第171話 マドゥル奪還 1
「…これは…一体…」
迷宮から踏み出したセルエッドは、あまりに痛々しく変容したマドゥルの姿に息を飲んだ。同じ様に棒立ちの傭兵達を尻目に、ニザが脱兎のごとく駆け出していく。
「皆!突っ立ってる場合じゃないよ!」
鉤爪に血を滴らせるハーピーが、足を竦ませて固まる老婆に狙いを定めて滑空する。その手前から石畳を蹴って跳んだニザの曲刀が閃くと、妖鳥は断末魔を上げる間もなく無様に墜落した。
「どうなってんだよこりゃ!これじゃまるで、」
「あぁ…戦でも起こったのか…?」
困惑したまま剣を振る傭兵の言葉を、セルエッドの呆然とした呟きが継いだ。
立ち並ぶ露店や家屋は略奪の限りを尽くされ、その幾つかは黒煙を上げている。雑多な中にも活気に満ち溢れていたはずの街並みには、殆ど人影がない。広場のそこかしこに人間や魔物の死体が無造作に転がり、街全体を血の匂いが覆い尽くしている。
迷宮の恩恵にあやかり、王都ルベッザに次ぐ栄華を誇っていた大都市が、見る影もなく無残な姿を痛々しく晒していた。
「戦じゃありません。これは魔物による侵略です」
前に進み出たゼニンが、真っ直ぐに杖で指し示した。
狭い路地をひしめき合いながら、オークの集団がこちらに向かって迫りくる。少し離れた小路からは、ゴブリンの群れも顔を覗かせてきた。上空では、おこぼれにあずかろうと何羽ものハーピーがこちらを見下ろしながら旋回している。
「複数の魔物の種族による…大規模な襲撃…」
セルエッドの視界から得られる推測は、全く実感を伴わないまま口から漏れ出た。
確かに、これまで魔物が種族の垣根を越えて共闘した例がなかったわけではない。用心棒としてオークを囲うゴブリンの一族に出くわした事もあれば、オーガがゴブリンを小間使いにしていた話も耳にした事がある。
だが、そのどれもが小さな集団単位での事象である。今、眼前に広がる多くの魔物が徒党を組んで、人間の―しかもマドゥルほど大きな街を襲うなど、これまでの常識からではおよそ考えられない。
「良くまぁここまで派手にやれたもんだよねー…魔物だからこんなもんなんだろうけどさ、それにしたって酷くない?」
逃げた老婆をかくまった家の扉が、音高く閉まる音をその背に受けながら、ニザは路地の入口で魔物の群れと独り対峙していた。
元々、マドゥルに愛着があったわけではない。六災を入手する為の単なる拠点でしかなかった。
だが、何度となく迷宮に挑戦を重ねていけば、自ずと街で過ごす時間も多くなる。
気付けば三年近くをこの街で過ごしていた。そのうちのおよそ半分は迷宮内だったとはいえ、ニザにとってのマドゥルは、もう立派に愛着のある街だった。
それだけに、広がる惨状を目にすればするほど、身体の芯から怒りがふつふつと湧き上がり続ける。
「お礼はきっちりさせて貰うよ…あんたら、誰一人生かして返さないからね?」
天を仰いだニザの口から咆哮が上げられ、身にまとっていた革鎧が弾け飛ぶ。一瞬で二倍ほどの体躯に膨れ上がった人型の狼は、肉薄したオークの群れの中へと飛び込んだ。
「各自、分団長に続け!周りを囲まれぬ様、気を付けよ!」
セルエッドは高らかに声を張り上げた後、自らの指示に反して、突出するのも構わずにニザの後を追った。
この有様を見たニザが冷静でいられるなどあり得ないのは分かっていた。ならば、せめて自分だけは傍にいる必要があると踏んだのである。
「冷たき影・たなびく紫苑・虚ろな釜とふいご・伏せ逝け!」
ゼニンの詠唱によって作り出された紫色の煙が、小路にひしめくゴブリン達を静かに包み込んだ。
呼吸と皮膚から全身に回る毒は即座に魔物の身体に染みわたり、悲鳴が幾重にも通りにこだました。喉をかきむしり、目から血を流しながら次々に残酷な最期を迎える。
本来忌避している毒の魔法を敢えてゼニンが用いたのには意味があった。ひとつはマドゥルの家屋に余計な被害を与えない為。もうひとつは、後続や他の魔物達を怯ませ、先導している二人を追走する為である。
「今です!二人を追いましょう!」
狙い通りに魔物達の動きが鈍った瞬間を見計らって、ゼニンを先頭に、傭兵達は先駆けた分団長達の背を追った。
「分団長!突出し過ぎです!このままでは孤立してしまいます!」
矛槍を振り回すセルエッドは、諫めながらもニザの見せる圧倒的な戦いに気圧されていた。充分過ぎる膂力に恵まれ、爪と牙を自在に生かす半獣の分団長は、四方をオークに囲まれていても微塵も押し負けずにいた。
伸びてきた槍の柄を爪で斬り折り、手にした穂先でオークの眼を突く。
胴を撫で切るべく払われた両手斧に飛び乗り、脚の爪を喉元に突き刺す。
爪先を引き抜いたまま宙返りし、着地先にいた魔物の眉間に噛みついて引きちぎる。
左右から振り下ろされた斬撃は爪で受け、力で弾き返すと二匹の頭を掴み、目の前でぶつけて粉砕する。
これまで獣化を何度も目にしてきたセルエッドでさえ、思わず戦慄を覚えるほど、ニザは内なる暴虐を解放していた。戦況はどう見ても、一対多数とは思えないほどの優勢である。
だが、だからこそ自分が必要だ。ニザの傍らを長く務めるセルエッドは、矛槍でオークの胴を払いながら確信していた。
あれだけの数を前に動き続けていれば、いかに無尽蔵と思える体力を持つニザと言えども、必ずどこかで息切れしてしまう瞬間がある。
自分の力はニザのそれには遠く及ばないが、彼女が膝を付くその瞬間こそ自分の出番だ。
無論、その兆候はセルエッドにしか感じ取れないほど微々たるものである。しかし、その瞬間はやはりやって来た。斃すそばから押し寄せるオークの群れに、それまで躍動し続けていたニザの動きがほんのわずかに鈍った。
ニザに重なる様に半身を前に出し、幾筋も振り下ろされる剣を矛槍で薙ぎ払うと、セルエッドは叫んだ。
「こちら側は私に!分団長は左をお任せします!」
素早く体を入れ替え、セルエッドはより魔物の数が多い側へと立ちはだかった。頭上で殊更に大きく矛槍を振り回し、魔物を無言で威嚇する。
譲られたニザもまた、言葉をかわさずとも副長の意図が分かっていた。眼前の敵を屠るべく、咆哮を上げて飛びかかる。
「すいません、遅くなりました!」
「なんて数だよ…冗談きついぞこりゃ」
二人の背後から追いついた傭兵達がなだれ込んでくる。それぞれが手にした武器は、ゼニンの強化魔法によって黄金色に輝いていた。
戦場として見るなら、路地は決して多勢に有利な場所ではない。わずか二十人にも満たないニザ一行は、この交戦で辛くも魔物達を撤退させるに至った。
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