忘れがたきプネウマ

日音善き奈

地獄旅行

ベランダから見える空に突如暗雲がたちこめ、雷鳴が轟き出す。

空から巨大な「無慈悲な手」がおりてきて、悔いと悲嘆と諦めに満ちた人生を「もう一度やり直しておいで」と誘い出す。


ベランダではシャツたちが揺れる。

風に煽られ、ばたばたばたとひらがえる。


頭の中に諦め、封印していた記憶が蘇り、涙が止まらない。

ぼたぼたと茶色の座卓からこぼれ落ち、しみのついたカーペットをも濡らす。

どうして。私は幸せになったのに。

この小さな質素な家で、安らかに暮らしていたのに。


溢れかえる感情の洪水に狂わんばかりの憧憬と焦燥ががなりたて、救いの手はもはや届かない。

私を長く守ってきた軽蔑と批判精神はどこにもいなくなってしまった。


思い出した。私は「長い人生の中で、いつか」という慰めと引き換えに、自分を諦めさせたのだった。


なんて約束をしてしまったのだろう。

果たされるはずもない約束。

その約束をした私も果たされるはずのないことを知っていた。

でもいつかは風化し、本当に忘れられる日が来るだろうと思っていた。

なんて約束をしたのだろう。何一つとして、忘れられなどしなかった。


「無慈悲な手」は私を誘い出す。

失望とやるせなさと怒り、執着の権化となった私は、涙をこぼしながらその手に向かう。


誰かがひき止めるように私の手をつかんだ。

黒くて大きな影。 私は落ち着きを取り戻し、座卓の前に腰を下ろした。


緑色の年季の入った冷蔵庫に張り付いたマグネットのデジタル時計がゆっくりと時をきざむ。

その右下にはトマトをあしらったマグネットに子供の学校行事のカレンダー。

いつもと同じ光景。

なのに時はいつまでも動かず、あの鉄の扉を開けて帰ってくる人は誰もいない。

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