RESTART~もう一度、あの舞台へ~

RURI

1.通告

 10月某日。名古屋クインセスの球団事務所に呼ばれた内山康太うちやまこうたは、事務所内の小部屋に招き入れられて促されるまま座ったソファに腰掛けていた。


「まぁ、何の用かは大体分かってるとは思うけど……」


 机を挟んで真向かいに浅く座った編成部の谷原謙一郎たにはらけんいちろうがやけにかしこまった様子で話し始める。


「えっとだね……、まあ、今年は君にとって不本意な一年になったとは思う。オープン戦でファールチップでつま先を骨折して出遅れて二軍スタート。復帰してからも打撃不振で一、二軍を行き来して、終盤はほとんど出番無し。二軍では怪我人が増えてやり繰り出来なくなったからって、キャッチャーなのにサードとかを守らせたりしちゃって……」

「良いですよ谷原さん、単刀直入に言って貰って」


 シーズン終了直後、まだCSも秋季キャンプも始まっていないこの時期に球団事務所に呼ばれるのがどういう用件なのか、分からない野球選手はいないだろう。いや、もう用はない、と言う方が正しいだろうか。この時期に球団が自軍の選手を呼び出す理由など一つしかない。前日、スーツで球団事務所まで来てくれと呼び出された時点で、そう言われる覚悟はしていた。


「俺、戦力外ってことですよね? 分かってますから」


 客観的に見ても、かつては年間100試合以上に出た経験があるとは言え、25歳にもなって正捕手争いどころか一軍定着もままならないキャッチャーを残しておく意味はあまり無い。まして今、クインセスの正捕手争いをしているのは同世代か年下なのだから。シーズンが終わりに近付くにつれて二軍でもマスクを被る機会が減ってきた時点で、こうなる予感はしていた。


 何かがこみ上げてきそうになるのを内山は必死に堪えて、それを表に出すまいと無理矢理笑顔を作る。


「お前な、こんな時に無理してんじゃねぇよ」

「……」


 谷原は小さく溜め息を吐くと、少し体を前のめりにして内山の目を見つめる。


「お前が頑張ってきたのは俺たちだって分かってるんだよ。別にここで無理する必要は無ぇ」


 頑張ってきたことが分かるならせめてもう一年、と言いかけて内山はその言葉を飲み込む。どれだけ頑張ろうが結果を残せなければ居続けられない厳しい世界だということは、そこで戦ってきた自分自身が分かっている。悔しさとふがいなさばかりが、ただひたすらに溢れてくる。


「まあ、その、何だ。お前まだ25だろ? これから何かしらで食ってかなきゃならねぇ歳だ。もし良かったら、ウチにブルペンキャッチャーとして残る気は無いか? キャッチングの上手さは知ってるし、ウチの投手陣のことなら頭に入ってるだろ?」


 ——ブルペンキャッチャー、か……


 確かに谷原が言う通り、この先何らかの職を得て食べていかねばならない。プロ野球選手にまでなったとは言え、引退後もそこで得たお金や名声、実績でやっていけるのは結果を残したほんの一握りの人間だけである。目立った成績を残すこと無く球界を去ることとなった者は野球を離れ、社会に出て行くことを余儀なくされることも少なくない。そんな中で、野球に携わって生きていけるということは本当にありがたいことなのだ。


 25歳、プロ7年目のシーズンオフ。社会人出身の選手も含めてのことだから一概には言えないけれど、プロ野球選手がプロ野球選手で居られる期間は大体7年ほどと言われる。プロとしての平均年数を過ごして戦力外を受ける、ということは潮時なのかもしれない。けれど……


 ——俺、それで良いのかなぁ……


 正直、ロクに勉強もせずにただひたすら野球に打ち込んできた人生だった。超高校級の強肩強打の大型捕手と言われて高校日本代表も経験、ドラフト3巡目で入団して2年目には一軍デビュー。4年目には一軍に定着、5年目には100試合以上でマスクを被り、打率は2割ちょっとと奮わなかったものの一応正捕手としてシーズンを過ごした。次の年は投手陣に怪我人が相次いでチーム防御率がリーグ最下位に低迷、負け込んだ責任がキャッチャーにあるとでも言うようにベンチを温める機会が増えたかと思えば、あっという間に二軍降格。チームは結局最下位でシーズンを終えた訳だが、「一年間キャッチャーを固定出来なかったことがその一因だ、前の年に最もマスクを被ったお前もその責任は大きい」と言われ初の減俸を経験。打てなければ試合で使って貰えないと思い自主トレやキャンプでひたすらバットを振り込んで臨んだ今シーズンも、オープン戦で不運な骨折をしたかと思えば下の世代の台頭もあってなかなか一軍に上がれず。一軍に上がっても目立った出場機会を貰えないまままた二軍に落ちて、二軍でそこそこ打てばまた一軍に呼ばれて、を繰り返していた。


 キャッチャーというのはポジションの特性上、どうしても他に比べてチャンスがなかなか回ってこないものではある。が、それでもここ二年は不遇だったと言っても良いのではないだろうか。出番さえ貰えれば、きっと今以上の成績は残せるはず。それなのに、次の仕事が確約されるからという理由で引退したとして、果たしてそれで自分は納得出来るのだろうか。


「あの、谷原さん」

「何だ?」

「ブルペンキャッチャーの話。ちょっと、決めるまでに時間を貰えませんか?」

「まあ、今日いきなりここで決めろってのは流石に無茶だよな。だけど、もう来年の編成に入らないといけない時期だし、そんなに時間はやれんのよ。1週間で返事をくれ」


 谷原はそう言い残すと、一向にソファから腰を上げようとしない内山を残して部屋を出て行った。



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