29年目の117
私はあまり阪神淡路大震災については書いていないんですが、一応経験はしています。もう29年も経ったんですね、びっくりだ。
先日も仕事関係の方と話をしてたんですが、
「あの日のことは一生忘れない」
とおっしゃっていました。私も多分そうだろうなあ。
その方は当時、看護師として勤めていらっしゃったんですが、すぐに招集がかかって病院に駆けつけるのに、いつもの何倍もの時間がかかったこと、なんかを話してくださいました。
そして今年の元日の能登半島地震の時には、お正月で集まっていた娘さんのご主人が自衛隊の方で、すぐに招集がかかったとの話もしてくださいました。
お正月でお酒を飲んでいたので車の運転ができず、その方のご主人が急いで駅まで送り、そこから電車で伊丹駐屯地まで急がれたそうです。
お子さんがまだ小さくて、どうしてお父さんだけ先に帰ったのと泣いていたらしいですが、仕方がありません。そういうお仕事なんです。
職種は違いますが、どちらもそんなことが起きたら一番に呼ばれる方が偶然婿と姑として家族になっていらっしゃる。互いに気持ちが分かるだけに、黙って送り出すことしかできない。
「そういう仕事やから仕方ないけどねえ」
そう言って、ご自分の時のことを思い出すと言ってらっしゃいました。
看護師も医師も自衛隊、警察、救急も、どれも緊急事態になると一番に飛び出さないといけない職業です。いつもいつも、そのようなお仕事の方には頭が下がりますし、感謝をしています。
幸いにも家族も親戚も友人知人も、直接の関係者に犠牲になった人はいませんし、みんな家も失ってはいませんが、それなりに被害はあります。知人の家族など間接的になると犠牲者はありました。今住んでる家は震災後に建った家なので大丈夫ですが、実家は住めるからと被害を受けたそのままの形です。
先日テレビで「部屋が少し傾いてても人間はすごいストレスを受ける」と言ってたんですが、それでいくと実家の2階、特に私の部屋なんて住んではいけない部屋だったんだろうなあ。住んでたけど。無頓着なんでほとんどストレス感じてなかった自分を褒めたいと思います。
母が亡くなった時に2階の私の部屋と妹の部屋はリフォームして法事に集まれるようにしたので室内は見た目だけは普通になってますが、今でも廊下は立ったら分かるほど傾いてるし、廊下の端っこはひし形です。
そんな状況でも、普段は地震のことなんてすっかり忘れてしまっています。人間は忘れる生き物、だから生きていけるんだなと思いますが、やっぱり忘れてはいけないこともあるでしょう。
よそで地震があったり、今日この日、それから東日本の311のように、地震に関する日が来た時だけは思い出して、周囲の状況、高く物を積んでいないかとかをもう一度見直したり、今生きていること、そんな時に助けてくれる方達への感謝を忘れないようにしたいと思います。
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