第7話 先輩、その左手

 カコ、カコとレバーをいじくる音が車内に響く。ギアチェンジする密先輩の左手の指は、イメージより節っぽい。

 僕はそれに見惚れている自分に気付き、誤魔化すように窓を開けた。残った酒で重くなった頭に風が心地よい。

 車内に二人きり。オートマ車より、エンジン音が目立つ気がする。無音よりは気が楽だ。

 しっかし、女の子が運転する車に乗っているのは、こう、グッとくる。オートマ限定の僕からすれば、マニュアルっていうのもポイント高い。強いて言うなら、毛玉のできやすい部活ジャージ姿がタマに傷、だけども。

 せっかく、先輩のマジの部屋着が見られると期待していたのに。

 信号に捕まると、先輩はズボンのポケットに手を突っ込んだ。ポケットの中で、指をわきわきと動かした。赤信号の度にそうするもんだから、思わず口を挟む。

「危ないから出しておいてくださいよ」

「悪魔と契約したんだ。この左手は、みだりに出すことはできない」

 悪魔。むしろあんたがサキュバス。

「……先輩って、ホントに馬鹿っすね」

 よく考えれば、彼女が運転する車に乗っているということは、命を預けているのと同じ。

 このロッジに来るときの車内ではそんなこと考えていなかったけど、決して関係の近くない人の一存で死ぬかもしれないのは、不思議に思えた。

 そうだ。僕と先輩は、あくまで部員とOGという関係だ。

 飲み会で度々顔を合わせるが、連絡先も今回の件で初めて知ったくらい。知り合ってから二年くらいは経つけど、彼女のことを僕はほとんど知らない。

「私は高等遊民なの。仕事なんかしないって」

 そう言って、無職だと密先輩は自ら吹聴している。知ってるのは、せいぜいそれくらい。

 彼女は自嘲するように、よくこう言うのだ。


『毎日、悪魔が操るとろけた夢に耳まで浸して眠るの。湯船に浸かったまま眠っちゃったみたいに、そのまま死ねたら楽だから』


 聞くたび、どこかで聞いたことがあるような気がしたが……思い出せなかった。

 何かの映画のセリフだろうか?

「おわ」

 急ブレーキ。余計なこと考えるな、と先輩から怒られたような気分になる。

 信号待ちの間、やはりポケットに手を突っこんだままだ。

 なんで手を出したがらないんだろう?

 悪魔との契約? 契約するとしたら、密先輩は一体何を願うのか?

 彼女の望みが思いつかなかった。

 血の通った人間のように、感じられていないからかもしれない。

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