第195話 王の訪都 1

 秋の冷たい雨が降り続くウィラーダ山麓は、混沌極まる様相だった。人や魔物問わず数多の死体が転がる中、生き残った双方が更に武器を交えている。



 その戦場に、折り重なる屍の山があった。突然崩壊したその山から姿を現したのは、オーガの長ウルドだった。シザンドが放電する刹那、転がっていた死体を集め、その下に潜り込んだ機転の賜物か、身体には今もって火傷のひとつもない。


「…やってくれたな、青竜」


 苦々しい顔でウルドは空を見上げたが、曇天に飛び回る影はなく、ただ雨が顔を濡らすだけだった。この惨状を招いた張本人のシザンドが、離れた荒野で息絶えている事など知る由もない。


「その命、貰い受ける!」


 こちらに気付いた兵士が伸ばした槍を、ウルドはただ歩き、脛でへし折ってみせる。呼応して取り囲む人間を少しも意に介さず、オーガの長は歩みを全く止めない。その間、何度となく兵士達がこぞって斬りつけたが、頑強な身体はその全てを弾いた。

 ゆっくり歩きながら、ウルドは低く長く、歌う様に喉を鳴らした。地響きにも似たその音が戦場に響き渡ると、方々で生き永らえていたオーガ達が一斉に戦闘を止め、長を追う様に歩き出した。

 戦場に背を向けた彼らが一様に目指すのは、ウィラーダ山脈である。


「…もはやこの戦に勝敗はない。この先、得るものも無い」


 人間と魔物、双方がただ酷く消耗しただけの不毛な時間に辟易したウルドは、生き残った眷属を引き連れて故郷に戻る事を選んだのだった。


 無言で歩き続けるウルドの奥歯は固く噛みしめられている。自らの意思で戦場を去る事を選んでいても、同胞を失くした無念と怒りは収まらない。だが、それを爆発させるのは今ではなく、叩きつけるべき相手の姿もない。


 あのつかみどころのない魔法生物は、人間と平穏を憎悪している。たった一度、戦がなし崩しになった程度で、その意志が衰えるはずもない。

 だが、奴が再び、何事もなかったかの様に自分の前に現れ、また我々を体よく扱おうとした時、その身を以て全てを清算させる。

 怒りと憎しみをくべられ、燃え盛った漆黒の炎は、こうして連鎖していく。



「負傷者を優先的に後方へ!前衛は折を見て後退、後方は撤退支援!矢を惜しむな!」


 部隊の中ほどにその身を退けたフランダは、髪を振り乱しながら事態の収拾を余儀なくされていた。

 青竜の放電は、戦場を戦場でなくしてしまうほどの破壊をもたらした。今も断続的に戦闘は続いているものの、武器を交えていたはずの魔物と人間、双方が甚大な被害を被っている。自分の唱えた防護の魔法も、果たしてどこまで効果があったのか…そう疑わざるを得ないほど、広い戦場の至る所でむごたらしい光景が散見される。


「…報告…!」


 必死の形相で駆け寄り、声を詰まらせる斥候に、まだ何も聞いていないフランダの眼から涙がこぼれる。


「…第九席ビレフ将軍、第七席ラナロフ将軍、…共に…戦死!繰り返します、ビレフ、ラナロフ両将軍、討ち死になさいました!!」


 初めての大きな戦、伴う十席としての責務。圧し掛かる重責に抗い、踏みとどまっていた心は、その報告で限界を迎えた。

 大勢の部下達を前に、はばかる事すら叶わず、両手で口を強く押さえたまま、フランダは嗚咽を漏らし続けた。



「…そうですか。報告ありがとう」


 将軍二名の訃報は、逆の右翼に布陣していたエンデにも届けられた。だが、彼女は顔色ひとつ変えずにいる。的中して欲しくはなかったが、この展開は想定の範囲内だからである。


 ガウロとシュナイゼン、それに自分を加えた三名が、善悪を度外視して秘密裏に対レギアーリの策を講じていた事実を、ラナロフは突き止めていた。今以上の詮索を良しとしない他の二人が、戦に乗じて両将軍の命を奪ったのだろう。

 或いは本当に名誉の戦死なのかもしれないが、先ず問題なのは、ガウロ達への抑止力が失われてしまった事にある。二人の動向には注視しておくつもりだったが、予期せぬ青竜の放電が、彼女にその余裕を与えなかった。


「父上…セアレン殿…私は間違っていたんでしょうか…」


 今は亡き最愛の二人に問うエンデの呟きは、少なくない迷いを帯びている。


 言うまでもなく、レギアーリは父と伴侶の命を同時に奪った、決して許す事の出来ない憎き仇である。赤竜に対する私怨なら、この国で順位を付けても上位だと自負すらしている。

 だからこそ、ガウロが持ちかけてきた六災奪取を、充分に理解した上で加担を決めた。赤竜を討伐出来るなら、どんな犠牲をも厭わない。

 そう決意したはずだった。


 エンデが考えていた「犠牲」は、十将二人の死という形で目に見えるものとなっていた。


 剣技が抜きんでているから、卓越した魔法の才を持つから、彼らは十将だったわけではない。戦術眼や統率力、ひいては優れた人格までをも数多の人間に認められたからこそ、十将の地位に就いていた。

 間違いなく赤竜に対する貴重な戦力だったはずの彼らを、計画の妨げになるかもしれないという危惧から殺めてしまうのは、果たして本当に必要悪で、容認出来る犠牲だったのだろうか。

 そうまでしてレギアーリを討伐する意味とは何なのか。


 これまで疑った事などない自身の信念が、初めて大きく揺らぐのを、エンデは悔恨と共に感じている。



「ラナロフは始末致しました。ビレフは手を下すまでもなく戦死した模様です」

「…惜しい二人を亡くしましたね…」


 ガウロが見せた沈痛な面持ちに、報告した当のシュナイゼンは思わず訊かずにはいられない。


「それは…本心でしょうか」

「無論です。二人はこのデルヴァンを今日まで共に支えてきた、同志であり戦友なのですから。ラグァニフ殿やセアレン殿、ナシュレン殿も然り…たった十人しかいない我らから欠ける者が出てしまう度、己の無力を突き付けられる様で遣り切れなくなります」


 俯いたガウロは、細く長く溜息を吐く。


「…せめてもう少しだけ、大人しくしていてくれたなら…」


 ともすれば雨音にかき消されてしまう呟きを、シュナイゼンは聞き逃さなかった。我知らず口角を上げる。


 そうでなくては。


 長い間、闇に息を潜めていた自分達が、ようやく歴史の表舞台に立てるところまできた。いずれデルヴァンの覇権を奪い取る為には、この赤竜討伐に狂った若き指導者に、思うがままに進んで貰わなくてはならない。

 その為の尽力を惜しむつもりはない。善悪問わず、この男と登り詰めていくより他に道はないのだから。



 後ろ暗い決意を新たにするシュナイゼンが口を開きかけたその時、荒野に大きな音が轟いた。

 冬の遠雷にも似たその音に、いち早く反応したのはガウロである。周囲の曇天を見回すと、シュナイゼンの後方の空を見上げ、これまで見た事のない憤怒の形相で歯を食いしばる。


「魔物共…これが狙いか…!」


 振り返ったシュナイゼンにも、その意味はすぐに分かった。低く大きく吠え猛る赤竜レギアーリが、この惨状など素知らぬ様子で、悠然と西から東に飛翔している。その身体の向きから、目指す先は容易に想像がついた。



「全軍、急ぎ領都へ撤退!転移の門にて即時アズノロワを目指せ!王都にレギアーリ襲来!」

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