イマドキ幻想曲〈ファンタジア〉

月野璃子

誘(いざな)いの魔法使い

日向大地視点

第1話

 夕陽が照らす水溜みずたまりは魔法の世界への入り口。


 そう教えてくれたのは、来夢らいむという洋菓子店の店主ミント。来夢は桜宮商店街さくらみやしょうてんがいにある母さんのお気に入りの店だ。ミントが魔法使いだってことは母さんには秘密だけど。


 来夢を知ったのは1年前。

 ご飯を食べてた時『大地、これ』と母さんが声を弾ませた。見せられたのは来夢の開店を知らせる広告。店が始まるのは僕の誕生日と同じ日だった。


「素敵な偶然ね。これからは大地の誕生日、ここのケーキで祝おうかしら」


 嬉しそうな母さんを前に父さんのことを考えた。父さんが仕事帰りに買ってきてくれた苺のショートケーキ。スーパーで売ってるものだけど、父さんが『おめでとう』って笑ってくれるだけで1番のご馳走だと思えた。

 『父さんが買ってくれるケーキがいい』って、言えないままご飯を食べて学校に行った僕。

 来夢の広告は、その日の夜父さんも見た。


「へぇ、大地の誕生日に始まる店か」

「ここでケーキを買ってみようと思うの。ねぇ大地、一緒に行ってみましょうか」

「……僕は」

「大地、遠慮しないで高いケーキを買っていいんだぞ?」

「あなたったら。買ってくるの、ショートケーキばかりじゃない」

「僕は菓子に詳しくないからな。いいお店なら、これからはいくらでも奮発するさ」

「小学校の卒業祝いや中学への入学祝いもいいわね。高校生になった時も、社会人になった時もお祝い出来ればいいんだけど」


 どんなお店かわからないのにふたりとも嬉しそうに話してた。僕があの日嫌だと言ってたら、父さんがずっとケーキを買ってくれてたのかな。僕は……言いたいことを言えないでいる。



 それから数日後にやってきた誕生日。

 母さんが学校に迎えにきて、あとを追うように行った来夢。


「可愛いお店ね、大地」


 プリンみたいな黄色い建物と、窓を覆う真っ白なカーテン。開かれたドアの前に並ぶ人達と甘い匂い。僕と母さんが並んですぐに、ツインテールの女の子がお店から飛び出してきた。すぐわかることだけど女の子の名前はココ。


「ごめんなさいお客様‼︎ 今日焼いたもの全部売り切れちゃいました。お詫びにこちらのクッキーを配らせて頂きます。また来てくださいね‼︎」


 ざわめきの中、母さんと顔を見合わせた。


「すごいわね、売り切れだなんて」

「ケーキ……どうするの?」

「違うお店で探しましょう。ここからじゃスーパーは遠いわね。近くにケーキ屋さんがあればいいんだけど」


 商店街を見回す母さんと、クッキーを受け取って来夢から離れていく人達。ココがくれたのは、うさぎの形をした大きなクッキーだった。


「美味しそうね。大地、ありがとうって言わなきゃ」

「いいんですお詫びですから。売るものよりオマケ作りをがんばるなんて、ミント様ってば」

「ミント?」

「ここの店主なんです。ただのいたずら好きなんですけど」

「誰がいたずら好きだって? ココ」


 笑みを浮かべながら近づいてきた若い男。

 白い服と束ねられた銀色の長い髪……ミントだ。


「ココ、何度も言いますが、僕はいたずら好きじゃありません。遊ぶことが大好きなんです」

「まったくもう。明日はちゃんと働いてくださいね、ミント様」


 呆れ気味なココとクスッと笑った母さん。クッキーのお礼を言いそびれてうつむいた僕。


「あの、ミントさん。このあたりに、ケーキを売ってるお店はありませんか?」

「そうですねぇ……ありますが、どこかは教えません」

「ちょっと、ミント様‼︎」

「落ち着いてココ。お店を始めてすぐ、お客様を逃がすドジは踏みませんから」

「今日はこの子の誕生日なんです。ここでケーキを買おうと思ったんですが」

「ふむ、売り切れたから他の店に行こうという訳ですね」


 微笑むミントのそばでため息をついたココ。


「ミント様、ケーキを焼くの少なすぎたんですよ。お客様を困らせちゃって」

「困らせる? とっておきがあるでしょう。来夢の開店祝いに焼き上げたケーキが」

「はぁっ⁉︎ そんなものどこに」

「大声を出さないでココ。厨房から持って来てください。すぐ魔法で……ゴホンッ、お客様を待たせないようにね」


 何かに気づいたようにうなづいて、来夢に入っていったココ。ミントが魔法って言ったのを僕はたしかに聞いた。あの時はなんのことかわからなかったけど、ミントはココが厨房に向かってすぐ魔法でケーキを作ってくれたんだ。


「君、名前は?」

「え? 日向大地ひなただいち……だけど」

「いい名前だね。大地君、誕生日おめでとう」


 しゃがみ込み、同じ目線で笑ってくれたミント。陽に照らされた銀色の髪がきらりと輝いた。


「ミント様、ケーキ持って来ましたよ」

「お客様に渡してください、お金はもらわないように」

「もう、わかってますよ」


 頬を膨らませながら、母さんに大きな箱を渡してくれたココ。家に帰ってからわかったことだけど、クリームとフルーツがいっぱいの丸いケーキだった。


「これ……本当にいいんですか? ミントさん」

「大地君へのプレゼントです。これからも遊びに来てくださいね、お客様」


 嬉しそうな母さんを見てにっこりと笑ったココ。


 うさぎのクッキーと誕生日のケーキ。

 ありがとうって言いたかったのに。


「さっき言ってた……魔法ってなぁに?」


 僕がミントに言ったのは、お礼じゃなく質問だった。


「おや、大地君は耳がいいんですね」


 僕の頭を撫でながら、ミントは僕の耳元に顔を近づけてきた。


「お母様には秘密ですよ? 僕は魔法使いです」

「……え?」

「僕とココは魔法の世界の住人。夕陽が照らす水溜りが魔法の世界への入り口なんですよ、日向大地君」




 1年前のあの日、ミントの囁きが呼んだ胸の高鳴り。

 それは、中学生になった今も続いている。

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