第82話 忌み牙のニザ 2

 あの日も満月だったの。…うん、良く覚えてる。

 ただ、いつもと違っておじさんが家にいなかったの。外れに住んでたお爺さんが夜になっても帰って来なくてね、主だった大人を連れて探しに出てたんだ。



「すぐ帰ってくる、先に寝てなさい」


 おじさんがそう言って、いつもみたいに私の頭を撫でてくれた。


…でもね、眠れなかったんだ、私。おじさんが近くにいてくれれば大丈夫だったけど、やっぱり満月の夜は苦手なままだったの。

 手足が小さくぶるぶる震えて、心臓がすごく早く動いてて。それでいて、感覚は異常に研ぎ澄まされてて、家の中を飛ぶ小さな羽虫がはっきり見えたり、外で風に揺らされた葉っぱの音も、すぐそこの出来事みたいに聴こえてた。


 いつもならいるはずのおじさんがいない事も、自分を身体の中からざわざわさせる変な力も、もうとにかく怖くて怖くて。自分の身体が、心が、自分じゃないものに変わっていく気がして。

 じっとしていられなくて、家を飛び出したの。



 …そこから先の事は、正直全然覚えてないんだ。気が付いたら、夜空を見上げてた。厚い雲がかかってて、もう月は見えてなかった。


 でね?血を流して倒れてる大人がいっぱいいたの。…ううん、大人だけじゃない、子供も。


 私のいた村は小っちゃかったからさ、家を出たら左右を見渡すだけで村の殆どの家が見えるんだよね。その家のどこも、窓が割られてたり、扉が外されてたり、そりゃもう酷い有様だったよ。


「化け物!」


 地面に倒れてた血まみれの兵士が、後ずさりしながらこっちを指さした時、初めて私は自分の両手が真っ赤に染まってる事に気付いたの。



 …そう。村を襲ったのは記憶がないまま、血の衝動に逆らえずに暴れた私だったんだ。信じられる?村をひとつ壊滅させたんだよ、十五ぐらいだった女の子が。

 …私は、信じられなかった。自分がした事も、自分自身も。



 そのまま村を飛び出した私は、行く宛てもなく国中をさまよい歩いてた。

 昼間は涸れた遺跡とか捨てられた廃屋なんかに隠れて、月のない夜を狙っては街や村に出て、食べる物を盗んだりしながら食い繋いでた。


 月が出る夜は、…どうしても自分が怖くてさ。人里からなるべく離れた森の中にどんどん入って行って、適当な木の根元に丸くなって、どうか何もしないように…って祈りながら、朝が来るのを待ってた。

 真っ暗な森の中を、わずかな明るさに頼って奥に進んでいくとね、…私、なにしてるんだろう、いつまでこうやって生きていくんだろう、この先もずっと独りのままなのかな…ってふと凄く心細くなってさ。


 このまま、この暗闇が私を飲み込んでくれないかなって思いながら、明るくなるまで夜通し歩き続けた事も、何度もあったよ。



 何年、ナツェルト中をうろついてたかはもう覚えてないけど、その日は急に訪れたんだ。


 その頃の私は、とある地方の廃屋をねぐらにしててね、その日もなーんにもない部屋の隅でうとうとしてたの。ちょっと広めの家でさ、間取りがおじさんちに似てたってのも気に入ってた理由だった。


 何にも言わずにおじさんの元を飛び出したけど、気持ちのどこかで縋ってたところがあったんだと思う。…そりゃそうでしょ?私が初めて触れ合って、育ててくれた「人間」なんだから。


 だから、気配を感じて目を覚ました時、おじさんが目の前にいて本当にびっくりしたんだ。



 目の前に立ってたおじさんは、私が知ってる時よりも少しだけ痩せて、でもあの頃と同じ様に優しい目をしてて、…良く見るとぼんやり光ってて、後ろの古い壁が透けて見えてた。いわゆる亡霊ゴーストだったんだと思う。


 あぁ、おじさん死んじゃったんだな…って悲しさよりも、死んじゃう時に私を思い出してくれたんだって事がとにかく嬉しくて、そしたら涙が止まんなくなって、…この時、生まれて初めて泣いたんだけどね、何度も「ごめんなさい」を繰り返しながら、床に座り込んで立てなくなったの。

 私を山で拾ってきたばっかりに村があんな事になって、きっとおじさんの人生も変わってしまってる…その事がただただ申し訳なくて、でも謝る他に何も言えなかったんだ。


 そしたらおじさん、言ったんだよ。


「すまなかったな」って。それだけ言って、スッて消えちゃった。



「あの日の夜、一緒にいてやれなくて」か

「探し出してあげられなくて」なのか…。

 自分でもほとほと都合良いなって思うんだけどさ、おじさんの言葉の続きを考えると、そんな事しか出て来なくて。


 でもね?おじさんのその一言のお陰で、楽になれた自分も確かにいたの。私の事を想ってくれてた人がいた…って事実だけで、この先も生きてやろうって気になれた。


 ライカンスロープだとかは関係ない、私はこの世界に独りじゃなかったんだ。だったら命が尽きるまで、自分が思ったように生きてやるぞ…って素直に思えたの。

 じゃないと、わざわざ会いに来てくれたおじさんに失礼だもん。

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