手を伸ばして当たらない範囲

 昨日のニュースで話題になってたんですが、埼玉の高校を、


「女子校、男子校をなくして共学化すべし」


 という声が出ているということです。


 私の育った兵庫県では公立は共学、私学が共学ではないという形でしたので、関東出身者から公立が共学でないと聞いてびっくりしたのを思い出しました。


 だからまあ、公立でも私学でも女子校があろうが男子校があろうが共学があろうが別に構わないんですが、私が引っかかるのは、共学化しろという意見の内容です。


「埼玉県立の男子校が女子の入学を拒んでいるのは不適切であり、認められるべきだ」


 いや、あの、そこ男子校でしょ? だったら入学の条件に「男子であること」が入ってても何も不思議じゃないと思います。


 他にも、


「人権の問題、ジェンダー平等の問題、そういったことを含めて考えたら、共学化をした方がいい」


 という意見もあるらしいけど、それ、ちょっと問題がずれてない?


 どうして共学の学校に行きたい人の意見だけを取り上げて、人権だの平等だの言うんでしょうか?

 だったら男子校に行きたい、女子校に行きたいって人の人権も守られてこそ平等じゃないですか?


 どうもおかしいですよね、こういう風潮。


「自分の意見は通るべきだが、そうでない人の意見は差別だ!」


 と言っているようにしか聞こえない。


 あなたがその学校に行きたいと言っているのがどういう理由かは分かりません。でもね、その行きたいと言っている学校は「男子校」もしくは「女子校」でこれまでやってきてるんです。その学校に入りたいと思ってる人はあなた以外にもたくさんいるはずです。


 そしてその学校に行きたいと言ってる人の中には「男子校だから行きたい」「女子校だから行きたい」って思ってる人もきっといるでしょう。その人たちの正当な意見を踏みつけにして「だって私が行きたいって言ってるんだから共学化にしてよ」って主張するのはいかがなものでしょうか?


 そういう「行きたいもん」の主張が通るのなら、


「自分の学力では到底東大には行けないが入れてくれないのは権利の侵害だ」


 という主張も通るんじゃないのかな。


「ジェンダーの問題と学力の問題は違うでしょ」


 って言われるかも知れないけど、つまるところそういうことですよ。自分の気持ちに周囲が合わせろって言ってるんですから。


 権利は守られないといけないけど、範囲を超えて守れというのは、それはもう権利の範囲を超えた暴力に近いと私は思います。


 社会学の授業だったかな、


「権利の範囲は手を伸ばして他人と当たらない範囲」


 というのがあったと思います。うろ覚えですみませんが。


 あなたが今主張してるのは、


「自分が好きなだけ手を伸ばしたいから当たる範囲にいる人が遠慮すべき」


 です。


 そういうところ、もうちょっと考える時代になってもいいんじゃないかと思います。

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