第208話 いくつもの手 3
ローギンダールが退室したとの報せを受けるや、待機していたラインズとミュゼルは、別室を文字通り飛び出した。
「どういう方向に形が進んだにせよ、しばらく忙殺されるのは間違いない。覚悟しておくべきだろうな」
「大臣がうっかり口でも滑らせていないと良いのですが」
「…君が言うかね、それ」
執務室に駆け込んだ二人を、くたびれ切った様子のニィズラールが、長椅子に身体をだらしなく放り出して出迎えた。
「おう…来たな、二人共。色々…そう、本当に色々と話さなきゃならん」
ニィズラールの口から語られる一部始終を、ラインズは眉間に深く皺を寄せ、ミュゼルはいつも通りの無表情のまま、黙って聞いていた。
「…というわけで、クバルカンにナツェルトの部隊が駐留する」
「侵略戦を阻止したい派閥の働きかけ…という話なのですよね」
再確認するラインズの問いかけに、こめかみを揉むニィズラールは目を瞑って応じる。
「あぁ。ナツェルト本国に体裁を保つには、それが必要最低条件だそうだ。向こうでどう話を通すのかは知らんがな」
「しかし…良く特使の本音を導き出しましたね。伊達に年を取っていたわけではなかったのですね」
不躾なミュゼルの物言いに口を開きかけたニィズラールを、ラインズが静かに手を広げて制した。
「何の通達もないまま特使が訪れるなど一大事…その真意を伺う為に、我々を始めとした人払いを行ったのですね」
「あぁ、そうだ。もし敵対する意思があるのなら、すぐさまにでも王都に襲撃をかける。そうしなかったのは、そうしたくなかったから…目的を明らかにさせるには、一対一に限る」
ニィズラールは深く息を吐く。
「…もっとも…『一人で来い』というこちらの要望を相手が飲まなけりゃ、このやり口は成立しない。話を持ち掛けて向こうが承諾した時点で、対話の余地は残っていると分かったからな…そこで少し気が楽になったところはあるな」
淡々と語る老大臣の外交手腕に、ラインズは独り舌を巻く。仮に今回の算段が外れていたとしても、ニィズラールの頭の中には二の矢、三の矢が用意されていたに違いない。
「彼らを王都に留め置く兵舎を建築せねばなりませんね」
「それだけならまだ簡単で良いんだがな…」
ミュゼルの進言に再び溜息を吐いたニィズラールは、まだ目を瞑っている。
「俺は上に話を通してくる。貴族達はそこで説き伏せるとして…。
ラインズ、お前は王都の警備団と連携。民衆達の不安を少しでも取り除ける様、通達を徹底…発布の文言は任せる。同時にナツェルトの本陣にも挨拶。特使殿には話がついてる。王都での立ち振る舞いについて、話を擦り合わせておいてくれ。くれぐれも、民衆が第一だ。それを念頭に置いて交渉を進めて欲しい。
ミュゼルは兵舎の建築に当たれ。財務大臣には俺から話を付けておく、予算は気にせずとも良い。取り急ぎ寝床を作ってやって欲しい。いつまでも特使団が城壁の外では、彼らの面子も保たれないからな」
「…人間は年を重ねると魔物に近くなるのですかね…」
あまりの手際の良さに、真顔のミュゼルが漏らした感想を耳にしたニィズラールは、深い溜息を吐く。
「おい…褒めてんのか、けなしてんのか、どっちだそれ」
数日もすると、特使の部隊を受け入れる支度が整った。中央広場に設けられた兵舎は、急ごしらえとは思えないほどしっかり作られている。
「本当はもう少し派手に設えたかったのですが…なにぶん急ぐ必要がありましたので、最低限に留めました」
「いやいや、良い出来だよミュゼル。素晴らしい陣頭指揮を執ったもんだ…大変だったろう?この仕上がりを見れば分かる」
腕を組んで感嘆しきりのラインズの傍らで、ミュゼルの顔が少しだけほころぶ。
「…ラインズ殿の方はいかがです?民衆の理解はいかほどなのでしょう」
「まぁ…こっちは時間がかかるからなぁ…」
ガシガシと頭を掻いたラインズは、柵の外に目を向けた。少し離れた辺りで、警備兵が記された文面を声高に読み上げる様が見える。
「この度のナツェルト王国の特使部隊による駐留…その目的は、スロデアとの二国間の友好の証としての防衛である。
周知の通り、国の至るところで魔物の襲撃が後を絶たぬ昨今、広大な国土の全てを脅威から守り抜く為、我が賢王の申し出により、隣国よりご足労いただいている次第だ。
この決定は、決して国益に害をなす話ではない。とは言え、いささか物騒に感じてしまうのも無理からぬ事と思う。皆を察するに余りある王より、直々の労わりの声明を頂戴している。これより読み上げる故、しかと聞いていただきたい」
兵士達を取り囲み、耳を傾ける民衆の数は多いが、その全てが好意的だというわけではない。そもそも隣国の軍人が王都に駐留する異常な事態なのだから、無理もないとラインズは嘆息する。
「…少しずつ理解して貰うしかないだろう」
「聞いたか?さっきの」
「あぁ…もう何回目だってぐらい聞いてるよ」
「よそから来たとかどうとかは別にして、俺は良い事だと思ってるよ」
話を聞き終えた民衆達が、思いを口にしながらぞろぞろと通りを歩いていた。
「ナツェルトは強兵の国だろ?あいつらに護って貰えるなら安心ってもんよ。それに…こう言っちゃ何だが、あいつらが真っ先に戦ってくれるなら、スロデア人は死なないわけだしな」
「酷ぇ物言いだなおい!」
別の男が周囲を気にせず大声で笑う。安寧に長く浸かり、ふやけきった民衆の危機感は極めて低い。
「そうは言うけどもよ…やっぱり、ちょっと怖くねぇか?」
男のうちの一人が眉をひそめる。
「もし…もしだぜ?まかり間違って関係が悪くなった時、いきなり蜂起したりしないとも限らないだろ」
「そんなの気にし始めたらきりが無ぇぞ?それに、もうクバルカンに入っちまってんだ、どうしようもねぇ」
鼻で笑う男に、隣を歩く男はしつこく詰め寄る。
「今、城には六災があるんだろ?それ欲しさにナツェルトがおかしな事考えたりしねぇもんかな…戦の火種になってもおかしくない代物だろ、あれ」
気ままな雑談に花を咲かせた男達は、一人、また一人と通り沿いにそれぞれの家や仕事場へと戻っていった。
そのうちの一人がするりと小路へと入り込んだ。少し歩いては背後を気にする素振りを度々見せている。
「そこの方」
突然声をかけられ、男の足が止まった。ゆっくり振り返ると、先程までは誰もいなかったはずの通りに人影がある。
「な…なんでしょう」
「いやね、大した話じゃないんですが…クバルカンには旅か何かで?それとも行商?」
「え?いやいや…私、王都の住人ですよ?もうすぐそこ…あの角を曲がった先です」
怯えながら応じた男に、対峙する人影が漏らしたのは嘲笑だった。
「…ご存知ありませんかね、我が国の
例えば民衆の顔、その住居…なんかもね」
ゆっくりと距離を詰めると、人影の正体であるグナンは男を鋭く見やった。
「さて…もう一度聞きます。どこから潜り込んで、悪戯に民衆の不安を煽り立てている?」
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