花言葉
朝、情報番組をつけてあっちこっちを見ていると、色んな占いやっているように、その日の花や花言葉というものも、あっちこっちで目にします。
あまり何も考えず、
「ほうほう、今日の花はこれか、花言葉はこれこれ、この花は知らなかったなあ」
ぐらいに読み流し、聞き流してたんですが、
今朝のテレビで、
「花言葉って一体誰が決めているんですか?」
という質問があり、
「そういやそうだな」
と、初めてそのことに気がつきました。
それでちょっと気にして見ていたら、花言葉の起源は、正確なことは分かりませんが、
「トルコのセラム」
という風習らしい、との話でした。
これがどんな風習かと言いますと、人に何か思いを伝える時に花束に託して渡し、それを受け取った人はまた花で返す、という物らしい。
トルコでは挨拶のことをセラムと言い、フランスでは花言葉のことをセラムと言うとか。これはトルコから伝わったセラムがフランスでそう解釈されるようになった、と見るのがいいかも知れませんよね。
そんな物で心を象徴するようなことを、
「象徴言語」
と言うらしいのですが、そういや日本でもそんな逸話があったなと思い出しました。
太田道灌という武将をご存知の方も多いと思います。最初に江戸城を築城した武将です。そして、そのこと以外にも、もう一つの逸話で有名なのです。
ある時、太田道灌が狩りに出たところ、いきなり大雨に降られてしまいました。
困った道灌一行は一軒の農家に立ち寄り、
「雨に降られて困っている、
と、頼んだところ、その家の娘が恥ずかしそうに一枝の山吹を差し出してきたのです。
「頼んだのは雨具の蓑だ、山吹ではない」
と、道灌は怒り、もういいとずぶ濡れになって城に帰りました。
帰ってそのことを愚痴ると、一人の臣下が、
「それは古い歌にかけた
と、教えられます。
「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき」
歌の意味は、
「山吹の花は七重、八重と咲いて美しい花だが、実の一つも生らない花だ」
で、
「実の一つだに無きぞ悲しき」
に、
「蓑一つだに無きぞ悲しき」
つまり、
「お恥ずかしいことに、貧しくてお貸しする蓑一つありません」
と伝えているのだ、と教えられます。
それを聞いた道灌は、本当に恥ずかしいのは蓑のないその農家ではなく、それを理解できなかった自分の方だと反省し、その後、熱心に歌の勉強をした、ということです。
洋の東西を問わず、そういう伝達方法はあったんですね。
今の花言葉はトルコで使われていたセラムを踏襲しているようですが、日本には日本独自の花言葉が391種あるそうです。
調べてみたところ、これを書いている6月22日の誕生花にもいくつかあり、
アマリリス・「プライド」
スイカズラ・「愛の絆」「献身的な愛」
ガマズミ・「結合」「私を無視しないで」
などでした。
同じ日の花でも色々と意味が違うんですね。
大切な方に誕生花を送る時、思ったのと全く違う意味の花を贈ってしまわないように、お気をつけください。
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