第5話

 悠太さんが自分のことを話すのは初めてだ。

 僕の話を聞いて楽しそうに笑ってくれる。それは悠太さんが執事として働きだしてから続いていること。だから考えたこともなかった。

 悠太さんがこんな……悲しそうな顔をするなんて。


「健吾に最後に会ったのは、夏休みが終わったあとの日曜日。別れる前に手紙を渡されたんだ。小学生の時から仲間はずれにされていたこと、家族と話し合い転校を決めたことが書かれていた。ここにも来ないって」

「そうなんだ」

「読んだ時は複雑な気持ちだったよ。どうして何も言ってくれなかったのか。健吾のことを何もわからなかった自分が許せなくて。健吾がいなくなってから、ここには来なくなっていた」

「どうして僕の登校にって思ったの? 悠太さんにとって辛い場所なのに」

「ここだけだからさ。僕の願いを託せるのは」

「願い?」


 悠太さんが願うことってなんだろう。

 健吾さんに会えることかな。

 もし会えたらどうなるんだろう。一緒に働きたいって言われたら、悠太さん執事を辞めちゃうのかな。そしたら僕が悠太さんに会えなくなる。

 やだな……そんなの。


「悠太さん、何を願ってるの?」

「翼君にとって1番の友達が出来ること。それと、翼君の毎日がいっぱいの笑顔に包まれることだよ」

「僕のことなの?」

「そうだよ。どうしたんだ、変な顔して」


 変な顔って言われても。

 僕のことだなんて考えもしなかったし。


「なんで? って思ってるだろ。翼君が転校を決めた時浮かんだ願いなんだ。1番の親友って言いながら、僕は健吾に何もしてやれなかった。嘘も隠し事もない繋がりを、翼君には作ってほしいってね」

「僕は悠太さんがいるだけでいいよ。ショコラとシフォンもいる、寂しくもつまらなくもない」

「言うと思った」


 眼鏡をかけながら笑いだした悠太さん。

 なんだか……僕が考えてること読まれてるみたいだな。


「特別扱いされない場所を翼君は選んだ。結城聖也の息子だと知られない限り、今日から翼君はどこにでもいる男の子だ。気が合う子に会えば気持ちが変わるんじゃないかな」


 父さんの存在と結城財閥。

 それは僕が望みもしない憧れを描き人を集めてきた。同じクラスの生徒、召し使いや屋敷にやって来る大人達。誰もが目を輝かせ声を弾ませる。

 僕を褒め称え、いたくもない中心に連れて行こうとして。

 何もかもが思い通りになる世界。

 だけど、声を上げ彼らを遠ざけることは出来なかった。父さんの息子として、結城財閥の名前に傷をつけることは許されない。

 息苦しさしか感じなかった特別扱いという檻の中。

 転校という鍵を使い手に入れた自由。そこには悠太さんと、ショコラとシフォンがいればいい。


「悠太さん、そろそろ行くね。帰りもここでいいんでしょ?」

「学校が終わる頃を見計らって迎えにくる。楽しみにしてるよ、翼君がどんな子と友達になるかをね」

「もう。いらないってば、友達なんて」

「はいはい、あの路地を出ればすぐ通学路だ。行っておいで、翼君」


 悠太さんに背中を押され細い路地を歩く。

 並ぶ家から響くテレビの音や話し声。風に流れてくる美味しそうな匂い。鳥が鳴いてるけどどこにいるのかな。


 見上げた空の鮮やかな青色。

 いくつかの小さな雲と太陽。

 僕の自由は動きだしたんだ。


 路地を出て踏みだした通学路。同じ制服の生徒達に混じり向かう学校。話し声と笑い声に包まれながら思う。

 誰も僕を知らない場所。学校にいる時だけは父さんも結城財閥も僕には関係ない。思い通りにならない場所で退屈を潰していくんだ。


「なんだ?」


 電柱に貼られた紙に足を止めた。色褪せた店とケーキの写真。


「来夢。……洋菓子屋か」


 ケーキは悠太さんが焼いてくれるけど売ってるものも食べてみたい。帰り道で悠太さんに言ってみようかな、ケーキを買って一緒に食べようよって。父さんがいない時、悠太さんが淹れてくれたお茶を飲みながら、ショコラとシフォンには美味しいミルクを飲ませてあげる。

 父さんのスケジュールと来夢の場所を調べなきゃ。


「えっ⁉︎ ちょっと」


 かん高い声が響いた。

 通りすぎる生徒達の中、僕を見てるふたりの女の子。なんだか、すごく驚いてる感じだけど。


「僕がどうかした?」


 声をかけるとふたりは顔を見合わせぼそぼそと話し始めた。気に入らないな、答える前に内緒話だなんて。


「何かあるなら言ってくれないかな」

「なっなんでもないの。日向君が髪型変えたと思って……ね、ありすちゃん」

「日向?」

「気にしないで、同級生だけど違う子だってすぐにわかったから。あなた日向君よりチビだもの」

「ちょっと、ありすちゃんっ」


 誰だよ日向って。

 勝手に勘違いして謝らないのか?

 それに……僕がチビだって?


「行こうまなか。にかまってる暇はないんだから」

「ダメだよありすちゃん、謝らなきゃ」

「何言ってんのよ。似てるほうが悪いんじゃない」


 ありすと呼ばれた子が僕を睨む。勘違いの次は逆ギレか……可愛い名前なのに変な子だな。


「誰だか知らないけど、そっくりさんに言っておくわ。2度と私の前に現れないでよね。ほら、まなか」


 手を引かれながら振り向いて、まなかという女の子が僕に頭を下げる。

 日向って子に腹をたててるのか。どんな子か知らないけど、似てるだけで八つ当たりなんて。現れるも何もあんな女の子に会うのは僕もお断りだ。僕を知る子じゃなくてよかったけど、こんなことがあるなんて先が思いやられるな。

 日向……僕にそっくりな子か。

 同じ学校なんだしそのうち見かけるかもしれない。そしたら悠太さんに話そう。友達じゃないけど、面白い子を見つけたよって。


 知らない顔の中を歩き見えてきた学校。校門の前に立っていた女性ひとが僕を見るなり駆け寄ってきた。


「おはよう、結城翼君だね」

「はい、担任の先生ですか?」

「そう、雅鈴香だ、よろしく頼む」


 こんな所で先生が待ってるなんて。職員室で話してから教室に行くと思ってたのに。


「驚きました。先生が待っててくれるなんて」

「嬉しい反応だ。結城君に会わせたい子がいるからね」

「え?」

「結城君のサポートに選んだ子だ。私と一緒に来てもらっている」


 サポートなんて余計なことを。僕が結城聖也の息子だからって気を使ってるのかな。特別扱いなんてしなくていい、だけど転校早々意見は出来ないな。


「出ておいで、日向大地君」


 校門のうしろから現れた生徒。

 僕を見るなり見開かれた目。

 こんなことってあるのかな。彼の顔僕と同じじゃないか。そっくりなんてもんじゃない、まるで……鏡を見てるみたいな。

 ありす達が言ってた日向って彼のことなのか?

 まてよ……先生と日向が一緒にいるってことは、ありすも同じクラスにいるってことなんじゃ。

 会いたくない子が同じ教室にいるなんて、思い通りにならない世界には願いもしない意地悪が存在するってことか。

 同じ顔で、僕より背が高い日向大地。

 彼を理由に僕に八つ当たりしたありす。

 退屈を潰すどころか面倒なことだらけになりそうだ。


 まいったな。

 僕は選ぶ学校を間違えたのか。

 悠太さんへのお土産話……めちゃくちゃになりそうだな。

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