すためにだけ、来る価値があるとは思えませんが」

「構いません。話せるだけのことを……話し終えるまで」


 以来、何度も足を運んだ黄金の樹海。




 僕とカレンの距離が縮まることに長く時間はかからなかった。


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