かくて赤竜は魔竜となりて
第199話 アズノロワの聖戦 1
「総員、撃てぇっ!」
ドゥガーレイの号令を合図に、城壁の上と大地に並んだ砲台群が、轟音を伴って一斉に火を噴いた。
王都防衛に用意された砲弾は二種類。ひとつは、ニールワスでの迎撃の際にも用いられた、魔法を封じた巨大な杭状の弾である。
杭には、以前と同じ「鈍化」ではなく、更に高い効果を期待出来る「停滞」の時間魔法が施されている。
もうひとつの弾は、停滞を施した弾よりは随分と小さい。だが、砲台に備え付けられた照準を砲手が覗きながら、間断なく撃つ事が可能な形だった。
その弾に封じ込められている魔法は「解呪」。レギアーリの体表を覆う被膜の魔力を解き、継続的に防御力を低下させる事を目的としている。
いずれの砲弾の技術も、数年前のニールワスでの交戦時にはまだ確立していない。あの日の苦い勝利を糧に、ソルリエール魔法府を筆頭とした研究者達の研鑽が、技術と魔法の融合を驚くべき速さで進化させていた。
眼前に悠々と浮かぶレギアーリは、以前とは別物と思えるほどの巨躯と化している。放たれた無数の砲弾は、避けられる可能性も外す心配もないまま、その全てが着弾した。
「効いて…いないのか?!」
ドゥガーレイが思わず呻くのも無理からぬ光景だった。全身から
「…撃ち方、手を休めるな!十将の奮戦を我々の手で支えよ!」
だが、仮に小さな傷すら作れていなかったとしても、攻め手を緩めるわけにはいかない。今ここで赤竜を討伐或いは撃退出来なければ、アズノロワに明日は来ない。
祈る様な思いで味方を鼓舞するドゥガーレイの額から、嫌な汗が流れ落ちる。
アズノロワ王城の大聖堂にいるガスランの意識は、遠く離れた西端で赤竜と対峙する大天使と共有されている。天使の眼を通して見る景色には、その視界を覆うばかりに赤竜の姿があった。
「ここより先へは進ませんぞ」
広げた羽根を大きく羽ばたかせると、大天使はレギアーリの胸部へと突進した。手にする武器のひとつである矛槍で鋭く突くと、赤竜は刃が届く前に柄を握り、片手でへし折った。
「ふぅむ…わしの武器は嫌だとみえる」
方陣の中央、六人の司教に囲まれて提燈に火を灯すガスランの片眉が上がる。
地上からの砲撃は避ける素振りも見せなかった赤竜が、自分の放った刺突には反応した。つまり、自分の攻撃はレギアーリに傷を負わせる事が出来るに違いない。
「では…参る」
ガスランが意識を集中させると、折れた矛槍の先端が輝きながら元通りの形へと戻っていく。吐き捨てるかの様に短く強く吠えたレギアーリに、三本の武器を掲げた大天使が、再び空を翔けて肉薄する。
「ガスラン殿を援護せよ!」
大天使に肩を並べ、曇天を飛び回る天獅子騎士団の騎兵達の手には、奇妙な形の馬上槍が握られている。傘状の鍔から先には本来あるべき刺突部がなく、代わりに鍔の先端には、拳大の宝珠がひとつ埋め込まれている。
「食らえ!」
鮮やかに宙を舞いながら、騎兵の一人が右手を突き出す。その動きに連動して、宝珠は光で形成された刺突部を瞬時に生み出した。細く鋭い円錐がレギアーリの肩口を切り裂いた手応えがあった。
「効いている!これならいけるぞ!」
思わず叫んだ騎兵だったが、その直後、鋭い爪に襲われる。身を守る様に掲げた左の手甲に埋め込まれた宝珠は、絶体絶命の一撃を前に、大楯と同程度の光の力場を生み出した。爪は音高く弾かれ、また騎兵もグリフォンごと遥か後方に吹き飛ばされはしたものの、どうにか無傷で済んでいる。
第一席ガウロが率いる精鋭である魔装兵と同等とまではいかないが、天獅子騎士団の装備にもその技術は存分に生かされている。高出力の宝珠を攻防のどちらにも組み込んだ兵装は、同時にグリフォンへの重量の負担を軽減し、結果として機動力向上にも一役買っていた。
「流れはこちらにある…これならば…、討伐も或いは」
自軍の善戦を目の当たりにして、バロエフは独り呟く。重苦しく暗澹とした戦場に、一縷の希望が差し込んでいる様に思えていた。
「総員、油断するな!各自、担当部位への攻撃を徹底せよ!」
第三席の号令がこだますると、鉛色の中を飛び交っている騎兵達は、交戦しながらも移動を重ね、大きく四つの分隊へと分かれた。
事前の作戦会議によって振り分けられた部位である両手と両脚に的を絞り、付かず離れずの距離を保ちながら、間断なく攻め続ける。
煩わしそうに吠えたレギアーリは何度か爪を振るったが、そのどれもが騎兵を叩き落とすには至らない。
「観念せよ赤竜!貴様の暴虐も今日これまでだ!」
巧みに「翡翠」を操って空を翔け、上空から猛然と迫ったバロエフは、漆黒の馬上槍を手にレギアーリの頭を狙った。
勿論、その溢れる殺気に気付かぬレギアーリではない。金色の瞳がぐるんと動き、突進するバロエフの姿を捉えるや否や、迎え撃つべく顔を上げ、大きく裂けた口を開いた。
「将軍!」
赤竜の挙動に気付いた騎兵の叫びをかき消す勢いで、レギアーリの吐いた炎が天に向かって巨大な火柱を立てた。吹き上がった炎はバロエフの姿を「翡翠」ごと紅蓮の中へと包み込む。
天獅子騎士団の面々はおろか、壁上や地上の並みいる兵士達がその光景に言葉を失う。
だが次の瞬間、小さく悲鳴を上げたのはレギアーリだった。
吹き上がった火柱の中から殆ど無傷で現れたバロエフは、螺旋を描きながら赤竜目がけて急降下し、渾身の突きを放った。すんでのところで首を捻じ曲げた赤竜だったが、その一撃は長い傷跡を付ける。
彼の手にあるデルヴァン十魔宝「黒槍ガンドロジア」は通常、ほんのわずかな魔力しか帯びていない。だが、突き刺したものの魔力を吸収し、己の力とする事が出来る。加えて、吸収可能な魔力量は膨大だった。赤竜の吐いた炎を槍で吸収し、高まった威力をぶつけて返す事が出来たのは、偏にこの特性によるものだった。
「遂に傷が付いたぞ!」
「流石は団長…我々も負けてはいられんぞ!」
「援護だ!今、畳みかけろ!」
地上と空中、固唾を飲んで見守っていたデルヴァン兵達は、絶体絶命の危機を鮮やかに乗り越え、反撃に転じたバロエフの雄姿に歓声を上げた。否応なしに士気は高まり、レギアーリに対する攻勢は、より苛烈さを増していく。
大局はもはや人間に傾いている。誰もがそう確信していた。
たった一人、赤竜に傷を負わせたはずのバロエフを除いて。
「…笑っている…?」
無数の砲撃に遭い、騎兵達に攻められ続け、ガスランの化身である大天使とも対峙を余儀なくされているレギアーリは、一撃をくわえた後、距離をとった自分を凝視しながら、低く長く喉を鳴らしている。
その口角がゆっくりと吊り上がる様に、バロエフの背筋は凍り付いた。
疑いようもない。レギアーリには、充分過ぎるほどの余力が残っている。
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